12
「はい、お嬢様。お呼びになりましたか?」
「荷物の中から、リュカの餌を持ってきてちょうだい。『ねこにゃん』という名前の餌よ」
「ねこにゃん、ですね。分かりました」
「餌皿も買ったからそれも一緒にね。青色の皿よ。洗って持ってきてちょうだい」
専用の皿があった方がいいと店員にお勧めされ、買ったのだ。水皿も購入したが、それはあとで変えてやればいいだろう。
コメットは私の指示に頷き、部屋を出て行った。しばらくして、餌皿と餌を両手に抱え戻ってくる。
「お待たせ致しました。餌皿ってこれでいいんですよね」
「ええ」
持ってきたものを確認し、頷く。
買った餌皿には下に滑り止めが付いており、動きにくいような仕組みになっているのだ。昨日リュカがご飯を食べているとき、器が動いているのが気になっていたから買ったのだが、いい買い物ができたと思っている。
テーブルの上に皿を置き、ねこにゃんの封を開ける。
「にゃー!」『美味しい匂いがするー!』
伝わってきた声に、思わず笑ってしまった。アステール様の言うとおり、強い思いが分かるというのは本当かもしれない。
「匂いは気に入ってくれたみたい。良かったわ」
笑いながら言うと、コメットは「え?」という顔をした。
「気に入ってくれたって、分かるんですか? まあ、確かに嬉しそうには見えますけど……」
「え? だって美味しい匂いがするって……」
「?」
訳が分からないという表情をするコメットに私の方が戸惑った。
「コメット? リュカの声、聞こえたでしょ? 美味しい匂いがするって……」
「声? 何をおっしゃっているのですか? お嬢様」
怪訝な顔をされ、目を見開いた。
――コメットにはリュカの声は聞こえていない?
私とアステール様には聞こえるのに?
まさかのコメットには聞こえていないという事態に何と言えばいいのか硬直していると、アステール様が助け船を出してくれた。
「スピカはリュカを可愛がっているからね。そんな風に聞こえた気分になっているのだろう」
「ああ、なるほど。お嬢様、お気持ちは分かりますが、それを私にも分かれというのは無理な相談ですよ?」
「ご、ごめんなさい。悪かったわ。リュカが可愛くてつい……」
ここはひとまずそういうことにして誤魔化してしまおう。曖昧に笑みを浮かべながら謝ると、コメットは「まあ、表情が豊かですからなんとなく言おうとしていることは察せられますけどね」と笑って言った。
それで話はうまく流れ、私はホッとしつつもアステール様に視線だけでお礼を言った。
気を取り直し、ねこにゃんのパッケージの裏側を見る。
裏側には猫の体重ごとに一日どれくらい餌を与えればいいのかという基準が書いてあるのだ。
「ええと、これは成猫の場合ね。子猫は……あった」
子猫のうちは少し多めに食べさせるようだ。成長しなければならないのでそれも当たり前だろう。
付属していたカップを使って、書いてあるとおりの量を入れる。
食事は一日二回なので、二で割った量になる。
そろそろドライフードだけでも大丈夫かもしれないと店員が言っていたが、しばらくはふやかして様子を見よう。
そう考えた私はお湯でマルルをふやかし、リュカの前に餌皿を置いた。
私も一緒にしゃがみ込む。
「はい、リュカ。待たせたわね。食べて良いわよ」
「みゃあああ!」『ご飯だー!』
元気な返事が返ってきた。
ついでに副音声のように言葉も聞こえてくる。不思議な感じだが、短い間に連続して続いたせいか、すっかりこの現象にも慣れてしまった。
リュカは餌皿に顔を突っ込み、必死でご飯を食べている。朝と全く同じ様子に苦笑してしまった。
「駄目。よく噛んで食べてってば。犬食いは駄目よ」
猫なのに犬食いとはと思うが、そうとしか表現のしようがない。
リュカは『美味しい! このご飯、すごく美味しい!』と大喜びで、買ってきたマルルを気に入ってくれたのは確実だった。
声が聞こえてくるたび笑いそうになってしまうのは仕方ない。
リュカの尻尾はやはりずっと上がっていて、彼が相当上機嫌であることを示していた。
「お腹減っていたんですねえ」
リュカの食いっぷりに驚いていたコメットが目を瞬かせる。いつの間にか、彼女も私の隣にしゃがみ込んでいた。
「そうみたいね。やっぱり成長期だからかしら。ねえ、食べている姿、すごく可愛いと思わない?」
目を瞑り、味わうように食べているリュカの姿に魅入りながら言うと、コメットからは力強い肯定が返ってきた。
「めちゃくちゃ可愛いです……! お嬢様、リュカを拾ってきてくださってありがとうございます。もう可愛くて可愛くて、すっかり屋敷のアイドルですよ」
「私も皆が面倒を見てくれてすごく助かっているわ。ありがとう」
学校へ連れて行くわけにもいかないし、皆の協力がなければもっと大変だったと思う。
家族も使用人たちも皆が受け入れてくれたから、今の状況があるのだ。
お礼を言うと、コメットは笑顔で首を横に振った。
「いいえ。私たちも楽しんでますから」
「でも、猫が苦手な人もいるだろうから、その人たちには配慮してあげてね」
世の中には猫が好きな人、嫌いな人、苦手な人、アレルギーがある人など色々いる。自分の価値観を押しつけてはいけないのだ。
「もし、苦手な人がいるなら、リュカとはできるだけ接しない方向にしてあげて」
「ええ、分かっています。大丈夫ですよ、お嬢様。苦手な者も若干おりますが、それよりは猫が好きでお世話をしたいと思っている者の方が多いですから。その者たちでこの子の世話は回します。苦手な者には、お嬢様の部屋の近くに行くような仕事を回さないよう、旦那様からも命令が下っていますので」
「それなら良かったわ」
すでに父が命令を出していると聞きホッとした。
リュカを見ると、彼はご飯を終え、今度はご機嫌に毛繕いを始めていた。
痒いのか、短い足で耳をカリカリと掻いている姿が可愛い。
丹念に己の毛皮を舐め、毛繕いをしている様子は愛らしいの一言である。
「はあ……可愛いわ」
「本当ですね。あ、もうこんな時間! お嬢様、それでは私はリュカの餌皿をもらっていきますが、他にご用件はありますか?」
時計を見たコメットが慌てて問いかけてくる。忙しそうで申し訳ないと思いつつも、これだけはと思うものをお願いした。
「子猫用のトイレを買ったの。あとでそれを持ってきてくれないかしら」
「分かりました」
「あとは、遊んであげたいから猫じゃらしも」
コメットは頷き、食べ終わった餌皿を回収して去って行った。それを見送り、私は昨日簡易で用意したトイレをチェックする。
「……やっぱり、してない」
「それがリュカのトイレかい?」
「っ!」
ひょいと横から覗き込まれ、息が止まるかと思った。