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「ちょうど帰ろうと思っていたところでしてな。タイミングがようございました」
シャリオ先生が部屋の扉を閉める。万が一にも猫を逃がさないためだろう。先生は私の前にやってくると両手を差し出してきた。その上にバスタオルごと子猫を乗せる。
「ほう……ずいぶんと小さい」
「先生。先生が猫専門のお医者様でないのは分かっているの。でも……!」
「安心なされよ。こう見えて、馬だけでなく羊やうさぎ、牛や豚も治療したことがありますでな」
「お、お願いします」
たとえの中に猫が入っていなかったことに不安を覚えつつも、先生に頼るしかないので頭を下げる。
シャリオ先生は、子猫の身体をチェックしたあと、彼が契約している精霊を呼び出した。
魔法を使い、子猫に寄生虫などがいないか調べるらしい。精霊にそんなこともさせられるのかと驚きつつも、大人しく結果を待った。
「ふむ。雄猫ですな」
「雄。男の子なんだ……」
小さすぎて、見た目では雄か雌か分からない。
役目を終えたのか精霊が姿を消す。先生は鞄の中からはかりを取り出すと、今度は猫の体重を調べだした。
「先生! その子、目やにが酷くて……」
「猫風邪やもしれませんな。……ちょっと失礼」
先生が濡れたコットンで、目やにを拭い取る。子猫はキュッと目を瞑った。固まっていたものが取れ、綺麗な目がパチリと開く。
「ああ。これは、ただ汚れがこびりついていただけですな。問題ないでしょう。ふむふむ。寄生虫の心配などもなさそう、と。少し痩せ気味なのが気になりますが、野良猫だったのなら仕方ありますまい。今後、しっかり栄養のあるものを食べさせてやればなんとでもなるでしょう。体重は……と、八百五十グラム。月齢は、三ヶ月弱、といったところですかな」
「先生、食事は? 食事は何をあげればいいのかしら?」
「すでに離乳も終えた時期ですので、固形の食事でも問題ないでしょう。猫用のフードが町に売っておりますから、それを与えればよろしいかと。とりあえず今日のところは、わしが持っているこれをお使いください。子猫には少し硬いと思うので、お湯でふやかすとよろしいかと。餌は一日二回、朝と夜にお与えください」
「?」
先生が鞄から包みを取り出す。中を開けると、丸型の小さな粒がたくさん入っていた。
色は茶色だ。
「これは? カリカリ?」
前世の友人が、確かこんな形のフードを愛猫に上げていたような気がする。
そう思って確認すると、先生は「カリカリ?」と首を傾げた。どうやら通じないようだ。
世界が違うのだから当然なのだろうけど。
なんでもありませんと誤魔化す。こちらの世界の名称を知っておかなければ困るのは私なのだ。
「これは、マルルという猫用のドライフードですな。色々な種類がありますが、それは実際に店で確認をなさるといい」
「はい。でも、どうして先生がこれを?」
この素晴らしいタイミングで持っていたのか。私としてはありがたいけれど、どうしても疑問に思ってしまう。
先生は顔を赤らめると、そっぽを向いた。
「いや……最近、よく見かける猫がおりましてな。今度見つけたら、餌でもやりついでに、健康状態でも確認してやろうと企んでおりました」
「まあ、そうでしたの」
お目当ての猫にやるために、餌を持ち歩いていたと知り、口元が緩んだ。同時にそんな大事な餌をもらってもいいのか心配にもなってしまう。
「よろしいのですか? この餌は、その猫ちゃんのために用意したものなのでしょう?」
「会えるか分からない猫よりも、今、目の前にいる猫のために使いたい。それに家にはまだ在庫がありますでな。問題はありませんぞ」
「ありがとうございます……!」
そういうことならありがたくいただこう。
早速使用人に餌皿になりそうなものをもってきてもらい、準備をする。
その時に、猫用の水もやってきた。深皿になみなみと注がれたものを置く。
水を見た子猫は、興味深げにしていたが、近づこうとはしなかった。
初めての場所。やはり警戒しているのかもしれない。
だけどマルルを餌皿に移すと、子猫の目があからさまに輝いた。
自分のご飯だと分かるのだろう。元気に「にゃーにゃー」と、アピールするかのように泣き始める。たまに何故か「めー」と鳴いていて笑ってしまった。
羊か。
猫の鳴き声がこんなにも豊富だったなんて知らなかった。
「ちょっと、待ってね」
急かしてくる猫に苦笑しつつも、先生に言われたとおり、お湯でふやかしてから子猫の前に置いた。先生に抱かれていた子猫は、我慢できないとばかりに先生の腕の中から飛び降りる。
喜んでいるのが一目で分かる様子がひどく可愛かった。
「にゃー!」
子猫は尻尾をピンと立たせ、大喜びで餌皿に顔を突っ込んだ。はむはむと一心不乱に食べている。よほど空腹だったのだろう。
「ま、この調子なら大丈夫そうですな」
「ありがとうございます」
先生が立ち上がる。慌てて私も立ち上がり、お礼を言った。
「申し訳ありません。お手数をお掛けしてしまって……」
「いや、なんの。こういうことでしたら、いつでもお呼びください。命を助けるというのはとても尊い行為ですのでな。いかようにも協力いたします」
「ありがとうございます……!」
「では、わしはこれで」
鞄を持ち、先生が部屋を出て行く。せめて玄関まで見送ろうと思ったが断られてしまった。代わりに使用人にきちんと馬車のところまで送っていくよう命じる。
「お嬢様。これを」
「ん?」
ホッとしたところで、使用人のひとりがやってきた。手には大きな紙の箱を持っている。
いわゆる段ボールみたいなものだ。
「その……猫が入るかと思って。ケージになるようなものがなく……」
「ありがとう。十分よ」
段ボールはおそらくは120サイズくらい。猫を入れるには十分だ。
段ボールの中にふわふわした生地の小さめの毛布を敷く。猫を入れると、最初は驚いていたようだがウロウロした後、丸くなり、すうすうと眠ってしまった。
疲れていたのだろう。そこでご飯をたべ、空腹が満たされ、眠気がやってきたといったところだろうか。キュッと目を瞑る姿が可愛かった。
「これがアンモニャイトなのね……!」