13
「あ、アステール様!」
「女性同士、仲良く話しているみたいだから邪魔はしなかったけど、そろそろ私のことも思い出して欲しいかな」
「忘れてなんていません!」
「そう? だといいけど」
軽く笑い、「で?」と興味津々に昨日作ったトイレに目を向けるアステール様。私は深呼吸をひとつし、彼に説明をした。
「はい、これが朝お話したリュカのためのトイレです。やっぱりアステール様がおっしゃったとおり、リュカにはこれがトイレだと分からなかったんだと思います」
「野良だったのなら余計に分かるわけがないからね」
「はい……」
頷いていると、コメットが私が頼んだものをまとめて持ってきてくれた。
猫トイレにそれに必要なシートや砂、そして猫じゃらし。それらをアステール様がコメットから受け取ってくれる。
「それでは私は失礼します。また何かご用がありましたらお呼び下さい」
「ええ、分かったわ」
一礼し、コメットが部屋を出て行く。彼女はずいぶんと忙しそうだった。昼間はリュカの世話を頼んでいたから自分の仕事が残っているのかもしれない。
「アステール様、猫用のトイレの準備をします。手伝っていただけますか?」
「もちろんだよ」
リュカの飼い主だと思ってくれているのなら、一緒に世話をしたがるのではないかと思い尋ねてみると、即座に答えが返ってきた。
よかった。考えは合っていたようだ。
子猫用の小さなトイレは子猫が入りやすいよう、入り口が低めに作られている。尿を吸い取るシートを二重になっている下の段に敷き、上の段にトイレ用の砂を入れれば完成だ。
トイレ用の砂は、粒の大きさが小さめから大きめまであったが、私は『極小粒』を選んだ。リュカの手は小さいのだ。掻きやすい方がいいと考えたからだった。
「準備できたわ……」
私とアステール様が一生懸命トイレを設置するのを見ていたリュカが、もぞもぞという動きをした。
ハッとする。もしかしてこれはトイレに行きたいというアピールなのではないだろうか。
「アステール様っ」
思わずアステール様を見ると、彼も力強く頷いた。
「ああ、リュカをトイレに乗せると良いと思う」
「はいっ」
さっとリュカを両手で持ち上げ、トイレの中に入れる。
リュカはキョトンとした顔をしていたが、やがて尻尾をピンと立てて用を足した。
ちまっと座っている姿が何とも言えず可愛らしい。
「アステール様っ! やりましたっ!」
「ああ、良かった。これでリュカはここがトイレだと覚えるよ」
「はい!」
嬉しくて、彼に満面の笑みを向ける。アステール様は驚いたような顔をしたが、すぐに同じように微笑みを返してくれた。
成し遂げた感が半端ない。
トイレを終えたリュカが小さい前足で砂をかける。思いきり掻いたせいか粒が容器から飛び出した。掃除をすればいいだけのことなので気にしない。リュカがトイレをしてくれたことが重要なのだ。
「にゃー」
「よくやったわ、リュカ! 偉いわ!」
アピールするように鳴くリュカの頭をわしわしと撫でる。褒められたのが分かるのか、どこか自慢げだ。
ああ、良かった。まずは一安心だ。
トイレについてアドバイスをくれたアステール様に深く感謝した。
「ありがとうございます、アステール様。おかげで上手くいきました」
「お礼を言われるようなことはしていないよ。これでトイレを覚えてくれるといいね」
「はい」
「にゃっにゃっ」
キョロキョロと辺りを見回していたリュカが、突然妙な鳴き声を上げる。
どうやら本当に全部聞こえるわけではないらしい。それでも一応、アステール様にも確認してみた。
「アステール様。リュカの声、聞こえてます?」
「いや、聞こえない。やはり聞こえる場合と聞こえない場合があるみたいだね。君のメイドは私たちが聞こえている声も聞こえていなかったようだけど」
「そうですよね……」
本当に変な感じだ。
コメットにはリュカの声が聞こえていなかった。それは先ほどの彼女の態度からも明らかだ。
「どういうことなんでしょう」
「分からないけど、聞こえない人からすれば、私たちはかなりおかしな人間ということになってしまうからね。基本的に、私たち以外には聞こえていないという前提で動いた方がいいと思う」
「分かりました」
確かにそれが無難だと思い頷いた。
アステール様は未来の国王なのだ。変な噂が流れては困る。
真剣な顔をしていると、アステール様がにこりと笑う。
「つまり、リュカのことはふたりだけの秘密ってわけだ。そういうの、ちょっといいと思わない?」
「ふ、ふたりだけの秘密、ですか」
言い方! と思ったが、アステール様に文句を言えるはずがない。
じわじわと照れが襲ってくる。動けなくなってしまった私に、彼は「うん」と嬉しそうに頷いた。
「そう。私たちだけのね。だって他の人たちには秘密にするんだからそういうことになるだろう?」
「それは確かに……そうですけど」
ふたりだけの、とわざわざ強調されるのがなんだか妙に恥ずかしい。
何も恥ずかしいことなんてないのに、アステール様が言うと、すごく照れくさい気分になってしまうのだ。
「なうーん! なうーん!」『あーそーんーでー!!』
私たちの話を遮るようにリュカが鳴き出した。今回は副音声というか声が聞こえる。
遊んでという分かりやすい要求に、私はアステール様を見た。
「っ! アステール様!」
「うん、聞こえたね。やはり、強い感情が言葉として聞こえてくると考えた方が良さそうだ。リュカは遊んで欲しいということで間違いないね」
「そ、そうですね。リュカ、ちょっと待ってね」
ソファの上にさきほどコメットが持ってきてくれた猫じゃらしを置いていたことを思い出し、取りに行く。私が猫じゃらしを持つと、リュカの尻尾が垂直に立った。
「なーん!」『きゃー!!』
「……」
喜んでいる。ものすごく喜んでいる。
リュカのテンションが一瞬にしてマックスまで上がったのがよくわかる声だった。
赤いフサフサのついた猫じゃらしに、リュカがビンビンに反応している。
「……」
ひょい、ひょい、と猫じゃらしをリュカの目の前で振った。
目の色が変わる。リュカは後ろ足二本で立ち上がると、前足を激しく繰り出し始めた。
これは、高速猫パンチだ。
目がキュルンとなっていて、表情が死ぬほど愛くるしい。その顔で素早く前足を繰り出し、猫じゃらしを攻撃するのだ。その時点ですでに私は瀕死だった。
「か……かわ……かわ……」
可愛いまで言えない。涙が出てきた。
可愛いを許容量いっぱいまで摂取すると涙が出てくることを、私はリュカの行動で知った。