第六章 弟の暴走
「なんだか眠いわね……」
午後のお茶も終わった時間。
今日は学園が休みということもあり、私はまったりと過ごしていた。
◇◇◇
あれから、また少し時間が過ぎた。
リュカはすくすくと成長し、体重も一キロを超えるくらいまでになった。
餌はふやかす必要はなくなったし、毛並みは艶々としている。
甘えた声で鳴くリュカは愛らしく、相変わらず私の心を奪って離さない。
全身がまるでできているのではないかと思う可愛いリュカは、毎日元気いっぱいで、使用人たちにも大人気だった。
「なー!」
紅茶のカップを持ったまま、うつらうつらしていると、リュカが私の側に来て、大きな口を開けた。これは、何か言いたいことがあるときにする口の形である。
「どうしたの、リュカ」
「なあ」
自分に視線を向けることができたのが嬉しいのか、リュカの尻尾がひょいっと上がった。
分かりやすい動きに笑みが零れる。
「遊んで欲しいの?」
「なー!」
元気の良い返事があった。
リュカなりに、私が今、暇を持てあましていることを理解しているのだろう。構ってもらえるのではないかと、ご機嫌に尻尾を振りながら私を見つめてくる。
可愛い。
その目には期待が滲んでおり、可愛い愛猫の気持ちを裏切りたくなかった私は、最近リュカが気に入っている小さなボールを取り出そうと、座っていたソファから腰を浮かせた。
「そうね。少し遊びましょうか。ちょっと待ってね」
眠気覚ましにもなるしちょうどいい。
立ち上がり、ボールを取りに行く。己の希望が叶えられると分かったのだろう。リュカは私の足に絡まるようにして着いてきた。
「姉様、いる?」
「あら」
ちょうどキャビネットの引き出しを開けたところで扉がノックされた。声の主は……珍しい。
弟のカミーユだ。
普段自分からは接触を持たないカミーユが訪ねてきたことに驚きつつも、私は返事をした。
「どうしたの、カミーユ。あなたが部屋に来てくれるなんて珍しいじゃない」
「……ん、ちょっと姉様に話があって」
「私に? いいわ、入ってちょうだい」
カミーユが私に話とは本当に珍しい。
リュカを拾ってからというもの、カミーユとはほとんど話すことがなくなっており、私は実は地味にそれを気にしていた。
もちろん食事の際などは喋ったりもするのだが、それ以外の交流はほぼないと言って良いような状態なので、どうにかしなければと思っていたのだ。
だってカミーユは可愛い弟。
確かに最近はリュカの世話に追われたり、頻繁にやってくるようになったアステール様と過ごしていたりしたせいで疎遠になりがちではあったが、弟を大切に思っている気持ちに嘘はないのだ。
できればもっと会話の機会も増やしたいし、弟さえ良いと言ってくれるのなら、一緒にリュカのことだって可愛がりたいと思っている。
そんなつもりはなくとも、結果的に後回しになっていたカミーユの来訪。
これは嬉しい、久々の姉弟水入らずだと、私は笑顔で弟を部屋へ招いた。
「……久しぶり、姉様」
「いらっしゃい、カミーユ」
やってきたカミーユは、先日新調したばかりの服に身を包んでいた。
太りすぎて、今までの服が着られなくなったため仕方なく作り直したのだが、本気でそろそろダイエットした方が良いと思う。
でなければ、病気になってしまいそうだからだ。
まん丸な体型の弟は、太っていても可愛らしい整った顔立ちをしているが、それにも限度があると思う。
「……カミーユ。甘いものを控えるなり、少し運動するなりした方がいいわ。また少し太ったのではなくて?」
つい、心配から余計なことを言ってしまった。
カミーユの眉が不快げに中央に寄る。
「何、姉様。いきなり説教?」
「ち、違うわ」
そんなつもりはなかったのだ。ただ、弟が心配だっただけ。
だが、私の心配は弟には伝わらなかった。……そういうものだろうけど。
「まあ、いいけど。姉様のそれはいつものことだから。……あ」
カミーユの視線が私の足下に纏わり付いていたリュカに向いた。視線を向けられたリュカは、初めて見た弟にびっくりしたのか、ビクリと震え、そのまま動かず固まっている。
「リュカ、大丈夫よ。弟が来ただけだから」
「……なあ」
小さな声で返事があった。それでも私の側から離れようとしない。弟が感情のこもらない声で私に言った。
「……それが、姉様が拾ったっていう猫?」
「ええ、そうよ」
「ふうん。思ったより小さいんだね」
「まだ子猫だもの」
全くリュカに興味がなさそうなカミーユの態度に内心ガッカリしつつ、私は答えた。
分かっている。
全員が猫好きというわけではないのだ。カミーユのこの態度だって、彼が猫好きでないというのなら当たり前のものなのだ。
それを責めるのは間違っている。
「そ、それで、話ってなんなのかしら」
話題を変えようと、私は弟に訪問の目的を聞いた。
わざわざここまでやってくるくらいだ。余程の理由があるのだろう。
早く聞いてやらなければという気持ちもあった。
「……うん、それなんだけど」
弟が言いづらそうにしつつも、近くのソファに座る。
これは長くなるかもと思った私も彼の目の前にあるソファに腰掛けた。リュカも私についてくる。
弟は小さく溜息を吐き、話し始めた。
「そのさ……最近家庭教師の先生が替わったでしょ。その先生についてなんだけど」
「ええ、お父様に聞いているわ。確か、前の先生は辞めてしまわれたのよね……」
カミーユが前の家庭教師が気に入らず、授業から逃げ続けた結果、その先生が辞めてしまったという話は父から聞いていた。
かなり良い先生だと思っていたのだが、授業をサボりまくるカミーユの態度が耐えきれなかったのだ。そうなったのは間違いなくカミーユのせいであって、先生の責任ではない。
「あの方、良い先生だったのに」
「僕を椅子に縛り付けてまで勉強させようとする奴のどこが? あんな奴、辞めて正解だよ」
吐き捨てるように言ったカミーユだったが、その意見には賛同しかねる。
実際、その事実は存在したが、未遂で終わっているし、どちらかというと反省しないカミーユに対する躾の意味が強かったことを知っているからだ。
「あなたがサボらなければ、そんなことはなさらなかったし、大体、未遂だったでしょう」
「姉様は僕の味方をしてくれないの?」
「いくら弟でも間違っていると思う方の味方はしないわ」
きっぱりと告げる。
弟はわかりやすくむくれた。
「……姉様の正論好き。ああもういいや。そんな話をしに来たわけじゃないんだから」