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◇◇◇


「ごめんね。ずいぶんと帰りが遅くなってしまった」


 ノヴァ王子の部屋を辞した私とアステール様は、急ぎ足で廊下を歩いていた。

 帰宅予定時間を大幅に過ぎていたのだ。

 両親にはアステール様が事前に連絡を入れてくれた。だから遅くなったところで怒られはしないと思うけれど、夕方も過ぎ、夜と呼ぶに相応しい時間帯になってしまったことは申し訳なかった。


「アステール様こそ、主役がこんなに長時間抜けても大丈夫なのですか?」


 本日の主役が途中から完全に姿を消しているのだ。問題ではないのかと思ったが、アステール様は笑って言った。


「大丈夫だよ。ノヴァのゴタゴタについては父上に報告しているし、少し遅れても構わないと言ってもらっているから。君を送り届けたあと、会場に戻るから心配しなくていい」

「そう、ですか」

「でもきっと、どこに行っていたのか聞かれるとは思うから、その時は『婚約者とふたりきりの時間を楽しんでいた』と言ってもいいかな?」

「えっ……」

「駄目? 絶対にそれ以上、突っ込んで聞いてこない自信があるんだけど」


 それはそうだろう。

 聞ける人がいたら勇者だ……というかあまりにも野暮である。皆、空気を読んで「さようでしたか。相変わらず仲がお宜しいことで」で流すに決まっている。

 皆の前で盛大に惚気ると言ってのけたアステール様を見る。少し考え、口を開いた。


「……良いですよ」

「ありがとう。じゃあ、そうする……って、え? 良いの?」


 まさかそう応えられると思ってはいなかったのか、アステール様がギョッとした顔で私を見てくる。驚

かせられたことが楽しくて、笑ってしまった。


「ふふっ、はい」

「……吃驚した。絶対に恥ずかしがって、『駄目です』って言われるんだろうなって思っていたのに」

「恥ずかしいのは恥ずかしいですけど……それ以上に嬉しいなって思いましたから」


 アステール様が私のことを好きなのだと分かる態度を見せてくれることが嬉しい。

 そう告げると、アステール様は「あー……」と言いながら目を瞬かせた。


「そ、そっか」

「はい」

「……もしかして、スピカって私が思っている以上に、私のことが好きだったりする?」


 おそるおそるという風に問いかけてくるアステール様に、私はキョトンとして頷いた。


「? はい。好きですけど。それが何か?」


 ずっと自分の気持ちに気づかない振りをしてきたし、叶えては駄目だと思っていたから抑え込んでいたけれど、もうそんなことをする必要はないのだ。

 だから素直に頷いたのだが、何故かアステール様はボッと顔を赤くした。


「アステール様?」

「え、いや……え? 本当に?」

「……?」

「な、何でもない。ただ、その……嬉しくて」

「そう、ですか。それなら良いんですけど」


 首を傾げる。アステール様は顔を赤くしたままひとりで「そっか、そうかあ……」と何度も呟いていた。


「スピカ」

「はい」


 名前を呼ばれる。返事をすると、アステール様が「今日のことだけど」と小声で言った。

 それに頷く。


「はい。リュカのお陰で助かりました。リュカ、大活躍でしたね」

「そうだね。リュカが教えてくれなければ、きっと今もトトは紙箱の中に閉じ込められたままだっただろう」


 アステール様の言葉に頷く。それは多分、間違いない。


「リュカがずっと訴えてくれたから、私たちは何かあるのだと気づけました。きっとリュカの声が聞こえなかったら、何を騒いでいるのだろうと気にしつつもそれ以上は考えなかったと思います。リュカがトトを助けに行こうとしているなんて、絶対に気づけなかった」

「そうだね。それは私も同じだよ。まさかトトが連れ去られていて、そのトトを見つけ出そうとしているとか、普通に想像できないからね」

「そうなんです」


 アステール様の持つキャリーケースを覗く。中にはリュカがいて、ゆったりと丸まっていた。眠たいのか大きな欠伸をしている。そのリュカに声を掛けた。


「リュカ、お手柄だったわね。すごいわ」

「本当に、リュカは勇敢な猫だね」

「きっと友達を助けようと必死だったんでしょうね。……本当に、トトが無事で良かった」


 見つかったトトには怪我もなく、衰弱している様子もなかった。

 放置されてすぐにリュカが助けにいったからだろう。私たちを怖がっている感じでもなかったから、人間に対して新たなトラウマができたというわけでもなさそうだ。

 本当に良かった。


「スピカ」

「はい」


 リュカを見つめながら返事をする。アステール様が静かに言った。


「言うまでもないことだけど、今後もリュカのことは私たちの秘密にしよう。色んな意味でリュカは特別だからね。それこそ、今日のトトみたいに狙われることになっても嫌だし」

「そう……ですね。はい」


 リュカには精霊王の加護がある。その加護のおかげで彼の声が声として伝わってくるのだけれど、もしその事実を知れば、きっとリュカは心ないものに狙われるだろう。

 精霊王の加護がある珍しい猫。

 稀少さだけで欲しがる者が大勢いると私だって知っている。


「私、誰にも言いません」


 これからもリュカが平和で暮らせることが一番だ。

 誓いを言葉にする。アステール様も言った。


「私も誰にも言わないよ。これは私たちだけの秘密だ」

「はい」

「リュカに何事も起こらないよう、私たちがリュカを守って行こう」

「はい!」


 もう一度返事をする。

 アステール様の言葉が心強かった。

 自然とふたり、手を繋ぐ。

 いつの間にか止めてしまっていた足を動かした。


「……」


 馬車のところまで行くまで、アステール様も私も何も喋らなかったけれど、それは心地良い沈黙で、むしろ心が通じ合ったかのような気持ちになっていた。




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