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3

 頬から熱が引かないのが恥ずかしい。パタパタと自分を扇いでやりたいくらい、のぼせ上がっている自覚があった。


 ――私、今までどうやってアステール様のこの甘々攻撃を躱していたのかしら。

 

 ついこの間まで、恥ずかしいと思いはすれどもそれなりに流せていた自分が信じられない。

 だけどそう言いつつも、なんとなく理由は分かっていた。

 婚約者へのリップサービスだと思い込んでいたから、本気ではないと決めつけていたから平気だっただけなのだ。それが一転、彼の言葉が私を心から思って告げられていたと理解してしまったから私はどうしようもなく恥ずかしくて、逃げられなくなっている。

 アステール様が向けてくれる思いを笑って受け流せなくなっている。

 

 ――困ったわ。


 どうしたらいいのだろう。

 自分の気持ちを制御できない。彼に恋して受け入れるという選択肢なんてどこにもないのに。

 だって一度でも受け入れて、そうして裏切られでもしたら――きっと私はみっともなく縋ってしまうから。

 それこそゲームでよくある『悪役令嬢』のように、アステール様を失わないためなら、どんなことでもやるだろう。

 そしてそれが原因となり、決定的に嫌われてしまうのだ。

 実に分かりやすい未来。これこそがゲームの正規の流れと言われても納得できてしまうくらいには自然だ。

 だから私は彼に恋をしたくない。悲惨な未来になると分かっていて恋をするなんて馬鹿なこと、したくないのだ。


「……」


 カタンカタンと馬車が揺れる。のぼせ上がっていた気持ちが一瞬で沈んでいくのが分かった。

 そうだ。私は恋なんてしない。乙女ゲームの悪役令嬢にはなりたくない。

 だから、アステール様の思いは受け取れない。それで正解なのだ。

 彼には悪いけど、このまま気づかないふりをして、最後までやり過ごしたい。

 そうして彼らが恋人同士になった際には、さっと婚約解消を申し出て、邪魔することなく新たな恋を成就させたふたりを祝福するのだ。

 そうすれば、役目は終わり。最初に私が願ったとおり、断罪されることなく悪役令嬢という役割から解放される。自由の身になれるのだ。それを狙うのが正しい。

 必死で自分に言い聞かせる。

 

 ――ええ、そうよ。そうしなければ。それが私の取る唯一の道。


「スピカ?」


 アステール様が私を呼ぶ。

 それに返事をしながら私は、この先自分はどうなってしまうのだろうと一抹の不安を抱えていた。


◇◇◇


「リュカ、お願いだから大人しくしててちょうだい」

「みゃあ!」


 屋敷に戻った私たちは、早速リュカの爪切りに挑戦することにした。

 逃げ出さないように扉をしっかりと閉める。コメットには、爪切りが終わるまでは開けないようにと言っておいたので、邪魔が入ることはないだろう。

 リュカに視線を向ける。普段なら私の側にやってくるのに、何故かリュカは部屋の奥へと逃げ出した。


「みゃあ! みゃあ!(嫌! なんかすごく嫌な感じ!)」


 どうやら私たちの雰囲気だけで自分にとって嫌なことが起こると察したらしい。

 とはいえ、リュカの爪は大分伸びている。放置すればあちこちに引っかけて辛いのは彼なのだ。

 ここは心を鬼にして、なんとしてでも捕まえなければ。


「アステール様」

「うん、分かっている。追い込むよ」

「はい」


 アステール様と協力し、リュカを部屋の隅へと追い詰める。

 逃げ場をなくしたリュカが、泣きそうな顔で私たちを見上げてくる。

 どうして僕を虐めるの、とでも言いたげな表情に心が痛んだが、ぐっと堪えた。


「じっとしててくれたらすぐに終わるから。ね?」

「あーん!(嫌!)」


 手を伸ばすと嫌がられたが、それをものともしなかったアステール様がひょいとリュカを抱き上げた。


「しゃーっ!(離して!)」

「あ、しゃーって言ってる……」


 初めて聞いたリュカの威嚇の声。彼はアステール様の腕の中から逃れようと必死で暴れている。

 耳は外側を向き、尻尾は膨らんでいた。リュカを拾ってから今まで一度もこんな反応をされたことがなかったのでなんだか感動してしまう。


「リュカ……威嚇できたのね」

「えっ?」


 噛みつこうと暴れるリュカを上手く躱していたアステール様が吃驚した顔でこちらを見てくる。


「スピカ? え、どうして感動しているの?」

「どうしてって、だってリュカって野良猫だったのに、全然私たちに対して警戒しなかったでしょう? だから私、リュカのことを勝手にそういう子なんだって思っていたんです。でも、こうやってちゃんと威嚇することもできるんだってわかったらなんだかじーんとしてしまって……」


 リュカは最大限に怒っているのだろうが、私としては思いきり頭を撫でたいくらいの気持ちだ。

 優しい気持ちでリュカを見る。


「ふふっ、威嚇するリュカも可愛いわよ」

「まあ……可愛くないとは言わないけど。あ、スピカ。それより爪を。今日の目的を忘れてない?」

「あ、すみません」


 アステール様の指摘通り、すっかり目的を忘れていた。

 慌ててキャビネットの引き出しを開ける。

 この引き出しは、リュカのお手入れ用品専用なのだ。中にはトイレ掃除用の道具やブラシ、小さなおもちゃなどが入っている。

 その中から新品のハサミ型の爪切りを取り出した。


「え、えーと、まずは……」


 アステール様に抱えられたリュカの小さな前足を取る。爪が伸びているのが見えた。これをこのまま切ればいいのだろうか。

 ハサミを当てようとすると、アステール様が止めた。


「違う。まずは爪の下の肉球を軽く押さないと。そうしたら爪が出てくるから」

「え? は、はい……」


 そういえば、さっきもアステール様は言っていた。

 肉球を押して爪を出すのだと。その言葉の意味はよく分からなかったが、言われた通り、肉球をきゅっと押してみた。


「あ」


 にょきっと爪が出てきた。思っていたより長いし、鋭い。

 これを、切るのか。


「あ、アステール様……爪が」

「うん。それでいい。中に血管が通っているから切りすぎないように気をつけて。赤い線みたいなものがあるだろう?」

「は、はい」


 爪をよく観察する。確かに爪の真ん中くらいまで赤い線のようなものが見えていた。

 これが猫の血管なのかとしっかり覚える。


「ありました」

「それを切ると、血が出るし深爪になるからね。その手前までを切るんだ……って、あ!」

「みゃあああ!! (嫌!)」


 たん、と後ろ足でアステール様を蹴り、リュカが彼の腕から逃げ出した。おそらく、我慢の限界を超えたのだろう。ものすごい勢いで、カーテン裏へと回り込む。


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一迅社ノベルス様より『悪役令嬢らしいですが、私は猫をモフります3』が2022/8/1に発売しました。電子書籍版も発売中。よろしくお願いいたします。
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