パティスリー・ベルタンへようこそ 〜俺は今日も魔物じゃなくてケーキを焼く〜
「いらっしゃいませ、どれにいたしましょうか?」
目の前のお姉さんにニコリと笑いかける。
彼女は栗色のふわふわとした髪をリボンで縛り、ドイツの民族衣装、ディアンドルに似た衣装にエプロンをつけていた。
どこかの飲食店で働いてる人だろうか?
「あの……私、酒場に行くときいつもここを通ってて……その……ショーケースの中の色とりどりなものは何かなって気になってて……」
お姉さんは、気恥ずかしそうに目尻のそばかすを指先でかく。
「そうでございましたか、これはケーキと呼ばれる甘味でございます」
ショーケースの上で、どうぞ、よくご覧くださいと両手を広げる。
どれも心を込めて作った自慢の子供達だ。
「け、ケーキ!?」
お姉さんは猫目を煌めかせ、ガラスケースに釘付けになる。
それもそのはず、この世界では甘味はとても貴重なものだ。
中でもケーキなんて、貴族以外は無縁なものなのだから。
そしてこの世界のケーキは未だ発展途上であり、自分が作ったものはそこから先に発展したものである。
「どれか、気になる子は御座いますか?」
「えっ? あっ、えっとえっと、この……フレジェ? が逆さまになってるやつって何なんですか?」
お姉さんが指差したのは、フレジェ……つまりはイチゴを用いたショートケーキだ。
「リ・ア・シエルですね?」
このケーキは、女の子が憧れる天蓋付きのベッドをイメージしている。
フレジェをわざと逆さまに配置する事で天蓋の幕に見立て、上下のスポンジはベッドの土台と天蓋の天井、そして間の二層のクリームはベッドと空間を表した。
上に乗せたフレジェは磨きをかけて、シャンデリアに見立てている。
味だけではなく見た目にも美しく楽しめるようにした。
「これはアーモンドペーストが入ったしっとりとしたスポンジに、ピスタチオを加えたバタークリームとカスタードクリームのムース、フレジェの果肉とピューレを挟んでおります」
簡単に言うと、ピスタチオとイチゴのフランス風ショートケーキだ。
ピスタチオにはラズベリーを合わせるのが定番だが、癖のないイチゴを合わせた方が、甘味を食べ慣れていないこちらの世界の人たちには食べやすいようである。
「甘くした濃厚なピスタチオクリームの味わいと、さっぱりとしたフレジェの酸味を楽しんで頂けるかと思います」
「ゴクリ……お、美味しそう!」
どうやらお姉さんはこの子に釘付けのようだ。
この子もまた、お姉さんの元に行きたがっているように見える。
「クセがなく当店では最もオーソドックスな子なので、お客様のハジメテにおススメですよ」
ここで取り扱ってるケーキの大半は、あまりクセのない子供でも食べやすいケーキだ。
それプラス大人向けの商品が数点と、この世界の人たちの好みを知るために、お試しで癖の強いケーキを数点用意してある。
「ちなみに、通常でしたらフラン銅貨5枚ですが、今ならキャンペーンでフラン銅貨で4枚になります」
「えっ? えっ!? やす……くはないけど、私にも買える値段です」
酒場の給仕は1時間でフラン銅貨10枚。
彼女の時給のおよそ半分。
決して安くはないけど、払えない金額ではない。
誰にでも買える金額でーーそれがここのオーナーの希望だった。
ピスタチオは僕たちの世界では高騰しているが、こちらの世界では見向きもされていない食材の一つ。
偶然にも、在庫として抱えていたピスタチオを押し売りしてきたご近所さんには感謝しないとな。
「で、でも……私、今は時間あるけど、このあとお仕事で……」
「なるほど、それでしたら、店内でお召し上がりになられますか?」
カウンターから少し体をどかし、奥のカウンターとテーブルをお姉さんに見せる。
「えっ? いいんですか?」
「はい、中でお召し上がりの場合は銅貨5枚になりますが、その分、お紅茶のお代わりが無料になっていますのでお得ですよ」
お紅茶単品はフラン銅貨3枚。
その場合もギモーヴ(マシュマロ)やビスキュイ(クッキー)などが付いてくるとはいえ、こちらのケーキにセットで注文した方がかなりお得である。
「じゃ、じゃあ、それで!!」
「はい、それでは1名様、ご案内いたします」
ぐるりとカウンターを回って、お店の扉を開けお客様を出迎える。
「ようこそ、パティスリーカフェ、マドレーヌ・ベルタンへ」
このお店の名前は、オーナーであるマドレーヌ・ベルタン女史に由来している。
異世界に来て右往左往している僕たちを拾ってくれたベルタン女史に、何か恩返しはできないのかと始めたのがこのパティスリーカフェだ。
「あっ、私、ここからまっすぐ行った所にある酒場で働いている、ジェーンっていいます」
「初めましてジェーンさん。私はこのお店のパティシエを務めている雪広千冬と申します。こちらの国では珍しいですが、雪広が苗字で、千冬が名前になります」
名前を聞いた途端、ジェーンさんは顔を真っ青にして慌てる。
「ご、ごめん……じゃなくて、すみません! 私、その、千冬さんが……じゃなくって」
「大丈夫ですよジェーンさん。苗字は御座いますが、私はただの庶民ですので、今まで通り普通に接してくださると嬉しいです」
この世界で苗字を持っているのは基本的に貴族か、大商会の会頭などの権力者のみである。
当初は苗字を隠した方がいいのではと仲間内で話し合ったが、ベルタン女史にも相談して、あえて苗字を隠さない方が良いという事に落ち着いた。
「でっ、でも……」
さて、どうしたものかと悩んでいると、聞き覚えのある声が会話に割り込んできた。
「ほらな、俺が言った通りだったろ? 千冬は堅苦しすぎるんだよ」
会話に割り込んできた男は、シャツの袖をまくった腕を俺の肩へと回す。
俺はいつもの事のように、それを手で叩いて振りほどいた。
「俺の名前は小宮陽介。気軽にヨースケとかヨウって呼んでくれよな、よろしくジェーン……いてっ、さん」
ヨウは、俺に抓られて赤くなった手の甲に息を吹きかける。
お客様を呼び捨てにしようとするとか……まったくもって論外だ。
やはりこいつをホールに回したのは、失敗だったかもしれない。
「ふふっ」
ジェーンさんは口元に手を当て微笑む。
「二人とも……何やってるの?」
振り返ると、厨房から顔を出したひーちゃん……倉花聖がジト目でこちらを睨んだ。
実家の小料理屋を手伝っていたひーちゃんは、ここではランチメニューを担当している。
「お客さんを案内しなくていいの?」
ヨウとひーちゃん、そして俺の3人は同じ高校の同級生である。
ただの普通の高校生であった俺たち3人は、学校の帰宅中にいきなり異世界へと転移させられた。
その原因であるこの世界の神とやらは、ヨウに勇者、ひーちゃんに聖者、そして俺に賢者の力を与る。
なんでも魔王とやらを倒して、この世界を救って欲しいとか……。
はっきりいって、巫山戯るなという話だ。
俺たちはごく普通の家庭で、ごく普通に暮らして、日々を楽しんで過ごしていた。
それなのに自分勝手な理由で召喚して……俺たちの都合は御構い無しかよ。
どうせ魔王とやらを倒した所で、元の世界に帰れない事は呼び出した本人から確認してある。
こいつのいいなりになるのも癪なので、俺たちは3人で話し合ってこの世界で自由に生活する事を決めた。
「マスター、私がお客様をお席にご案内致します」
金髪の男がジェーンさんと俺たちの間に割り込む。
彼の名前はギルベルト・サーキスタ。
俺たちはギルさんって呼んでる。
年は俺たちよりも上の24歳で、サラサラのブロンドヘアーに加えその顔つきはかなりの美形だ。
元々は騎士だったが、色々あってこのお店の警備兼ウェイターとして雇い入れた。
「お客様、お席はカウンターとテーブルどちらがよろしいでしょうか?」
「えっと……じゃあ、カウンターで」
ギルさん、笑顔! 笑顔!
ジェーンさんの後ろで、俺とヨウは両方の口角を指先で持ち上げる。
それに気がついたギルさんは、慌てて笑顔を作った……が、やはりどこかぎこちない。
「では、こちらの席へどうぞ」
ギルさんがジェーンさんを席を案内すると、初老の男性がカウンター越しに頭を下げる。
「お嬢様、お紅茶のメニューになります。ご希望の物は御座いますでしょうか?」
この初老の男性はアルフレッドさん。
元々はどこかのお屋敷で執事をされていたようだが、主人が亡くなられた事で働き口を探していたそうだ。
人手を探していたところベルタン女史に紹介され、ここで働いて貰っている。
ピシッと決まったスーツ姿と、立ち姿に一目惚れした俺は、他の2人に相談する前に採用を決めてしまった。
あの時は、後でひーちゃんに怒られたっけ。
アルフレッドさんには、ここのカウンター業務を手伝って貰っている。
「あの、よくわからなくって……」
「それでしたらこのケーキにもよく合う、王道のブルニスの紅茶をお勧めいたします」
柑橘系のさっぱりとした王道の紅茶。
クリームが重たいケーキでも、フルーツがふんだんに使われてケーキでも、基本的に何にでも合うのがブルニスだ。
「わ、わかりました、それじゃ、それで」
「かしこまりましたお嬢様」
アルフレッドさんが紅茶を淹れている間、俺はジェーンから会計として銅貨5枚を受け取る。
この世界では基本的に前払いだ。
「それでは、少々お待ちください」
俺は食器棚からお皿とフォークを取り出すと、ショーケースの中から注文の子を手に取る。
この中は高価な魔石を使い、低い温度でキープされているためにとても涼しい。
アルフレッドさんが紅茶を出すタイミングに合わせて、俺も準備を整える。
「おまたせいたしました。リ・ア・シエルになります」
俺がカウンターにケーキ皿を置くと、ジェーンさんは皿の上に乗った子に目を輝かせた。
まずはじっくりとその形を眺め、そのあとは皿を取り匂いを嗅ぐ。
目と鼻でケーキを楽しんだジェーンさんは、ようやく食べる決心がついたのか手にフォークを持った。
フォークで先端の部分をカットしたジェーンさんは、ゆっくりと口の中へと最初の一口を運んでいく。
「んっ……んん〜〜〜!」
口の中にケーキを含んだジェーンさんは、目を見開きその味に驚いた。
このケーキを一口食べると、まず最初に濃厚なピスタチオの香りが口の中いっぱいに広がり鼻に抜ける。
次に全身を駆け巡るほどの香ばしさを、イチゴのスッキリとした酸味が調和する事で、豆類独特の重たさを脳に残さないのが特徴だ。
「美味しいっ!」
良かった。
どうやらジェーンさんの初めてはうまく行ったようだ。
ジェーンさんは一口食べるたびに、表情をコロコロと変え歓びを表す。
最後はお皿についたクリームまで綺麗に舐めとっていた。
「す……すみません、私ったら貧乏性で……あの、全部美味しかったけど、特にこの緑色のクリームがすごく美味しかったです」
おっと、こういう場面では見ないように視線を逸らしてあげるべきでしたね。
お客様に恥をかかせてしまった事を自省する。
「気に入っていただけたようで何よりで御座います。綺麗に食べて頂けるという事は、パティシエにとって至上の喜びでしかありません、お気になさらず」
俺は許可をもらいケーキ皿を片付けると、奥から取ってきたお皿をジェーンさんのテーブルに差し出す。
「えっと、これは……」
しーっ。
俺は人差し指を口に当てる。
「こちら、先ほどのクリームとおなじ、ピスタチオを用いたクッキーになります。よろしければどうぞ」
生地に塩気を効かせて、甘じょっぱい味に仕上げている。
ピスタチオの味が気に入ったジェーンさんなら、きっとこれも気にいるはず。
「あっ、あの……いいんですか?」
「ええ、他のお客様には内緒ですよ?」
厨房の暖簾の隙間からチラチラと見えるひーちゃんの視線が痛い。
新しいお客様が来る度に、俺がこうやって毎回何かしらサービスしているせいだろう。
帳簿の管理を担当しているひーちゃんはお財布の紐が硬く、大らかなヨウと俺はよく叱られている。
「ありがとうございます」
ジェーンさんは俯いて指先をモジモジさせると、なにかを決意したようにかおをもちあげた。
「あの……ちょっと、ご相談があるのですけど……よろしいですか?」
どうやらこれは何かあるようだ。
俺は返事を返しコクリと頷く。
「実は今度、うちの酒場のマスターが同僚の先輩と結婚するんです」
「それはおめでたい事ですね。従業員一同お祝い申し上げます」
「はい、だけど……お互いにいい歳だからと、お金を節約するために式は挙げず、仲間内だけで酒場で軽い飲食パーティーをする事になったのです」
なるほど、俺の居た世界でも良くある話だ。
「それで従業員の子達で、お世話になった2人にどうにかできないかなって……。幸いにも手先が器用な子が居てその子がドレスを、ブーケは常連のお花屋さんが、食事は私たちで用意して……その、思いつきなんですけど、最後に千冬さんの所のケーキが出せたら喜んでくれるかなって思って」
「なるほど、わかりました……そのご依頼、この私に承らせて頂けはしないでしょうか?」
この仕事だけは絶対に逃さない。
そう思った時には、体の方が先に動いていた。
思わずジェーンさんの手を取ってしまったのである。
「あっ、はい! ぜひお願いしたいです……なんだけど、そのお金がですね……」
顔を赤らめ目を背けたジェーンさんは、申し訳なさそうに呟く。
「ご希望の金額でご用意いたしますよ」
ウェディングケーキが作れる。
俺の頭の中はそれでいっぱいだった。
「じゃ、じゃあお願いします……」
更に顔を真っ赤かにしたジェーンさんは、目をぐるぐると回す。
む、もしやジェーンさんは、どこか体調でも悪いのかも……。
「ちーふーゆ!」
「いてっ」
振り返るとヨウが、周りをよく見ろと親指をくいっと向ける。
どうやら俺の後頭部が、ヨウの持っていたトレイで叩かれたようだ。
俺がヨウの指差す方向を見ると、奥のご婦人たちがこちらを食い入るように見ていた。
そこで俺はようやく自分のした事に気がついたのである。
お客様であるジェーンさんの手を握るばかりか、彼女に詰め寄ってしまった事を。
「も、申し訳ございません……」
俺は消え入りそうな声で頭を下げ謝罪した。
「あっ、大丈夫ですよ……それに、そんな不快とかじゃなかったし」
ジェーンさんが優しい人で良かった。
お客様以前に許可なく女性の手を握るなんて、普通に考えてセクハラも良いところである。
俺は少し気まずくなったこの空気を破るために口を開いた。
「えっと、それではケーキの事について話したいのですが……」
「あ、あぁ! そうですね! そうしましょう!!」
俺はジェーンさんの話を聞いてケーキの構想を固めていった。
何度か父のウェディングケーキ作りを手伝った事はあるし、練習で作ったことはある。
しかしお客様に提供するウェディングケーキを、最初から一人で全部作るのはこれが初めての事だ。
俺は弾むを気持ちを抑え、失敗できないぞと身を引き締めた。
◇
俺は鏡の前で身だしなみをチェックする。
飲食に従事する者として身だしなみは重要だ。
清潔感のある洗い立て白いシャツの上からジャケットを羽織ると、足元のブーツの紐を結び直す。
「まったく……千冬はいつもお人好しなんだから」
俺はプンスカと怒るひーちゃんの頭を撫でる。
ひーちゃんの怒りの原因は、俺がケーキを安くしあげた事だろう。
決して赤字ではないし、ひーちゃんがケチというわけではない。
ただ、出来上がった物に対して僕の技術料が少なすぎると怒っているのだ。
職人はその出来に見合った金額を受け取るべき、俺もひーちゃんも同様の考えを持っている。
しかし俺は、まだ自分の事を一人前だとは思っていない。
中学生の時に両親のパティスリーを手伝い初めてから6年、店に出る前も含めれば10年近く。
卒業後には海外のパティスリーに修行にいく予定だったが、その道はもはや閉ざされた。
俺は手本のいないこの世界で、今もまさに試行錯誤を重ねもがいている。
「でも、ひーちゃんだって協力してくれただろ?」
ひーちゃんの職業である聖者は、全てを癒すことができる。
その能力は規格外で、食品のアレルギー成分すらも事前に無効化する事ができるのだ。
今から持っていくケーキも、ひーちゃんの協力があってこそだと俺は分かっている。
「もう、千冬はそうやって直ぐに頭撫でて誤魔化そうとするんだから! そんな事したって、僕は簡単に懐柔されたりしないんだからね!」
俺はそっぽを向いて口先を途切らせるひーちゃんに、行ってくると声をかけた。
店を出て真っ直ぐと通りを歩くと、目的の酒場が視界に入る。
「あっ、千冬さん!」
「お久しぶりです、ジェーンさん」
ジェーンさんはそばかすをメイクで隠し、髪を綺麗にセットし、服装も肩にフリルのついた黒のワンピースを着て、ヒールの高い靴を履いていた。
お酒が入っているのか、心なしか頬に紅が差し瞳が潤んでいるように見える。
一言で言うと色っぽく、お店であった時のような子供らしさは消えていた。
「あっ……」
「おっと」
俺はよろめいたジェーンさんを抱きとめる。
その時、ほんの少しお酒の香りがふわりと香った。
「ご、ごめんなさい、私ったら本当にドジで……」
「いいえ、お気になさらず」
ジェーンさんが現れた場所。
酒場の入り口に視線を向けると、同僚と思わしき女性たちが何人か外に出てきていた。
みなジェーンさん同様、この日のために着飾っていて、ほんのりとお酒に酔っているように見える。
「ちょっ、ちょっと! ジェーン、誰よその人」
「あっ、この前言っていた甘味屋さんの人で……」
同僚の女性はジェーンさんをガッチリと捕まえると、ズルズルと酒場の入り口の方に引きずっていく。
「ジェーン、ずるい」
「……良い男じゃない」
「聞いてない………」
「今度……も店に……」
なにやらみんなで輪になってボソボソと呟くと、話し合いが終わったのか、ジェーンさんが再びこちらにも駆け寄ってきた。
「お、おまたせしました、こちらにどうぞ」
俺はジェーンさんの後に続いて酒場の中へ入る。
中に入ると、今回の主役と思わしき二人がテーブルの前に立っていた。
俺は二人と挨拶を交わして、祝福の言葉を贈る。
ケーキが用意されている事を知らなかった奥さんは、びっくりとした後、ジェーンさんに抱きついて感謝を述べていた。
周りの人はサプライズが成功したと、やんや、やんやと騒ぎ立て、口笛を鳴らしたりしている。
「それでは、こちらがケーキになります」
俺はテーブルの前で指を鳴らす。
収納魔法アイテムボックス、賢者が使える魔法の一つだ。
状態を保ったまま物質を収納できるこの魔法は、大型ケーキの運搬にとても役に立つ。
「「「わぁ!」」」
周りから感嘆の声があがる。
「なにこれ、素敵!」
「綺麗!」
「えっ、えっ、これって食べ物なの?」
「ケーキ、夢にまで見たケーキ……!」
3段に重ねられたウェディングケーキ。
1番下の段のケーキには、ピスタチオのマカロンを貼り付け、中にはピスタチオクリームとチョコレートブラウニーの土台。
真ん中の段のケーキには、極限まで薄くしたピスタチオのチョコレートをまいていて、中には黒胡椒を隠し味としたリコッタチーズを挟んで塩気を効かせている。
1番上の段のケーキは、ジェーンさんに提供したケーキを、イチゴが外に見えるような形でホールで。
まさにピスタチオ尽くしの一品。
俺はウェディングケーキの説明すると、主役の二人は周りに促されケーキ入刀する。
「それでは皆様、ケーキをお楽しみくださいませ」
俺はケーキを切り分けて、一人づつお皿を手渡していく。
「美味しい! こんなの初めて食べたわ」
「うめぇ、この塩気が効いた奴たまらねぇな」
「ちょっと、1段目と2段目じゃ味が違うんだけど!」
「えっ、えっ、そっちの頂戴」
よかった、どうやらみなそれぞれに口に合ったみたいだ。
この子が受けいられるかどうか、自分の腕に自信がないわけではないが、不安だったのは事実である。
その後、俺も主役の2人に誘われてパーティに参加させてもらい楽しませて貰った。
「ありがとうございました、千冬さん」
「いえ、こちらこそ、このような機会を与えてくれて感謝致します」
外に出た俺達は握手を交わす。
時間はもう深夜と言ったところだろうか。
「あの……また、お店に行ってもよろしいでしょうか?」
「もちろんです」
俺がニコリと微笑むと、ジェーンさんも夜風に靡く髪を抑え微笑んだ。
色気のある女性の仕草に、あどけない少女の表情。
なるほど、あの酒場が栄えているわけだ。
「またのご来店、心よりお待ちしております」
帰り道、俺はジェーンさんと別れ1人帰路に着く。
空を見上げると大きな月が二つ、地上へと光を落としていた。
あぁ、やはりここは異世界なんだと、1人になると心が沈んで行くのがわかる。
気がついた時には、夜の道を走っていた。
だって俺は、1人じゃないから。
お店に帰ると、夜遅くまで掃除をして待っていた2人が俺を出迎える。
本当はすごく嬉しかったけど、俺は格好つけて普段通り不敵に笑みをこぼす。
「ただいま」
俺は、クローズの木札がぶら下がったパティスリーの扉をゆっくりと閉めた。
お読みいただきありがとうございます。
連載を考えている作品になります。
楽しんで頂ければ幸いです。