12
「あ、ちょっと……ああああ……」
薄茶色のペースト状のおやつをリュカは一心不乱に舐めていた。一瞬たりとも顔を上げない。
尻尾は今までに見ないほどピンと垂直に立っていて、リュカがいかに喜んでいるのかよく分かる。
「なっ!」
彼は皿の隅から隅まで舐めると、パッと顔を上げ、私が持っているパウチを凝視した。
「なーん!(ちょうだい!)」
「……え、ええ」
野生を丸出しにした表情で鳴かれ、私は素直に頷くしかなかった。
野生……。
野生のお猫様がそこにはいた。
今までリュカにはなかった一面である。いつもリュカはフワフワとした可愛らしいところばかり見せていたから、こんな顔もできたのかと驚いてしまう。
リュカに催促され、餌皿に残りのおやつを入れる。今度は入れ終わるまで待ってくれたが、食べる速度は先ほどよりも速かった。
「……早いわ」
なくなったのに、皿をしつこく舐め続けるリュカを唖然としながら観察する。
元々ご飯が好きな子ではあったが、まさかおやつでこんなにテンションが変わるとは思わなかった。
とはいえ、そんなところも可愛いと思うけれど。
リュカがすることならどんな行動でも可愛いと思えてしまうあたり、私も大分猫飼いとして成長しているのだろう。
真の猫飼いはお猫様の下僕だということを、前世で聞いたことがある。
まあ、それを言っていたのは前世の友人なのだけれど。
その友人はといえば、立派な下僕だった。
噛まれてもご褒美。粗相されても仕方ないなあとニコニコ片付けていたのだから、かなり訓練されている。
私はまだそこまでではないと思うけれど、リュカがすることなら大抵の事なら許せるなと思った。
だって、リュカだから。
お猫様のすることに目くじらを立てていても仕方ないのだ。
私たちはお世話させていただいているのだから。
しかし――。
「とりあえずはおやつよね……」
気を取り直し、空っぽになったパウチを見る。最低でもこのおやつは購入しなければならないだろう。何せリュカの反応がすごすぎる。
「……まだ舐めてるの?」
とっくになくなったというのに、リュカはまだ餌皿を舐め続けていた。餌皿はまるで綺麗に洗ったかのようにピカピカに輝いている。……どう見ても舐めすぎだ。
「リュカ。もう食べ終わったでしょ。餌皿は回収するわよ」
「にゃー!(それ、僕の! 返して!)」
餌皿を取り上げると、リュカが目を三角にして怒りの声を上げた。
「ほら、もう何も入ってないわ。今日は諦めて……」
「にゃー!(まだ舐めるー!)」
「駄目よ。また今度ね」
リュカとしては舐めたりなかったのかもしれないが、さすがにこれ以上はどうかと思うので心を鬼にして回収させてもらった。
コメットを呼び、餌皿を持っていくよう命令する。部屋に置いたままだとまたリュカに狙われそうだと思ったのだ。リュカはどうしているかと見てみれば、餌皿が置いてあったローテーブルを舐めていた。
「嘘でしょ……」
まさかここまでとは思わなかった。
確かにおやつをあげれば喜んでくれるかなとは思ったが、予想以上の反応にこちらの方が驚いてしまう。彼はすっかり他の猫の匂いで怒っていたことなど忘れ、おやつの残り香に夢中だ。
「なー……」
「……もう、仕方の無い子」
あまりにも残念そうな声に、なんだかすごく優しい気持ちが込み上げて来た。
リュカに近づき、その背を撫でる。
「またあげるわ。ちゃんと買ってくるから」
「なー……」
ようやく気が済んだのか、リュカはテーブルを舐めるのを止めた。よしよしと頭を撫でる。
しかしおやつというのは、想像以上の効果があるようだ。
シリウス先輩からもらったおやつはまだまだある。
さっきのおかしを買うのは決定だとしても、他にも色々試してみたいところだ。
「ふふ……でも、今日は楽しかったわ」
リュカを撫でているうちに、なんとなく先ほどシリウス先輩の屋敷にアステール様と一緒に行ったことを思い出した。
友人の屋敷に遊びに行くという初めての体験。
いつかはと願っていたことが叶い、本当に嬉しかった。
「でもこれも、リュカのおかげよね」
シリウス先輩と今の関係を築くことができたのは、リュカという存在があったからだ。
私ひとりだけでは、きっと今も友達を作ることなんてできなかったと思う。
リュカが私の世界を広げてくれた。リュカをあの日見つけたことで、私の世界は確実に広くなった。
目標の友達百人にはほど遠いけど、0と1では全然違う。
最初の第一歩を踏み出せたことが大事なのだと分かっていた。
「次は、女の子の友達が欲しいわ」
同性の友人。今の私の立場を考えると難しいかもしれないが、それでもできれば……と思ってしまう。
できれば、猫が好きな子だと嬉しい。
一緒にリュカを可愛がってくれる、年の近い友人。
「大丈夫。シリウス先輩という猫友だってできたのだもの。きっと同性の友人だって作れるはず! ……あいたっ」
私がよそに気を取られていたのが気に入らなかったのか、突然リュカが噛みついてきた。
手の甲が痛い。前に噛まれたところと近いところに赤い線ができたが、自分が悪いと分かっていた私は、リュカに謝った。
「ご、ごめんね、リュカ。無視されたのが嫌だったのよね」
「にゃあ」
そうだと言わんばかりの顔をするリュカ。
うん、今のは私が悪かった。リュカの怒りは正当なものだ。
私はジンジンとする痛みを堪え、とりあえずはリュカの機嫌を取ることに集中した。