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「はい……」
優しいアステール様の言葉にジンときた。
「ありがとうございます……そんな風に言って下さるなんて……!」
私が責任を感じないで済むように言ってくれたのだ。分かってはいたけれど、自分も飼い主のひとりだという言葉は嬉しかった。
「ふふ……良かったわね、リュカ。アステール様もあなたの飼い主だって」
チョイチョイとリュカの顎の下を擽る。
猫はこの辺りが気持ち良いものだと聞いていたが、リュカは嫌がる素振りをみせた。というか、何故そんなことをするの? とでも言いたげな顔だ。そうして、口を大きく開けてアピールしてきた。三角の形だ。小さな歯が見えている。
「なー! なーなー!」『そんなことより、ごはん! ごはんがほしいにゃ!』
「え?」
今、鳴き声と同時に変な声が聞こえなかったか。まるで小さな子供が癇癪を起こしたような声が。
この部屋には今、私とアステール様しかいない。それなのに聞こえた声に驚き、周囲を見回す。誰か来たのかと思ったのだ。だが、やはり誰もいない。
「え? ええ?」
何だったのだ、今のは。
「……疲れてるのかしら」
首を振って、こめかみに手を当てる。昨日は真夜中に起こされたし、寝不足がたたっているのかもしれない。そう自分を納得させ、アステール様を見た。
アステール様は……呆然とした表情でリュカを凝視している。
「アステール様?」
「今、リュカが……え?」
「え……」
釣られてリュカを見る。リュカはアステール様ではなく、私をじっと見つめていた。
「ええと……」
「みあーーん!」『ごはーん!!』
子猫の主張するような鳴き声と共に聞こえて来た声に、ギョッとした。脳裏に直接響く声。
これはまさか。
いや、でもそんなことあるはずが……。
信じられない気持ちでリュカを凝視した。状況といい放たれた言葉の内容といい、どう考えてもリュカから聞こえたと思ってしまったのだ。
だがさすがに口には出せない。アステール様におかしな女だと思われてしまう。
――き、気のせい。気のせいに決まってるわ。
幻聴が聞こえるとは重症だ。今日は早めに眠った方がいいかもしれないと考えていると、愕然とした声が聞こえてきた。
「……幻聴?」
「アステール様?」
声を出したのはアステール様だった。言われた言葉に反応する。
幻聴という今のセリフと言い、先ほどの様子と言い、もしかしなくても彼にも私と同じものが聞こえていたのではないだろうか。
アステール様に声を掛けると、彼は慌てて笑みを浮かべた。だがその笑みはギクシャクとして、いつもの穏やかなものとはほど遠い。
「い、いや、なんでもない。……きっと疲れているんだ。昨日、遅くまで調べ物をしていたからきっと……」
「……」
さっき私が考えたのと同じようなことを言い出している。
微妙に声が震えているアステール様に、私は恐る恐る尋ねてみた。
変な女と思われるかもしれない。だけど、どうしても確かめずにはいられなかったのだ。
「もしかして……アステール様にも聞こえました? その……ごはんって声が」
「君も聞こえたのか?」
「は、はい」
光の速さで反応してきたアステール様に頷く。私が頷いたのを見たアステール様は、安堵したように息を吐いた。
「そ、そうか。よかった。一瞬、私の耳がおかしくなったのかと思ったよ。スピカ……今のはリュカの声、だよね?」
「おそらくは」
こんなことは初めてなので分からないが、今の状況ではそれしか考えられない。
それに、思い出したのだ。
「……今日の夜中、ご飯をあげた時にも似たような声が聞こえた気がします」
ごはんごはんと騒ぐ声。そして、もっとご飯が欲しいと強請る声。
気のせいだと思い、すっかり忘れていたが、確かにあの時と同じ声……な気がする。
「あれは……リュカだったの?」
「んなー」
「……返事をしている……感じではないね」
「はい」
今のはただ、タイミング良く鳴いただけだ。それに声も聞こえなかった。
一体何が起こっているのだろう。
私が生きているのは精霊が生き、魔法が存在する世界だ。猫が喋るくらいあってもまあ……そういうこともあるのだろうと言える程度には不思議現象に身を浸している自覚はあるが、それでも今のは驚いた。
「……アステール様、なんだと思います? 何かの魔法、ですか?」
「違うと思う。リュカはただの猫で、魔力を持ってはいないし、誰かが魔法をかけた様子もない」
「それなら、なんなのでしょう」
「分からない」
未知の現象に考え込んでしまった。
じっとし、動かない私たちに焦れたのか、リュカが長い尻尾をバンバンと床に叩きつけながらアピールする。
「なーん! なーん!」『だから! ごはん! 僕を無視するにゃ!』
「……また聞こえました」
「私もだ」
再び聞こえた声に驚くと、アステール様も頷いた。
「これは仮説だが、リュカの強い感情が私たちに言葉として伝わっているのではないだろうか」
「……魔法がかかっているわけでもないのに、ですか?」
「実際、魔力の反応はないからね。だけど聞こえる内容からしてもそうだと思う。全部の言葉が聞こえるわけではないし」
「確かに……」
「なー!」『だーかーらー!』
脳裏に伝わってきた強い思いに、思わず苦笑してしまった。
愛猫に手を伸ばす。小さな頭を撫で、額の辺りを指で擦ってやった。
リュカは目を閉じ、だけどもどこか不満げだ。
「ごめんね。ごはん、欲しかったのよね。今、用意するわ」
先ほどから空腹を訴えているというのに二人で考察ばかりして、餌をやることをしなかった。それに気づき申し訳ないと思ったのだ。
私の言葉にアステール様もハッとしたような顔になる。
「そうだね。まずはリュカの腹を満たしてやらないとね」
「はい。リュカ、待っていてね。――コメット!」
そろそろ荷運びは終わっただろうか。そんな気持ちでメイドを呼ぶと、コメットはすぐにやってきた。