95.止まれぬ未来へ
「驚いたな、君がこっちの支部に私用で来るなんて。」
「ああ、出迎えありがとな。ナータン。」
「我が親友、リーンハルトの頼みなら断らないよ!」
馴れ馴れしくも彼の背をバンバンと叩きながら大柄に笑う男はナータン・ハセマーという。リーンハルトの元同僚であり、現在はベルリン支部に所属し、リーンハルト同様班長を務めている。
リーンハルトはヤンから頼まれた任務を終え、報告を済ませてすぐに休みをとった。そして向かったのはベルリンだった。彼の生まれたエリアを統べる支部であり元職場である。
「で、何用で来たんだい?」
「ウルツさんに修行をつけてもらいに。」
「君、滞在1週間だったよね? そんな短い期間で一体何を?」
驚いた様子のナータンにリーンハルトは気まずそうに笑いながら意図を口にする。
「能力の制御だよ。」
「ああ、噂の? そういえば今年のトーキョー支部は豊作らしいけどその指導のため?」
噂、とは能力の進化すなわち新人類の先への到達を示す。
名は伏せてあるが、相手がそれを達成している以上、班長以上にはその情報は伝えられている。しかし、リーンハルトは先の戦争で活躍し副部長にも就任したことがあるため、嫌でも名と顔は知られていた。
「……1人はもう恐らくオレと同じ、進化した能力を使えるだろうな。もう1人は、多分まだだ。」
「惜しいね。」
「惜しくねーよ。身体の動きがいいと思って身を任せたら辺り一面氷原だぞ? 仲間を傷つけるなんてごめんだ。」
「そうかい。」
聞いているのか聞いていないのか。
相変わらず掴みどころのないテキトーな態度にリーンハルトは内心で首を横に振った。
「で、何でまたあの場所に?」
不意に尋ねられた、今から彼の車で向かう行き先について、リーンハルトは僅かに身体を強張らせた。
「……アイツのこと、乗り越えなきゃオレは新人類の先になんか行けないからな。」
「君も頑張ってるんだねぇ。」
大して思ってなさそうな軽い口調に対して、小さく煩いと言いながら2人はのんびりと走る車の中で談笑を交わした。
たどり着いたのは植物園の先に広がる墓地だった。
先のユーマニティ戦争の犠牲になった身寄りのない者達が眠る墓だ。
リーンハルトは迷うことなくある墓の前に向かった。そこには『エメリッヒ・バシュ』、かつての彼の親友の名を刻んだ墓石が堂々と立っていた。
決して近くに寄ってこないナータンに感謝しつつ、リーンハルトは小さな声で眠る彼に語りかける。
「よぉ、遅くなって悪かったなエメリッヒ。お前のことだから退屈して騒いでたろ。」
生前の彼の底抜けに明るい声は今でもリーンハルトの耳にこびりついていた。
「今なぁ、トーキョー支部で班長やってんだ。
副班長はハーマンっつって頼りになる先輩なんだ。オレらが突っ走っても諫めてくれる。あとオリヴィア、相変わらず怖いけど医学に関する知識はピカイチで治療も凄いんだわ。賢いといえばシュウゴっていうのもいて、見たことすぐに覚えるし戦術もオレなんかよりしっかりしてる奴なんだ。
あとはルイホァ、ペキン支部長の娘だけど優しくて真っ直ぐで、正義漢に溢れた女の子だ。女の子といえばエルナ、いっつもつっけんどんだけど誰にでも真正面から向き合える、オレも背中を何度も叩かれた。それとケイ、バスケ選手目指してるんだがコイツは本当天才で能力や戦闘のスキルは断然オレ達より上だ。
……それと、同い年のヒロタダ。無効化使いでな、オレがダメになりそうだった時アイツの背中見て更生したんだ。きっとお前も仲良くなれるな。」
周りを掃除しながらリーンハルトは話す口を止めない。
「オレ、フェベ……ゾエの母さんなんだけど、その人に復讐に満足して死ぬなって言っといて自分のことや元ウルツ班のこと棚に上げてんだ。笑えるだろ?
もう仲間を失いたくない。失うなら自分が、って思っちまう。」
でも、と続ける。
「その気持ちばかりが先行するから新人類の先に到達しても制御できねーんだ。お前を目の前で喪った時も、フェベが亡くなった時も、いつも同じだ。」
リーンハルトの手が震える。
そう、いつだって後悔と悲しみが先に走っていた。
だからこそ、ここに来た。エメリッヒからならば大切なものを貰えると思ったのだ。
「……オレ、次に能力覚醒するときは本能じゃない、自分の心で必ず成し遂げる。必ず。だから、見ててくれ。」
彼が笑ってくれた気がした。リーンハルトは拳を墓に合わせた。頬に溢れた一筋を拭き取ると踵を返してナータンのもとへ向かう。
その時に彼の髪を靡かせた優しい風はまるでエメリッヒが彼の背を押しているようだった。
リーンハルトが次に向かったのはウルツの元だった。ナータンには礼を言って別れた。
本部にある訓練所で彼は訓練着に着替えて待っていた。
「久しいな、リーン。元気にしていたか?」
「お陰様で。時間をとらせてすみません。」
「なんだ、殊勝に? らしくないな。」
ウルツは笑ってみせたが、リーンハルトの目の奥に宿る感情を確かに見抜いていた。
「ウルツさん、オレ、やっと新人類の先へと行く方法が分かったんです。」
「……言ってみろ。」
「まずは知られている通り、身体の進化、そして甲状帯の進化とそこをめぐる血流量の増加、それに間違いはないんだと思います。」
「ほう。」
それに関してはイチヨウから本部の方へも報告が上がっており周知の事実であった。
「問題は制御です。オレの親父はできている。そして、フェベも。」
「フェベもか?」
イチヨウの推察では彼女は甲状帯の進化のみ発生しており、加えて新たに開花した能力を短時間ではあるが自我を保ったまま操っていた。
果たして、それに何の意味があるのかウルツには分かっていなかった。
「……それは、単純で曖昧だけど難しいこと。つまりは記憶の清明化、そして感情の制御です。」
「つまりはどういうことだ?」
リーンハルトは思い出したくないかのように苦虫を噛んだようやく表情を浮かべながら説明を始めた。
「フェベの能力が目覚めたのは、ゾエが亡くなってからだそうです。そして、オレの調べた限りだと親父の能力が開花したのは、戦争の中で母が何者かの撃った流れ弾に当たった時期と同じくらいです。
2人の共通点は、大切な人を喪った、もしくは亡くしかけたことによる感情の昂りです。
オレが初めて能力を暴発させたのも、エメリッヒが目の前で亡くなった時、2回目もフェベが殺された瞬間だ。」
リーンハルトの手が震える。
しかし、ウルツは何も言わずに弟子の言葉を待つ。
「オリヴィアやシュウゴに聞いた話だと、エピソード記憶、つまり経験した出来事の記憶について深い関わりがあるそうです。
人間は辛いことや苦しいことを忘れていく、甲状帯に血流量を増やす代わりに海馬の粗血を進め心を壊さないように記憶を思い出させない。
ヒトが人であることを守るために自然な反応な気がします。」
「ならばお前はどう克服する? まさかそのトラウマに慣れるために記憶を思い返し続けるのか?」
「そんなことしたら心が壊れますよ。……オレの親父みたいに。」
最後に見た、変わってしまう前の父の姿を思い返す。元々そういった素質があったのかもしれないが、その真実をリーンハルトは知らない。
憧れだった父の瞳が闇に染まっていったのを、リーンハルトはよく覚えていた。
「フェベは復讐に身を賭した覚悟があったのもあるんでしょうが……たぶんドロシーの存在も大きかったんだと思います。」
「あの少女か。」
「はい。彼女がいたから、きっと全てを闇に飲まれずに済んだ。彼女がいたから、自分の中で整理をつけたんだと思います。」
ひどく大人びた顔をするようになった。
27歳なのだから当たり前だと思いつつも寂しく思いながらウルツは聴き続ける。
「……オレは、たぶん心のどこかで能力や過去と向き合うことを恐れていたんです。仲間にも見せたくないって。でもそれじゃ親父は、七賢人共は倒せない。」
「どう、折り合いをつけたんだ。」
予想はついていた。
しかしウルツは、しっかりとリーンハルトの言葉を聞きたかった。
「……エメリッヒとフェベを殺した親父をこの手で殺します。
誰の手でもない、オレの手で。この能力で。例えオレがその結果としてーー。」
「それが、お前の覚悟か。」
「……ハイ。」
「部下が、悲しむんじゃないか?」
その言葉にリーンハルトの肩は揺れる、とウルツは思っていた。
だがその予想は裏切られる。
リーンハルトはすでに覚悟を決めており、そうなってしまえば仕方がないものだとまだ目に見えぬ死を受け入れているのだ。
「お前が後悔しない答えなら止めない。今日はその進化した能力の試し打ち、というのところだろう?」
「ハイ。暴発したらオレをカラッカラの乾物にしてください。」
「昔のようにそうしてくれよう。」
リーンハルトは苦笑した。
ウルツの気持ちも理解していた。彼はエメリッヒに続き、弟子である自分が死ぬことをよしとしていない。しかし、元ウルツ班の歪な絆についても知っているからこそ何もいえない。
「時間は有限だ。さっさと始めよう。」
「よろしくお願いします。」
2人の間に走る緊張感はまるでかつてのようだ。
それからリーンハルトは1週間修行を続けることになる。その結果は次の任務で明らかになることであるが、休み明けに凍傷だらけの彼を見た仲間達が大騒ぎすることは言わずもがな予想がつくであろう。
【こぼれ話】
ナータンはかつての部下であり、最初は確執があったもののとある出来事をきっかけに打ち解けます。
ただ付き合いはあるようですが、親友とまではいかないようです。




