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◇◇◇
無事、ダンスレッスンの授業も終わり、昼休みになった。
アステール様には昨日、シリウス先輩に会いに行ってもいいという許可をもらっている。
それもあり、昼休みになるのがとても待ち遠しかった。
昼食を手早く済ませ、急ぎ足で図書館に向かう。扉を開け、貸し出しカウンターを見ると、そこにはいつも通りシリウス先輩がリラックスした様子で座っていた。
「こんにちは、シリウス先輩」
「お前か。殿下の許可はいただいたんだろうな?」
「はい、もちろんですわ!」
本当かという顔をされたが、もう一度大丈夫だと言うと、「それならいい」と頷かれた。
昨日と同じ、シリウス先輩の隣の席に座る。
昼休みは有限だ。時間もないので、まずは一番大事な首輪の報告を行った。
黒いリボンの首輪を買ったという話をすると、珍しくシリウス先輩の顔がほころんだ。
「そうか。黒のリボンか……」
「すごく可愛いんですのよ」
「ああ、分かる」
うんうんと頷かれ、嬉しくなった。
猫飼い同士、やはり話をするだけでも楽しいのだ。
私はシリウス先輩にリュカがいかに可愛いかという話を飽きることなく続けた。
シリウス先輩は相づちを打ってくれるだけだが、話を聞いてくれているのは伝わってくるし、どことなく楽しそうな雰囲気なので、嫌な気持ちにならない。
「はあ……話していると、リュカに会いたくなってしまいましたわ」
「それは分かる。学園にいる間、あいつらが何をしているのか気になるしな」
「そうなんです!」
言葉にも自然と力がこもってしまう。
「子猫は特にそうだろう。子猫の期間は短いからな。一時も離れたくないと思う気持ちは分かる」
「ええ、ええ!」
「しかし子猫か……久しく見ていないな」
そう呟くシリウス先輩の目は在りし日の己の猫たちの子猫時代を思い出しているようだった。
優しい表情をしている。猫に対する深い愛情が見え、私も心が温まったような気がした。
ああ、シリウス先輩と話すのはやっぱり楽しい。
できれば昼休みの短い間だけでなく、もっと時間をとってしっかりと猫について語らいたい。
子猫を懐かしむシリウス先輩にリュカを見せてあげたいし、できれば色々な知識を授けてもらいたい。それにはこの短い時間では足りなすぎる。
――あ、そうだわ!
残念だと思ったところで、素晴らしい案を閃いた。
私もシリウス先輩も楽しいと思える妙案だ。
思い立ったが吉日。早速思いつきを実行に移そうと、私はシリウス先輩の名前を呼んだ。
「シリウス先輩」
「なんだ」
私の呼びかけにシリウス先輩が視線を向けてくる。私は彼の目を見ながら誘いの言葉を口にした。
「宜しければ、放課後にでも我が家にリュカを見にいらっしゃいませんか?」
「……は?」
たっぷり十秒は黙り込み、シリウス先輩は信じられないものを見たかのような顔で私を見た。
「お前、何を言っているのか自分で分かっているのか?」
「? はい。もちろん分かっていますけど。シリウス先輩は先ほど子猫を懐かしむような発言をされていましたから、うちのリュカを見せて差し上げたいと思ったのですが……何かおかしいですか?」
うちに来てもらえれば、リュカも見せてあげられるし、もっと猫について語ることもできる。
どちらも損をすることのない素晴らしい案だと思ったのだが、何か私は見落としでもしていただろうか。
「シリウス先輩?」
「いや……おかしいもなにも、お前は女性だろう。それに殿下の婚約者だ」
「はい。それはそうですけど、その前に私たちは猫友達ではないのですか? 友人の家に遊びに行くというのは普通だと思うのですが」
短い期間ではあるが、私はすっかりシリウス先輩を猫友認定していた。
望んでいた同性友達ではないが、それでも友人一号だと、そう勝手に認識していたのである。
友人の家に遊びに行く。何もおかしくない。
「……」
驚いた目でシリウス先輩が私を見てくる。どうしてそんな顔をされるのだろうか。
もしかしなくても、友人だと私が言ったのが迷惑だったとか?
そうだとしたら、ショックかもしれない。
だが、シリウス先輩から言われるよりも自分で言い出した方がショックは小さい。そう思った私は一応確認してみた。
「すみません。お気を悪くされましたか? その……友人などと言ってしまい申し訳ありませんでした」
「い、いやそういうことでは……」
「えっ、じゃあ、猫友達って思ってもよろしいんですの?」
「あ、ああ」
「やったわ! 初めてのお友達よ!」
嬉しさのあまり快哉を叫んでしまった。
だけど仕方ない。だって、シリウス先輩が『友達と思って良い』と認めてくれたのだから。
――嬉しい。嬉しいわ!
間違いなく、私の立場と何も関係のない友達だ。そのことが嬉しくて、小躍りしたくなってしまう。私がアステール様の婚約者でなくなっても、きっとシリウス先輩の態度は変わらないだろう。だって彼は『猫友』なのだから。
「私、こんなに嬉しいの久しぶりです!」
「そ、そうか……」
「お友達なのですから、家に来て下さいますわよね!」
「……殿下は」
だからどうしてそこまでアステール様のことを気にするのだろう。
確かにアステール様は私の婚約者だが、友達がひとり遊びにくるくらいで文句を言ったりはしないと思う。
「大丈夫ですわ。今日だって、シリウス先輩と会うことを許してくれたのですもの」
アステール様はシリウス先輩のことを『弁えている』と言っていた。信頼を滲ませるような発言もあったし、シリウス先輩ならきっと怒らないと思う。
「それに今日はアステール様はどのみち我が家にはおいでにならないと思います。昨日、『明日は忙しいから学園に行けない』とおっしゃっておられたくらいですもの」
「ああ、そういえば殿下のお姿を拝見していないな」
「でしょう? ですからシリウス先輩が心配することは何もないのです」
「……本当にそうか?」
「はい。もちろん」
友人を招くだけなのに、どうしてここまで警戒されるのか。
そりゃあ私は女性だけれども、屋敷には使用人たちもいるし、そもそもリュカを見せたいだけだ。心配することなど何もないと思うのだけれど。
できれば初めてのお友達を屋敷に招きたい。そんな気持ちで彼を見ていると、根負けしたのかシリウス先輩が特大の溜息を吐いた。
「……分かった。招きに応じよう。だが、子猫を見るだけだぞ。見たらすぐ帰るからな。あと、絶対にお前とふたりきりにはならない」
「はい、もちろんですわ! ありがとうございます!」
いくら友人とはいえ、婚約者以外の男性と密室でふたりきりになるような愚は犯さない。
当たり前のことだ。
「楽しみにしています!」
初めて友人を家に呼べる。
私はウキウキとしながらシリウス先輩に笑顔を向けた。