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◇◇◇
「いらっしゃいませ、シリウス先輩」
一緒に馬車で行くのは嫌だと言われたので、先に帰って準備を整えていると、約束通りシリウス先輩がやってきた。
自室だと気にするかと思ったので、客室に通す。コメットだけではなく執事たちも同席していた。
友人となった先輩が来るのだと言った私に皆、喜び、自発的に協力してくれたのだ。
それを見たシリウス先輩はなんだかホッとしたような顔をしていた。
「シリウス先輩、リュカです」
「……!」
リュカを抱き上げ、シリウス先輩に見せる。彼の目が輝いたのが良く分かった。シリウス先輩と話して、彼が猫好きだというのは分かっていたつもりだったが、これほどだとは思わなかった。彼は私からリュカを受け取ると、嬉しげに目を細めている。
「……可愛い」
「ええ、とっても可愛いですわよね」
「やはり、子猫はいい」
そう言いながらシリウス先輩はソファに腰掛け、足の間にリュカを置いた。頭を撫でる手つきが優しい。リュカもされるがままになっている。
「にゃああん」『気持ちいいにゃ~』
やはり生粋の猫好きは違う。リュカはうっとりとした顔で実に気持ちよさげだ。シリウス先輩のその妙技を是非とも習いたい。
だけどそれと同時に私はひとつどうしても気になったことがあった。
「シリウス先輩」
「なんだ」
「その……リュカが何を言っているか分かったりします?」
リュカの言葉が分かることはアステール様と二人だけの秘密。だが、こういう聞き方なら構わないだろうと思ったのだ。
シリウス先輩はリュカの背中を撫でながら眉根を寄せた。
「お前は何を言っているんだ。猫は喋らない。当たり前だろう」
「そ、そうですね。ええと、シリウス先輩ほどの人ならある程度察せられるのかなと思っただけです」
やっぱり分からないのか。
そう返ってくるだろうことは想定していたので、予め用意していた回答を口にした。それに対し、シリウス先輩は怪訝な顔をしつつも丁寧に答えてくれる。
「もちろん、今までの経験からある程度は分かるが。ああそうだ。ブラシはもっているか?」
「ブラシですか? はい」
「貸せ」
手を出され、私は慌てて買っておいたブラシをシリウス先輩に渡した。
ブラッシングはまだ一度もしたことがない。まだまだ猫初心者。そこまで辿り着けていないのだ。
「ブラッシングはこまめにしてやれ。皮膚病なんかにも気づきやすい。特に、春と秋の生え替わりの時期なんかはしっかりとな。こいつは短毛種のようだが、毛が多い。最低でも一日一回はした方が良いだろう」
「は、はい」
「ブラッシングや爪の手入れ、歯磨きもだが、子猫のうちに慣らしておくと後が楽だ」
「べ、勉強になります……!」
近くにあったメモ帳に書き留めた。
特に歯磨きについては存在すら忘れていたので、助かった。やはり一度や二度の買い物程度で買いそろえられるものではないらしい。
また出掛けなければならなそうだ。
「しかし、元野良だったわりには人懐っこいな。慣れるまでひと月以上掛かるような猫も珍しくないのだが」
「この子は最初からこんな感じでしたわ。おそらく、人間に酷くされたことがないのだと思います」
「いいことだ」
その言葉に全くだと同意した。
シリウス先輩のブラッシングが気持ちいいのか、リュカは上機嫌にゴロゴロという音を出している。
飼い主としてはあっという間に他人に懐かれて複雑な気分ではあるが、リュカが嬉しそうならなんでもいいという結論に達した。
シリウス先輩のことをリュカも好きになってくれている。私の年上の友人をリュカが好んでくれたことが純粋に嬉しかった。
使用人たちがテーブルにお茶の用意をした。シリウス先輩がリュカを抱っこしたままお茶を飲み始める。危なげは全くないので見ていても安心だった。
お茶を飲みながらリュカや、シリウス先輩の飼っている猫の話も聞かせてもらう。
四匹の猫を飼っているシリウス先輩の話は楽しく新鮮で、何を聞いても楽しかった。
「……お嬢様」
話に夢中になっていると、新たな使用人が客室へとやってきた。
「どうしたの?」
「その、殿下がいらしております」
「え? アステール様が?」
慌てて立ち上がった。シリウス先輩もアステール様の名前を聞き、立ち上がる。その拍子にリュカが彼の膝の上から転がり落ちてしまった。
機嫌良くしていたのに台無しだと言わんばかりの顔で、落とした張本人であるシリウス先輩に文句を言っている。
「んにゃー!」『何するにゃー!』
「す、すまない」
律儀にリュカに謝るシリウス先輩。私は使用人に確認した。
「本当にアステール様がいらしているの? 今日はお忙しいと聞いていたのだけれど」
「一段落ついたので、お嬢様の顔を見に来たのだとおっしゃられて。今、玄関ロビーにいらっしゃいますが、こちらにお通ししても?」
「もちろんよ。失礼のないようにお通ししてちょうだい」
国の第一王子であるアステール様を待たせるなんてさせられるわけがない。急いで指示を下すと、ほどなくしてアステール様がやってきた。
学園帰りではないためか、制服姿ではない。王子らしい華やかな服装に身を包んだ彼は私を見て笑顔になったが、シリウス先輩に気づくと、すっと表情を消した。
「どうして君がここにいるのかな。シリウス・アルデバラン」
「っ!」
声が怒りを孕んでいる。
アステール様が怒っていると分かった私は、慌てて二人の間に割って入った。
シリウス先輩は何も悪くない。無理に彼を家に招いたのは私なのだから、怒られるべきは私だと思ったのだ。
「あ、アステール様。シリウス先輩は私が呼んだのです。その、猫友達として色々相談に乗って欲しくて。だから――」
「スピカ。君には聞いていない。私はシリウスに尋ねているんだ」
「……はい」
言外に下がれと言われ、私はそれ以上何も言えず二人から距離をとった。
シリウス先輩は何も言わない。ただ、その表情には「やっぱりな」と書いてあるような気がした。
「シリウス。向こうで少し話がある」
「……承りました」
アステール様に命令され、シリウス先輩が頷く。ふたりは廊下に出て行くようだ。私はどうすればいいのだろうとオロオロしているとアステール様が言った。
「スピカ。君は私たちが戻ってくるまでここで待機だ。分かったね?」
「……はい」
バタン、と音がし、扉が閉まる。私はすぐ近くに控えていたコメットの元に駆け寄った。




