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◇◇◇
「……ここまで来れば、誰も追いかけては来ないかしら……」
食堂を出た私は、教室棟とは別棟にある図書館へと向かっていた。
図書館の前にある階段を上り、扉を開けて中へと入る。
「……」
ひんやりとした少し暗めの室内は、誰もいないのか静まりかえっている。
図書館は、あまり人気のない場所だ。それは何故かと言えば、貴族の家にはたいてい自前の図書室があり、珍しくも何ともないから。
図書館の方が蔵書はたくさんあるのだが、借りるよりは買う、手に入れるという感覚の方が強いので、皆、あまり利用しない。私もここに来るのは初めてだ。
「……何か探しにきたのか」
「えっ……」
図書室の奥にでも行って、アステール様からもらったリストを検討しようと思っていると、突然左側から声が聞こえた。慌ててそちらを向く。
入り口のすぐ近く。そこは貸し出しカウンターになっていて、ひとりの男性がむっつりとした表情で座っていた。
襟章の色を確認する。
各学年は襟章の色で判別できるようになっている。一年が赤、二年が青、三年が緑。
目の前の男性の襟章は緑。ということは三年生。アステール様と同じだ。
というか、この人を私は夜会で見たことがある。
――シリウス・アルデバラン。
アルデバラン公爵家のひとり息子。父親が近衛騎士団の団長を務めていて、彼自身も相当な剣の名手だ。
黒髪黒目。体つきはがっしりとしていて背も高い。
短髪で、額を出した髪型はよく似合っているし、整った顔立ちをしているが、目つきが鋭く無愛想であまり喋らないことから、女性たちからは敬遠されぎみだ。
日に焼けた肌の色は浅黒く、威圧感を覚えて怖いと聞いたこともある。
たしか夜会ではいつも父親と一緒にいた。挨拶くらいならしたことがあるが、個人的に話すのはこれが初めてだ。
「……アルデバラン様」
ファーストネームを呼ぶのは失礼かと思い、家名で呼びかける。アルデバラン様は片眉をつりあげると、私を見て納得したような顔をした。
「ああ、確か……殿下の婚約者か。プラリエ公爵家の」
「はい。スピカ・プラリエと申します。以後、お見知りおきを。ところでアルデバラン様。こちらの図書室、もしかしてアルデバラン様が管理なさっておいでですの?」
貸し出しカウンターに座っていることから考えてもおそらくはそうだろう。尋ねると、肯定が返ってきた。
「そうだ。オレは……図書委員だからな」
「図書委員……!」
なんて似合わない響きだろう。
失礼だとは分かっていたが、大柄な熊のような体格のアルデバラン様と図書委員という姿があまりにもアンマッチで驚いてしまった。
できるだけ真面目な顔を作り頷く。
「そうでしたか。失礼いたしました。それでは私はこれで」
これ以上話すこともない。そう思ったのだが、アルデバラン様は私を引き留めた。
「待て」
「はい?」
「お前、図書館に何をしにきた」
真顔で尋ねられ、私は戸惑いつつも正直に答えた。
「え、少し調べ物をしようと思ったのですけど」
「……その調べ物とは?」
「え?」
なぜ、そんなに聞いてくるのか。アルデバラン様には関係ないと思うのだけれど。
「あの……?」
「チッ、調べ物があるんだろう。この図書館は広い。何も分からず探し回っては昼休みなど終わってしまうといっているんだ」
「……手伝ってくださるんですか?」
「……悪いか」
「いえ」
ムスッとした顔をしながらこちらを見てくるアルデバラン様。だが私の調べ物は、リュカのご飯をどこで買うか、であり、そのヒントはすでにアステール様にもらっているのだ。
とはいえ、アルデバラン様の好意を無にするのも申し訳ない気がする。
少し考えた私は、それならとアルデバラン様に聞いてみた。
「その……猫の飼い方、なんて本はありませんか?」
「猫だと?」
「はい」
コクリと頷く。
一応昨日、家の図書室を軽く漁ってみたのだが、猫の飼い方が書いてあるような本はどこにもなかったのだ。当たり前だと思うけど。
だけど、もしかして学園の図書館ならあるのかもしれない。そしてもしあるのなら、それこそ借りてみたいと思ったのだ。
「実は昨日子猫を拾いまして。初めてのことで右も左も分からず、指南書のようなものがあればいいなと思いましたの」
「そうか……子猫を」
私の話を聞き、少し考え込んだあと、アルデバラン様は口を開いた。
「残念だが、猫の飼い方なんて本は置いていないな」
「そう……ですか」
調べなくても分かるものだろうか。少しだけ疑問だったが、余計なことを言うのもどうかと思い、大人しく頷いておいた。
アルデバラン様がムッとした顔で言う。
「なんだ。疑っているのか」
「い、いえ……」
「ないものはない。……その本ならオレが散々調べたからな」
「えっ……」
予想外すぎて、言葉を失う。
――アルデバラン様が? 猫の飼い方について調べた? どうして?
アルデバラン様と猫というのがどうにも結びつかず戸惑っていると、アルデバラン様は「悪いか」と視線を逸らしながら言った。その頬が少しだけ赤い。
「……オレも、猫を飼っている」
「えっ……」
「うちの屋敷には四匹いる」