第三章 迷子防止に首輪は必須です
「なーん! なーん! なあああああん!」『お腹空いたニャアアアアア!』
「うるさーい!」
脳裏に直接響くような大声が耳元でし、飛び起きた。
時間は夜中の三時。紛うことなき真夜中である。
「にゃーん」
「……リュカ」
枕元にはいつの間にやってきていたのか、リュカがいて、くるんとした目で私を見上げている。
その顔は「起きた? 起きた?」とばかりに嬉しそうで、なんだか気が抜けてしまうと思った。
「……お腹空いたの?」
「にゃ」
言葉こそ聞こえなかったが、表情で分かる。
私は諦めてベッドから降りた。近くにあった大判のショールを羽織り、リュカの餌を保管してある引き出しを開ける。
「昨日の反省を生かしてお湯を用意しておいて良かったわ」
昨晩、真夜中にお湯をもらいに行ったことを思いだし、念のため、準備しておいたのだ。
テーブルに置いてあるのは単なるポットにしか見えないが、実は魔法が掛かっていて、お湯の温度が下がらないようになっている。前世でいうところの魔法瓶のような感じだと思えばいい。
「ええと……マルルを入れて、と」
正確に分量を量り、餌皿に入れる。本来ならこれは朝食で、朝に用意すべきものなのだが起こされてしまってはしょうがない。きっともらうまでリュカは諦めないだろうし、そうなうと私は寝不足になってしまう。それは避けたかったので、大人しく少々早すぎる朝食を与えることにしたのだ。
「なーん! なーん!」
ご飯がもらえると分かったのか、リュカは嬉しそうな甘えた声で鳴いている。
喜びが爆発したのだろう。近くのソファに飛び乗ると、ガリガリと爪とぎを始めてしまった。
「きゃあ! リュカ! だめよ!」
慌てて中断し、リュカのところへ行く。ソファの背もたれをガリガリするリュカを持ち上げると気に入らないのか思いきり手の甲を噛まれた。
「痛いっ……」
本気だったのだろう。思っていたより痛かった。それでもリュカを放さない。なんとかリュカを運び、昨日買った爪とぎの上に置いた。うん、爪とぎも買っておいて本当に良かった。
「爪とぎはここ。ここでするの。いい?」
「なぁ」
「なぁ、じゃなくてね。うう……結構痛いわ」
手の甲には赤い筋のような線が走っていた。少しだけだけれど血が出ている。
消毒をし、処置を済ませてリュカのところに戻ると、彼は不満たっぷり、みたいな顔で私を見つめてきた。それでも私が側に来るまで待っているのだから可愛いものだ。
「もう……仕方ないわね」
「わうーん」
「犬みたい」
羊っぽい鳴き方をしたり、犬っぽい鳴き方をしたり、猫は色々な表情を持っているようだ。
初めてのことばかりで毎日が新鮮である。
「怒ってはいないけど、気をつけてね。噛まれると痛いんだから」
なるほど、昨日アステール様が噛まれた時の気持ちはこんな感じだったのか。
飼い猫だから怒りはないが、痛いものは痛いから、できれば気をつけて欲しいなあと、そんな諦めの混じった感覚。
「確かにこれは仕方ないとしか思えないわね」
実感し、苦笑する。多少痕が残るかもしれないが、愛猫に付けられた傷だ。嫌だとは思わない。治療した手を見ていると、リュカは知らない、とばかりに顔を背け、ガリガリと爪とぎを使い始めた。不満はあるが使ってやろうと言わんばかりである。その態度に笑ってしまう。
「偉いわ」
「なあ」
何を言っているのか全部分かれば便利なのだけど、そう上手くはいかない。
今後も妙な場所で爪とぎを始めた時は問答無用でこちらに連れてきて、根気よく教えていくより他はないだろう。
ソファを確認すれば、皮の部分に傷がついていた。こちらは人間とは違い、どうしようもない。
「……ひっかき傷がばっちり。仕方ないわね」
お気に入りのソファだったが、これも猫飼いの宿命だろうと諦めた。
それはそれとして、爪とぎで爪は研いで欲しいけれども!
気を取り直して、中断していた作業を再開させる。
お湯でふやかしたマルルを餌皿に入れてリュカの近くに持っていくと、望むものを与えられた喜びからか、彼の尻尾がピンと立ち上がった。
「なおーん!」『ごっはーん!』
「はいはい、良かったわね」
嬉しそうな声が聞こえ、口元が綻ぶ。
しかし本当に鳴き声の種類が豊富だ。
もりもりとご飯を食べる子猫の姿は見ているだけで心が癒やされる。
「ふわ……」
ぼうっとリュカが食べるのを見ているうちに眠気に襲われた。
考えてみれば真夜中なのだ。餌もあげたことだし、二度寝をしてもいいだろう。
「リュカ、おやすみ。食べたら寝てね」
声だけ掛け、寝室に戻る。眠気が全開で、食べ終わるまで待てそうになかった。
ベッドに潜り込む。
ふと、思った。
「うーん……これから毎日、この時間に起こされるのかしら……」
お腹が減る気持ちは分かるが、毎日というのはかなり辛い。
できれば朝までぐっすり眠りたい。
「何か名案はないかしらね……」
考えているうちに眠たくなり、次に目が覚めた時には起床時間になっていた。