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今日の午前の授業は、ダンスレッスンだった。
もちろん、貴族にダンススキルは必須。高位貴族は皆、ほぼ完璧にダンスをこなせるが、下級貴族となれば話は違う。
爵位はあっても家庭教師を付けられるほど裕福ではない家もあるし、商売で成功して成り上がり爵位を持つに至っただけで、貴族が持つべき当然の嗜みを身につけていないような者たちもいる。そういう家の子供たちに一般的な貴族が持つべき礼儀作法や社交界のルールなどを教えることにこの学園は役立っているのだ。
高位貴族たちが下級貴族たちにダンスやマナーを教え、それにより新たな交流が生まれる。
パートナーは毎回違っていて、その都度教師たちが決めている。今日の私のパートナーは一年生だったが、相手はノヴァ王子だった。
ノヴァ王子が相手なら、ダンスを教える必要もない。正直寝不足で怠かったので、楽ができそうなのは助かったと思っていた。
「ノヴァ殿下、今日はよろしくお願いします」
「姉上」
ノヴァ王子に声を掛けると、彼はにぱっと太陽のような笑みを見せた。
明るい、なんの含みもない笑顔。月を連想させる静かなイメージのあるアステール様とは真逆のからっとした笑みをとても眩しく思った。
「オレのパートナーは姉上か? 参ったな。兄上に嫉妬されてしまいそうだ」
「まあ、ノヴァ殿下ってば」
ノヴァ王子が手を差し出してくれたので、その手を取る。
練習用の音楽が流れているので、それにあわせて軽く踊り始めた。思った通り、ノヴァ王子のダンスは完璧で、私が教えるようなことは何もない。
「一年と二年が組むことは多いと聞いていたんだ。誰かに教えるなんて初めてで緊張していたから、姉上が相手で助かったよ」
「二年はほぼ全員踊れますから、教えることはないと思いますけど」
「そうなのか?」
「ええ、踊れなかった者も大抵は一年のうちに踊れるようになりますから」
学園というだけあり、もちろん進級するにあたっては試験がある。その試験内容にはダンスレッスンの項目もあるのだ。
最低限踊れなければ、落第になってしまう。
そういうことを踊りながら説明すると、ノヴァ王子は「なんだ」とホッとしたように言った。
「じゃあオレが教える必要はないのか」
「二年と当たるのが絶対というわけではありませんから。一年と当たって、もしその子が踊れなかった場合は指導してあげてくださいね」
「なるほど、分かった」
去年の自分の体験談を話すと、ノヴァ王子は素直に頷いた。そうしてそういえばと言う風に話し掛けてくる。
「話は変わるが、兄上に聞いたぞ。子猫を拾ったんだって?」
「はい」
ノヴァ王子の言葉に頷いた。ノヴァ王子は楽しそうな声で私に言う。
「兄上、ここのところ毎晩『猫の飼い方』とか『猫の病気について』とか『猫、初心者入門。愛猫に好かれるためには』みたいな本を夜遅くまで読んで勉強してるんだ。相変わらず健気だよな」
「まあ、アステール様が? そんなに?」
調べてくれたという話は確かに聞いていたが、そこまでしてくれていたとは知らなかった。
私が驚いた様子を見せると、ノヴァ王子は「やっぱり知らなかったんだな」とおかしそうに笑う。
「兄上、そういうところ見栄っ張りだからな。姉上に良いところを見せたかったんだと思う」
「アステール様は見栄っ張りなんかじゃありませんわ」
「見栄っ張りさ。特に姉上に対しては。常に自分の一番いいところを見せたいんだから。オレが今の話をしたことだって、もしバレたらめちゃくちゃ怒られると思うし」
だから秘密な、とウィンクをするノヴァ王子に私は頷いた。
「分かりました」
「でも、猫か。オレ、猫とか生き物系苦手なんだよ」
「そうなんですか?」
天真爛漫なノヴァ王子なら、動物全般得意なのではと勝手に思っていた。
意外だという顔をすると、ノヴァ王子は顔を顰める。
「嫌いってわけじゃないんだ。可愛いなっていうのは思う。でもさ、なんか触るとか無理なんだ。なんというか……壊してしまいそうで怖いんだよ」
「壊す、ですか?」
どういう意味だろう。
くるりとターンをする。ノヴァ王子は上手くタイミングを合わせながら話を続けた。
「なんか、柔らかいだろ? どれくらいの力で触ればいいのか全然分からない。間違って傷つけたらと思うと触れないし近寄れない。姉上、よく猫なんて拾おうと思ったな」
どうやら本気で言っているようだ。リュカは確かに小さくて柔らかいが、普通に触って問題ない。経験がないからイメージでそんな風に思うのかもしれないが、無理に押しつけるものでもないだろう。
いずれ、触ってみようと思ったときにでもチャレンジしてみればいいと思う。
そうすれば実際はどんなものか分かるだろうから。
とりあえず今は、ノヴァ王子の問いかけに答えておこう。
「私、実は昔から猫が好きで、いつか飼いたいって思っていたんです。だから、今回のことは偶然ではなく運命だと思っていますわ」
よく拾ったなと言われた言葉に対し、そう答えると、ノヴァ王子はパチパチと目を瞬かせた。
「なるほど。そりゃあ兄上が頑張るわけだ」
「?」
「運命だと思ってるくらいなんだ。結婚したら城に連れてくるんだろう?」
「は、はい……」
当たり前のように聞かれ、一瞬言葉に詰まったが、とりあえずは頷いた。
私の事情を、当たり前だが私以外は知らないのだ。そういうつもりで会話をしなければならない。
「アステール様も許可してくださっているみたいですし。その……私もそうしたいと思っています」
ペットショップの店主が猫を城に迎えるのかと聞いた時、アステール様は迷わず頷いていた。それを思い出し告げると、ノヴァ王子は「だろう?」と納得したような顔をした。
「姉上と一緒に飼う気でいるから勉強してるんだよ。兄上、相変わらず姉上のことが好きだよな。今日、一緒にダンスをした、なんて話したら本気で殺されそうだ」
「殺される、なんて大袈裟ですわ」
「兄上が姉上を好きだってところには反応しないわけ?」
「私もアステール様のことはお慕いしておりますから。とても素敵な方で、私には勿体ないと常々思っています」
ノヴァ王子にそう答え、あとはダンスに集中する。
ノヴァ王子が微妙な顔をしていたが、それがどういう意味なのか私には分からなかった。




