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「駄目」
少し強めに言い、キャリーケースの中に入れる。リュカは抵抗していたが、やがて無駄だと気づいたのか、ふてくされた様子で中に入っていった。
「もう……」
「リュカも猫だからね。楽しかったんだろう」
「そうでしょうけど……リュカ」
キャリーケースを覗き込むと、リュカは抗議するようにケースの奥に引き籠もっていた。
こちらを見つめる目も、あまり好意的ではない。
邪魔をされたと思っているのは間違いなかった。
「……仕方のない子」
「私としてはリュカに長居してもらっても構わないのだけどね」
「そんなわけにはいきません。さ、リュカ、帰りましょう」
キャリーケースを持とうとすると、また先にアステール様に取り上げられてしまった。
私が持つと言っても聞いてもらえないのは分かっているので、素直に「ありがとうございます」とお礼を言うことにする。
「うん。じゃあ行こうか」
キャリーケースを持ったアステール様が扉を開ける。
ふたりで来た時と同じように歩いていると、廊下の反対側から男性がふたり歩いてくるのが見えた。
「あっ……」
ふたりとも、知っている人だった。
シリウス先輩。
城で会うのは初めてで少し動揺する。
彼は高位貴族らしい華やかな装いで、壮年の男性の後ろを歩いていた。
シリウス先輩を大人にしたらこうなるのだろうと思える人。
彼は、シリウス先輩の父親。
アルデバラン公爵だ。
近衛騎士団の団長を務めるアルデバラン公爵は堂々とした様子で廊下を歩いている。
団長であることを示す青紫色のマントがよく似合っていた。
彼らは私たちに気づいたようで、立ち止まった。廊下の端に寄り、頭を下げる。
アステール様は慣れた様子で彼らの元へと歩いていった。私もそのあとに続く。
ふたりの前で立ち止まったアステール様は、アルデバラン公爵の名前を呼んだ。
「ベテルギウス」
「これは殿下。気づかず失礼を致しました」
息子であるシリウス先輩よりも低い声。その声には力があった。
「構わないよ。お前はこれから父上のところか?」
「はい。陛下に本日の報告をする予定です」
頭を上げ、はきはきと告げる公爵は、私をチラリと見て言った。
「なるほど。殿下はご婚約者様と逢い引きですか?」
「逢い引きというほどのものでもないけどね」
「仲が良さそうで結構なことですな」
「おかげさまで。ああ、君の息子にもよくしてもらっているよ。最近はノヴァの面倒も見てくれているようで助かっている」
「そうですか」
「私の婚約者も君の息子には世話になっているしね」
アルデバラン公爵と楽しげに話し、アステール様は言った。
「そうだ。しばらくシリウスを借りることが続くと思うけど、構わないかな」
「もちろんです。愚息が殿下のお役に立つのなら喜ばしいこと。シリウス、今後もおふたりのためになるよう、よく働くように」
「はい」
シリウス先輩が返事をする。普段聞くのとは違い、少し固かった。
アルデバラン公爵が頭を下げる。
「それでは、御前を失礼します。陛下をお待たせするわけには参りませんので。ああ、そうそう」
「何かな」
「……最近、妙な動きをしている者がいる、と聞いています。まだ尻尾は見せていないようですが、何かよからぬことを企んでいるやもしれません。殿下も身の回りにはどうぞお気を付け下さい」
「分かったよ。ありがとう、引き留めて悪かったね」
「とんでもないことでございます」
もう一度頭を下げ、公爵はシリウス先輩と一緒に廊下を歩いて行った。
それを見送り、ほうっと息を吐く。
なんというか、すごい緊張感だった。
どんな人か姿を見かけたことは何度かあったし、色々と噂を聞いてはいたが、直接話しているところを見たのは初めてだったのだ。
厳格な雰囲気を持つ人。
なるほど、シリウス先輩の父親かと妙に納得させられた。
「スピカ、もしかして緊張していた?」
安堵の息を吐いたことに気づいたアステール様が声を掛けてくる。その言葉に頷いた。
「はい。お恥ずかしい話ですが、アルデバラン公爵様の覇気に当てられてしまったのでしょうか。いまだドキドキしているようです」
「確かにアルデバラン公爵の雰囲気は一種独特のものがあるからね。緊張するのも分かるよ。
あ、今度はグウェインが来た」
「え……?」
グウェインという名前に反応した。
慌ててアステール様の示した方を見ると、確かに顔見知りの人物が歩いてくるのが見える。
その人は後ろに部下を三人ほど引き連れていた。
三人ともローブを着ているので、おそらくは魔法師なのだろうと思う。
グウェイン。グウェイン・ティーダ。
魔法師団の副団長にして、魔法学園の教師を務める人。
ソラリスの幼馴染みで、先日、ノヴァ王子が拾った子猫を一匹貰い受けてくれた人だ。
続けざまに知り合いに会うとはと驚いたが、考えてみればここはお城なのだ。
城の要職に就く彼らがいるのは当然のことだと思い直した。
「グウェイン」
「おや、殿下。こんな場所でお会いするとは奇遇ですね」
アステール様が声を掛けると、こちらに向かって歩いてきていたティーダ先生が立ち止まった。先生は学園にいる時と変わらない服装をしている。
「先日はどうも。お預けいただいた子猫、元気にしていますよ」
「そうか、それは良かった」
ティーダ先生の言葉を聞き、ホッとした。
三匹いたうちの二匹とは先ほど会ったが、もう一匹、ティーダ先生に貰われていった子がどうなったのかは知らなかったのだ。
ソラリスが様子を見ているのは知っているから大丈夫とは思うけど、それでも直接話を聞けたのは嬉しかった。