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◇◇◇
アステール様と店に行き、首輪と爪切りを無事、購入した。
首輪は黒を選んだ。肌触りがよく、何かに引っかけると首輪が外れるよう、安全設計になっている。裏には住所と名前を書く欄があり、なるほどこれがあれば万が一の時でも帰ってこられる確率が上がるのだなととても納得した。
首輪は可愛いリボンの形をしたものにした。金色の小さな鈴がついている。
黒はリュカの体毛にもある色なのできっと似合うだろうと選んだのだが、今から付けるのが楽しみだった。
爪切りは、ハサミのような形のものを購入した。どれがいいのか分からなかったので店員に聞いてみたところ、切れ味がいいものを選ぶようにとアドバイスを受け、お勧めのものに決めた。まだ爪を切るのは先だろうが、その際には頑張らなければならないだろう。
リュカが協力してくれるといいのだけれど。
「ただいま帰りました」
アステール様と一緒に屋敷に入る。
これで三日連続、アステールと放課後を過ごしているのだが変な感じだ。ついこの間までは、馬車での行き帰りくらいしか接点はなかったのに、今ではずっと一緒にいるのだから。
もうすぐアステール様とはお別れなのに、逆にどんどん距離が近くなっている。それをまずいなと思う気持ちはあるのだが、それよりリュカのことを色々話せるのが嬉しくて、まあいいかとあえて気にしなくなっている。
とても、よくない傾向だ。
徐々に距離を遠くしていこうと思っていたのに正反対のことが起こっている今の状況。それに甘んじている自分。全部がよくないと分かっているのに、それを止めようと思えないのだから。
「……まずいわ」
「うん? 何か言った?」
「い、いいえ。なんでもありませんわ」
考えていたことが独り言として出ていたようだ。
慌てて誤魔化し、アステール様と一緒に部屋に向かう。階段を上っている最中からリュカの声が聞こえて来た。
「あーん……ふなあん。ふなぁん」
「……鳴いていますね」
「うん。鳴いているね。ずいぶんと面白い鳴き方をしているけど」
「そうですね。ふなあんって言ってます。にゃあじゃないんですね」
猫というのは本当に面白い。
飼うまでは「にゃあ」としか鳴かないと思っていたのに、リュカはわずか数日でたくさんの鳴き声を披露してくれた。
多分、にゃあはメインの鳴き声ではない。
色々ある鳴き声の中の一つでしかないのだ。
「猫は『にゃあ』としか鳴かないって私、思っていました」
「私もだよ。実際に飼わないと分からないことがいくらでもあるね」
「はい。……リュカ、帰ったわよ」
「んにゃー!!」
扉をそっと開けると、リュカが目の前にいた。どうやら扉の前で待ち構えていたらしい。私の足に己の頭や身体を擦りつけ、ふにゃふにゃ言っている。可愛い。
「んなう」
足の上にばたんと横向きに倒れた。撫でろという要求だと理解し、背中の当たりを毛並みに沿って撫でる。転がっていても尻尾がぴょこんと上がっていくのが面白い。
「ただいま。お利口にしてた?」
「なーん」
返事のような声に笑顔になる。一緒にいてくれたコメットを見ると、彼女は今日もすっかり疲れ果てていた。
「お嬢様、お帰りなさいませ」
「帰ったわ。今日も大分、振り回されたみたいね」
「ええ、とっても。猫じゃらしがずいぶんと気に入ったみたいで大騒ぎでしたわ。元気いっぱいで遊んでいたかと思えば突然バタンと倒れて寝るんです。最初は何事かと驚きました」
「昨日もそうだったのよ。子猫だから体力がないのよね。言っておけば良かったわ」
昨日のことを思い出しながら言うと、コメットはホッとしたように頷いた。
「みたいですね。同僚もそう言っていました。今はお昼寝から起きて、元気いっぱいといったところでしょうか。馬車が着いたくらいからずっと鳴いていましたよ。お嬢様が帰ってきたことを分かっていたんでしょうね」
「そうなの? ありがとう、待っていてくれたのね」
帰りを待っていてくれたというのは嬉しい話だ。しゃがみ込み、リュカの頭を撫でる。アステール様がドアを一人分だけ開け、その隙間から入ってきた。リュカが逃げないよう気遣ってくれたのだろう。
アステール様を見たコメットが、慌てて姿勢を正す。
「ま、まあ! 殿下。申し訳ありません。いらっしゃっているとは存じませず」
まさか三日連続アステール様が我が家に来るとは思わなかったのだろう。それについては私も同意見だ。
「リュカを心配してきてくださったの。お忙しいのに有り難い話だわ」
「そ、そうなんですね……。あ、私、お茶の用意をして参りますっ!」
ハッと気づいたようにコメットが言う。その言葉で、すでに二日、お茶すら出していなかったことに気がついた。客人で、王太子である彼にとんでもなく失礼な話だ。
私も慌てて言った。アステール様に頭を下げる。
「そ、そうね! お願い。アステール様、申し訳ありませんでした。今まで碌に歓待もせず……いくらリュカのことがあったとはいえ」
「気にしていないからいいよ。私も今、君たちに言われるまで気づいていなかったくらいだし。大体、昨日も一昨日も、お茶どころではなかっただろう?」
「それは……そうですけど」
それで済ませてしまっていいものではないような気がする。
食い下がる私に、アステール様は困ったように言った。
「じゃあ、今日はいただくことにしようか。それでいいだろう? コメット、と言ったかな。美味しいお茶を期待しているよ」
「は、はいっ!」
ぴょんっと飛び上がり、コメットは大きな声で返事をした。
深く頭を下げ、「用意してまいります」と言って、部屋から出ていく。
「スピカ。君もこれで気にするのを止めてくれるかな?」
「……アステール様がそうおっしゃるのでしたら」
「うん、良かった」
本当は全然よくなかったが、しつこく言っても仕方ない。
気持ちを切り替え、リュカを見る。リュカは今度はアステール様に擦り寄っていった。当たり前だが彼の白い毛がアステール様の制服につく。