10
案内された隣室は、居心地良く整えられた客室になっていた。
猫の気配はなく、家具も傷ついていない。
花瓶には生花も飾られており、部屋には埃一つない。客を迎えるに相応しい場所だった。
指定された席に着くと、執事がやってきて、お茶の用意をしていった。
シリウス先輩はいない。猫のおやつを取りに行くと、先ほど出て行ってしまったのだ。
「あ、良い匂い」
漂う紅茶の香りに、頬が緩む。りんごの紅茶だ。
少し甘味があるが、これは蜂蜜だろうか。とても美味しい。
先にお茶を飲んでおいて欲しいと言われたこともあり、アステール様とふたりでお茶を楽しませてもらう。先ほど見たシリウス先輩の猫たちの話をしていると、しばらくして先輩が戻って来た。その手には山のようなおやつを抱えている。
「待たせたな」
おやつをローテーブルの上に置く。
ぱっと見ただけでも10種類くらいはありそうだ。
「すごい量ですね……」
「オレも色々試したからな。あいつらに見つかるとよこせよこせとうるさい。部屋を変えたのはそれも理由だ」
「な、なるほど……」
そういえば、リュカもご飯のパッケージを覚えている。最近では袋を見ただけで、期待で尻尾が上がるくらいだ。それがおやつならどうなるか……。
――無理ね。目の色が変わりそうだわ。
簡単に想像が付いた私は、深く納得した。
ローテーブルの上に置いたおやつを、シリウス先輩が解説していく。
まずは細長いパウチを指さした。
「一番有名なのがこれだな。子猫から老猫まで使える。大体の猫は好きだと言っていいおやつだ」
「子猫にも使えるんですか……」
私にとっては最も重要な情報だ。そのお菓子は十センチほどの細長いパウチに入っていて、使い切りタイプのようだった。
「液状だから、使いやすい。水分補給にも使える。あと、これは固形のおやつだな。噛むと中身が蕩ける仕様になっている」
「へえ」
コロコロとした一センチほどのお菓子を見せられる。
香りが強い。茶色で丸い形をしている。リュカには少し大きなサイズかもしれない。
「一個で二キロカロリーとカロリーコントロールがしやすい。ただ、チビは喉に詰まらせるやつもいるから、これはもう少し大きくなってからの方がいいだろう」
「やっぱりそうですか……」
大きめのおやつは今は無理、と心に書き付ける。
更にシリウス先輩は、魚の形をした小さなクッキーのような見た目のおやつや、カップに入った液状の別のお菓子などを見せてくれた。
ひとつひとつ丁寧に説明してくれるので分かりやすい。
「……猫のおやつって本当に色んな種類があるんですね」
持ってきた菓子の説明を聞き終え、息を吐く。まさかこんなに説明してもらえるとは思わなかった。
とても有り難い。
「どうしても好き嫌いがあるし、飽きるやつはすぐに飽きるからな。種類は持っておいた方がいい」
「な、なるほど。勉強になります」
1種類、お菓子を用意すればいいというものではないと知り、頷いた。
隣ではアステール様が実際の商品を手に取り、シリウス先輩に色々と聞いている。
その内容は、内容物が何かとかそういう話で、彼なりに気になるところを聞いてくれているのだと分かった。
猫のおやつを挟み、二人は真剣に会話している。
原材料など一通り説明を受け納得したのか、アステール様が頷く。
「ありがとう。大体理解したよ」
「お役に立てたのなら何よりです。これら全てお持ち帰りいただいて結構ですので、色々試して見て下さい」
「え、良いんですか? こんなに?」
シリウス先輩の言葉に驚いた。
ローテーブルの上にはかなりの種類のおやつが並べられている。それらを全部持って帰っていいなんて、有り難いよりも申し訳なさの方が勝ってしまった。
「さすがにこんなにもらえません」
「気にするな。どうせ余っていたものだ。リュカの好みを知るためにもちょうどいい」
「……ありがとうございます」
余っていたなんて、絶対に嘘だ。
それは分かっていたけれど、そこまで言ってもらっては断れないと思った。
心の中で、今度、別で何かお礼をさせてもらおうと決める。
「菓子は食事とは違うから、やり過ぎないように注意しろ。太る原因にもなるからな」
「はい」
「基本の食事はマルルで、たまの褒美にのみ使うように」
「分かりました」
注意を聞き、再度頷く。
たくさんのお土産をもらった私たちは、それから三十分ほどシリウス先輩の屋敷に滞在させてもらってから、屋敷に戻った。
猫部屋も再度覗いたのだが、残念ながら猫たちにはほとんど触らせてもらえなかった。
皆、警戒してしまって、私たちが近づくだけで逃げるのだ。
一番鈍いと言われている『ファー』という子だけ、なんとか触れることができたが、それも軽くツン、程度。
シリウス先輩なら逃げないのに、私たちが来ると、どの子もさっと散ってしまう。
これが飼い主との差というものかと実感した。
「もし次があるのなら、今度こそ触らせてもらいたいです」
屋敷に戻り、馬車のタラップを降りながら決意を告げると、アステール様は苦笑した。
「そうだね。私も全然触らせてもらえなかったよ」
「逃げ足、早かったですよね。リュカはわりと誰にでも抱っこされてくれる子なので、ある意味新鮮でした」
「確かに」
話しながら屋敷の廊下を歩く。
アステール様が屋敷の中まで着いてくるのは、もう当たり前のようになってしまった。すれ違う使用人たちもいつものことだとばかりに頭を下げる。
部屋の扉をあけ、愛猫の名前を呼んだ。
「リュカ。帰ったわよ」
「みゃー……!」
わーいと突進してこようとしたリュカの動きがピタリと止まる。
その顔が信じられないものをみたというものになった。
「リュカ? どうしたの?」
何故そんな顔をされるのか。いつも通りおいでと手を伸ばすと、彼は俊敏なバックステップで後ろに下がった。
「み、あー!!(浮気! 駄目、絶対!)」
「あ」
「え」
――浮気?