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「さいっあく……」
何はともあれ、この一言に尽きる。
何故なら、『乙女ゲーム転生』をした、と理解したくせに、どのゲームに転生したのか、全く想像もつかないから。
何せ私は前世、ほとんど『乙女ゲーム』をしなかった。
嗜み程度に何作かは手を出したか、コンプなどしていないし、内容だって覚えていない。星の数ほどある乙女ゲーム。その中のひとつを探し当てることなんて私には不可能なのだ。
「あ、これは無理だわ」
私は即座に諦めた。
普通なら、『悪役令嬢』になんて転生してしまった私は、今すぐ対策を取るべく動き出さねばならない。
だが、その「ゲーム」が何か分からないのでは対策の取りようもないではないか。
「……それに、私、まだ何も悪いことをしていないのよね」
真面目に妃教育に励み、学校で学問を学んでいただけ。
いわゆる『悪役令嬢』は、ヒロインやその周囲に復讐される存在なのだが、その『悪いこと』をしていなければ、報復される心配はないのではあるまいか。
それに、それにだ。
「殿下と婚約を解消っていうのなら、それはそれで構わないし…………」
殿下――アステール様とは、確かに婚約者という間柄ではあるが、互いに恋愛感情などない。だから、そのアステール様が、好きな人ができたから婚約を解消して欲しいというのなら、私には素直に応じる用意がある。
私は、私の代わりに、しっかりと妃として務めてくれる人がいるのなら、婚約者という位置を譲っても全然構わないのだ。
「ただ、順序は守って欲しいわよね」
昔プレイしたことのある乙女ゲームを思い出す。
そのゲームでは、悪役令嬢役の女性は、卒業パーティーで王子から大勢の前でいきなり婚約破棄を告げられていた。あれはない。
婚約を破棄するにしても順序というものがあるのである。
さらし者にする必要は全くない。
万が一、アステール様が先ほどの少女と婚約したいと望むのなら、事前に私に相談してくれればいいのである。そうすれば私も父に事情を話すし、城で正式な書類に署名もしよう。
「完璧、完璧だわ」
そうだ、そうしよう。
アステール様が言い出し辛いと言うようであれば、私からそれとなく促してもいい。
もしかして、あの少女が好きなのではありませんか? それなら私は身を退きますよ、と囁けばいいのだ。それで済む話である。
「……そうしよう」
これから自分がどうするべきなのか結論を出し、頷いた。
どんなゲームなのか分からない私が取れる策としては、これ以上はないと思う。
これまでどおり学園生活を過ごし、婚約者がヒロインにぐらりときたあたりで、すばやく身を退くのだ。
なんだったら父に頼んで、二人の仲を応援してもいい。
私の父は、貴族たちが集まる議会の中でも、かなり発言力が強い。父が新たな婚約者を応援するという方針を打ち出せば、おもねる貴族たちは多いだろう。
「よし、よし……」
お膳立ては完璧だ。きっとふたりは幸せになるだろう。私はそれを笑顔で祝福する。
皆が幸せ。何も問題はない。さすがにゲームであっても、何もしていない人間を追放したり処刑したりなんて展開は起こらないはずだ。起こらない……と、思いたい。
きれいさっぱりさようなら。アステール様は好きな人と幸せになり、私は自由を手に入れる。
そして、そうなると次に考えるのが、それからの自分の身の振り方である。
何せ私は今まで、妃教育を必死に受けていて、それ以外のことをした記憶がない。
悲しいことに、同性の友人だっていないのである。
いや、一応いると言えばいるのだけれども。
彼女たちは私が王子の婚約者だと分かって尻尾を振ってくる、甘い汁を吸いたいだけの取り巻きであって、決して友人ではないのだ。
そんな友人たちは、きっと私が王子の婚約者でなくなれば、私の側を離れるだろう。
それは当たり前だと思うし寂しいとは思わないけれど、それなら真の友人が欲しいと思うのだ。
――友達が、切実に友達が欲しいわ……!
友達ができたらキャッキャウフフと毎日楽しく暮らすのだ。私的なお茶会を開いてもいいし、一緒に町に遊びに行ってもいい。好きな本の話をして、お勧めをしあったりなんてするのも実に楽しそうだ。
あとは、そう、猫が飼いたい。
前世、私は猫を飼ったことがなかった。大の猫好きだったのだが、家族に猫アレルギー持ちがいて飼うことはできず、憧れがあったのだ。
友達の家に行ったり猫カフェに行って癒やされはしたものの、自分だけの可愛い飼い猫が欲しいという気持ちはずっとあった。それを叶えたいのである。
「猫……猫を飼いたい……」
将来王妃になる。
そう思って、ただ勉学に邁進していた頃は、そんな望みを抱きようもなかった。だが、その道から外れるのであれば、猫を飼うくらいしても許されるのではないだろうか。いや、許されるに決まっている。両親も猫が嫌いではないと知っているし、反対されはしないだろう。
家族に溺愛されている自覚はあるのだ。
――うん。すごく、猫が飼いたい。
肉球をぷにぷにさせていただいたり、抱っこさせていただいたり、ブラッシングをさせていただくのだ。
美味しいご飯を献上し、艶々の毛並みを撫でて悦に入りたい。
ああ、夢が広がる。素晴らしい。
「いい……」
うっかり妄想し、陶然とした。
猫最高。究極の癒しだ、間違いない。
王子の妃なんかよりよほど幸せな未来なのではないだろうか。
想像し、その素晴らしさに身体を打ち振るわせながら私は思った。
――ヒロインさん! 頑張ってアステール様を攻略してね!
もう、それしか言うことはない。
私の夢のために、是非彼女には頑張ってもらわなければ。
乙女ゲームというくらいだ。攻略対象者は王子一人ではないはずなのだが、その時の私はきっとヒロインはアステール様を攻略するに違いないと信じていたのである。
だってアステール様は誰がどう見ても最優良物件だ。選ばないなんて可能性自体が存在しない。
「うんうん。幸せになって……!」
私もお猫様と幸せになるから――!
「幸せにって。誰のことを言っているのかな?」
「ひえっ!」
突然背後から声を掛けられ、驚きで肩が跳ねた。
慌てて振り返る。そこには、今、考えていた当人であるアステール様が立っていた。
「ア、アステール様……」
首まである緩くウェーブした金髪。美しい紫色の瞳が私を見ている。その切れ長の目はゾクリとするほど色香があり、一瞬私は息を呑んでしまった。
出会ってからもうかなりの年月が経つが、彼の美貌には一向に慣れる気がしない。むしろ年々磨きが掛かり、十八歳となった今では子供っぽさが完全に抜け、男性としての魅力が増してきたようにさえ思う。
魔法よりも剣を扱うことの多い彼は、身体も鍛えており、立ち姿が美しい。身長も高く、欠点らしい欠点が見つからない。
さすが乙女ゲームのメイン攻略キャラ(勝手に思っているだけ)。
魔法学園の制服に身を包んだ彼は、今日も穏やかに微笑んでいた。
「迎えに来たら、スピカがブツブツと独り言を言っているから気になって。何を考えていたのかな」