14
「ああ……あああああ……」
「ななっ……! ななにゃっ!」
興が乗ってきたのか、リュカは今度は猫じゃらしを噛み始めた。子猫なのに意外と力強い。
タイミングを見計らって躱し、逃げるようにするとリュカは喜んで猫じゃらしを追いかけ回した。
「……すごい食いつきようだね」
驚いたように言うアステール様に、私はふるふると震えながら言った。
「可愛いが全力で私を襲ってきます。もう駄目です。倒れてしまいそうです……」
「大袈裟だなあ」
「だって! すごく可愛いじゃないですか!」
「ああ、うん。それは確かにそう思うけど」
猫じゃらしを動かしながらもアステール様と会話をする。少しでも油断するとすぐにリュカに捕まってしまうのだ。猫じゃらしを持って、ソファの周りをグルグル回ると、リュカは大喜びで追いかけてきた。短い足で走っている姿が心臓にダイレクトに来る。
「ああああ……可愛い……」
片手で胸を押さえながらも猫じゃらしを動かす私を見て、アステール様がくすりと笑う。
「君の方が可愛いよ。子猫相手に真剣になって。ねえ、さっきから君の目がキラキラと輝いていて眩しいくらいなんだけど」
「何言ってるんですか、アステール様。可愛いのはリュカです」
可愛いと言ってくれるのは、私も女なので嬉しいが、今ばかりは素直に感謝できない。なぜなら今、世界の全可愛いはリュカにあるからだ。
キリッとした顔で告げると、アステール様は「いや、そうじゃなくて……うん、リュカも可愛いけど……どうしてそう返ってくるかなあ」ととても微妙な顔をした。
なんだろう。何か私は間違った返しをしてしまっただろうか。
「アステール様?」
「いや、いい。君がそういう子だって、私は知ってるからね。今更これくらいでへこたれないよ」
「はあ……」
よく分からないが気にしなくていいらしい。それならよかった。
「アステール様もリュカと遊びますか?」
猫じゃらしは赤と黄色の二本が入っていたので、黄色の方を手渡す。猫じゃらしを渡されたアステール様は驚いた顔をしていたが、すぐに上手く振り始めた。
リュカは即座に反応し、黄色い猫じゃらしに食いつく。
アステール様の振り方が気に入ったのか、テンションが更に上がっていた。
口を大きく開けて、やるぞとばかりに鳴く。
「にゃああああああ!!」『にゃーん!』
「ちょっと……!」
令嬢としてはあるまじきことなのだが、ぶふっと噴きだしてしまった。
だって――。
「待って。心の声も『にゃーん』て、なんなの」
私の尤もな突っ込みに、アステール様も我慢できなかったのか笑い出す。
「『にゃああ』の訳が『にゃーん』だとは思わなかったよ」
「ですよね」
それだけ興奮していたのだろうとは思うが、面白すぎる。
「リュカ、少し落ち着いて。興奮しすぎよ」
「にゃっにゃっ!」『それをもっと振るにゃ! もっと振るのにゃっ!』
「……振って欲しいみたいです」
「……そのようだね」
アステール様がリュカの要求に応えるように猫じゃらしを振り始める。私も隣で同じように振ってみたのだが、アステール様の振り方が気に入ったのか、リュカはすっかり意識をそちらに持って行かれてしまっているようだ。
「ふふっ、アステール様。リュカに好かれましたわね」
「好かれたって……まあ、確かに可愛いけどね」
アステール様を見ると、彼の頬は緩んでいた。目も優しく細まり、愛おしげな表情をリュカに向けている。
その姿にきゅん、と胸が高鳴った。
動物に優しくする男性の姿にときめくとかテンプレ過ぎるが、これは仕方ないと思うのだ。
だってこれ、実際に見れば分かるが、ものすごく攻撃力が高い。
アステール様は国を代表するような美形で、その美形が子猫を可愛がり、自然で優しい顔をしている。
これにときめかない女はいないと思う。どう考えてもオーバーキルだ。
リュカとアステール様。二人の男に見事にやられた私は、気分的にはその場に倒れ伏したくなった。
――尊い。尊いわ。
この光景を守るためならなんでもする。ふたりが戯れる姿は目の保養としか言いようがなかった。
リュカが嬉しそうに猫じゃらしに向かって跳ねる。無我夢中で突進する姿は身悶えするほど愛らしいし、それを「おっと」と言って笑いながらよけるアステール様は普段の五割増しで格好良かった。
幸せを体現したようなこの状況を独り占めしている自分が信じられない。
リュカはもっととばかりに走り回っていたが、やがて疲れてしまったのだろう。その場に電池が切れたように倒れ、今度はくうくうと寝始めた。
「おや、寝たようだね」
「きっとたくさん遊んでもらって満足したのだと思います」
アステール様から猫じゃらしを受け取りながら、リュカに目を向ける。
リュカは目を瞑っていても分かるほど上機嫌だった。にんまりと口元が笑みを象っている。
「……かわいい」
思わず呟くと、アステール様が呆れたように言う。
「スピカはさっきから『かわいい』しか言っていないね」
「だって、他に言いようがないんですもの」
子猫の可愛さの前には語彙力なんてものは消失する。にこにこ笑っていると、アステール様が時計を見て「あ」と言った。
「しまった。そろそろ帰らないとまずい……」
気づけば時間はもう夕方を軽く過ぎていた。そろそろ夕食といってもいいくらいだ。
「も、申し訳ありません。長々と引き留めてしまって……!」
慌てて頭を下げる。アステール様は首を横に振った。
「気にしないで。これは私の意思なんだから。でも、ごめんね。さすがに帰るよ」
「はい。今日はありがとうございました。どうかお気を付けてお帰り下さい」
見送りのために一緒に部屋を出る。リュカを一人で置いておくのが心配だったが、寝ているし数分のことだからと、我慢した。
屋敷の玄関まで行き、アステール様が馬車に乗るのを見つめる。
彼はタラップに足をかけ、振り返った。
「スピカ」
「アステール様、本当に今日はありがとうございました。買い物にまで付き合って頂いて」
「私が一緒に行きたいって言ったんだから、お礼を言われるようなことじゃないよ。それに楽しかったしね」
笑ってくれたアステール様に嬉しくなった私は、大きく頷いた。
「はい。私もとても楽しかったです」
「また、君とふたりで出掛けたいなって思うよ」
じっと目を見つめられる。その言葉に私も笑顔で返した。
「はい! また買い物しなければならない時はお誘いしますね!」
「……」
アステール様がガクッと肩を落とした。
何故か溜息を吐く。
「アステール様?」
「……だからどうしてそういう風に受け止めるかなあ」
「?」
よく、分からない。
首を傾げ、彼を見つめる。アステール様は困ったような顔をして私に言った。
「私はリュカのことがなくてもふたりで出掛けたいって言ってるんだけど……伝わらなかったかな」
「? もちろん、お誘いいただければどこにでもまいりますけど」
婚約者からの誘いを断るような真似はしない。当然のことだ。
素直な気持ちを返したのだが、アステール様は苦虫を噛み潰したような顔になった。
「アステール様?」
「……スピカ。私は君のことが好きなんだけど」
「? はい。私もアステール様をお慕いしています」
「……いや、うん、分かった。もういいよ」
「?」
ますます分からなかった。
一体アステール様はないが言いたかったのだろう。彼は深い深いため息を吐き「道のりは長いな」と呟いた。
「アステール様?」
「うん、気にしなくていいよ。……これは、私が努力するべきことだから。それに、諦めるつもりはないからね」
「はあ……」
謎かけのような言葉に再度首を傾げる。
私の表情を見たアステール様は、「まずは意識してもらわないとどうしようもないな」と何故か絶望的な表情をしながら馬車に乗り、王城に帰っていった。