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「猫を飼うのは初めてですが、意外と可愛いものですね。どんどん愛着が湧いてきましたよ」
「お前がそんな風に言うとは。上手くやれているようだな」
「ええ、もちろん」
にこりと笑うティーダ先生。
ふたりとやり取りを少し下がった場所から黙って見ている。第一王子と魔法師団の副団長。ふたりはその立場で話をしているのだ。
公爵令嬢でしかない私がしゃしゃり出るわけにもいかないだろう。
実際アステール様とは学園にいる時とは違い、ティーダ先生に対して敬語を使ってはいなかった。
城と学園では違う、ということなのだろう。ティーダ先生も同じ認識らしく、学園にいる時よりも敬意を感じる話し方だ。
「子猫にはダイフクという名前をつけました」
「ダイフク? 妙な名前だな」
「ソラリスに付けて貰ったんですよ。私にも意味はよく分かりませんが、彼女がそう名付けたいというのなら否やはありません」
首を傾げるふたりに、私は心の中でなるほどと思っていた。
ダイフク――つまりは和菓子の大福から名前を取ったのだろう。前世の記憶があるソラリスらしい名付け方だ。
こちらの世界には和菓子はないので、ふたりが理解できないのは分かるが、よくそんな名前を堂々と付けたものだと思う。
――でも。
ティーダ先生に貰われていった白猫を思い出す。あの白いフォルムは確かに大福としか言いようがないと納得した。
「今は一日置きにソラリスが様子を見に来てくれているんです。お陰で素人の私でも飼うことができています。ふふ、一昨日なんて、ソラリスと一緒に首輪を買いに行ったんですよ。ダイフクに似合う首輪はどんなものがいいかと、一生懸命でとても可愛らしかったです」
その時のことを思い出すように言うティーダ先生はとても楽しそうだった。
そんな彼を、三人の部下が気味悪いものを見たような顔で見ている。
ティーダ先生が女性を寄せ付けないタイプなのは有名だ。そんな彼がデレデレとした様子で特定の女性の話をしているのだ。
これは誰だと思いたくなるのは分かる……というか、なんとなくだけれど、ティーダ先生、ソラリスの外堀を埋めに掛かっていないか?
先ほどからしつこいくらいにソラリスの名前を出しているし、家に出入りしていることも告げている。自分にとって特別な存在なのだとアピールしているようにしか思えなかった。
――ソラリス、外堀埋められているわよ。
知らないうちに、逃げ道が全部塞がれている、なんてことになっていなければいいけれど。
完璧にロックオンされている状態に、頑張れと言わずにはいられない。
「では、また」
今後のソラリスを心配していると、話は終わったらしく、ティーダ先生は去って行った。
アステール様が話し掛けてくる。
「ごめんね。お待たせ。退屈だったでしょう」
「いえ、大丈夫ですよ」
「ありがとう。でも、少し急ごうか。私のせいなんだけど、遅くなってしまったから」
確かに廊下から外を見れば、日が沈みかけていた。
頷き、急ぎ足で馬車が待っているところまで行く。
幸いにもそれ以上誰かに声を掛けられることもなく、無事、馬車に乗り込むことができた。
「今日は来てくれてありがとう。楽しかったよ」
馬車に乗った私に、アステール様が笑顔で言う。私も頷いた。
「こちらこそ楽しかったです。子猫たちのことも気になっていたので、会わせて下さって嬉しかったです。ありがとうございました」
「喜んでくれたのなら良かったよ。ノヴァには話しておくからよかったらまたおいで」
「良いんですか?」
「もちろん」
嬉しい申し出に頬が緩む。また子猫たちと会えるのだ。
リュカも喜ぶだろうし、私も嬉しかった。アステール様がじっと私を見つめてくる。
「? どうしましたか?」
「……いや、可愛いなと思って見ていただけ」
「えっ……」
「本当に、私の婚約者はどうしてこんなに可愛らしいんだろうね。公爵家に帰さなければならないのが口惜しいよ」
「あの……アステール様?」
「愛しいスピカ。また明日。朝になったら迎えに行くよ」
アステール様が馬車の中に入ってくる。そうしてチュッと口づけた。
反応する間もなく、彼は馬車から降り、扉を閉める。
「またね」
「えっ……えええ?」
馬車が走り出す。口づけられた唇を押さえ、私はその場で身悶えた。
「い、今の、何……」
あんなの反則だ。
来るぞと分かっていれば心構えもできるが、今みたいな不意打ちだと全く対応できない。
甘い声と柔らかな唇の感触を思い出し、頬に手を当てる。
嫌なわけではもちろんない。
突然の供給過多に心がついてこなかったのだ。
「ア、アステール様ってば……」
ドキドキと心臓が馬鹿みたいに鼓動を打っている。
恥ずかしいのに嬉しくて、きっと一生彼とのキスは慣れないのだろうなとそんなことを思った。