87.私が特務隊にいる理由
1時間の催し物が終わり、約束通り本家に通された。どこか懐かしい匂いのお香が焚かれており、リーンハルトは顔を顰めた。
彼が酷く嫌う匂いと同じであったからだ。
『何か臭い……。』
「あんま嗅ぐなよ。」
パウルの言葉に疑問を抱きつつもドロシーは頷く。すると1番長身のヤンが彼女を抱き上げて抱えた。
ドロシーは突如宙に浮いたことに驚いたのか小さく悲鳴を上げた。
『何するの。』
「いいのよ。アンタは高いところから見下ろしてなさいな。リーンハルト?」
「分かってる。」
2人のやり取りの意味はドロシーには分からない。この人達は相変わらず言葉少なで自分たちには優しくないと呆れる。
エルナが不貞腐れるのも納得だった。
本家の奥間に案内されると間もなくエタロウがやってきた。
「お待ちしておりました。さすが特務隊の精鋭陣。我が家の門下生達も修行が足りませんね。いやはや。」
「おーおー、随分と物騒な門下生がいるもんだなァ?」
「……。」
パウルの挑発に顔色1つ変えることなくエタロウは笑顔の仮面を貼り付けたままだった。
「では、お待ちかねの対面といきますか?」
「アンタはアタシ達がもう色々と分かってることを理解しているのよね? 何を考えているのかしら?」
「はて、おっしゃる意味がわかりませんが。」
エタロウの様子が明らかにおかしい。
4人はすぐに気づいた。
「ご心配なく。貴方達はここから生きて帰れませんから。」
奥の間の襖がゆっくりと開く。
そこには動きやすそうな袴を身につけたモニカが現れた。
『モニカ!』
「待ちなさい!」
安堵の表情を浮かべ、ヤンから降りようとしたドロシーを抱える力をヤンは強くした。
彼女は降りることが叶わず、ヤンを鋭く睨む。
しかし、その理由はすぐに分かった。なぜならモニカの気配がすぐ近くに迫っていたからだ。
そう、殺気を纏ったモニカが。
咄嗟に3人は大きく後方に跳んで避ける。
リーンハルトとパウルの表情が一変し、明らかにモニカを殺しにかかる動きを見せた。
「リーンハルト、パウル!」
「アタシ達はこっちよ! 【加工】!」
ドロシーが着ていたハイネックがガスマスクのような形になる。
そこで初めて今までうすく香っていたお香に問題があることに気づいた。3人の経験や勘に舌を巻きつつドロシーはヤンから降りてエタロウに接近する。
だが、この男は憎らしいことに余裕を崩さない。
「やってしまってください、モニカさん!」
「……【地雷】。」
「【加工】!」
モニカの技に対してヤンが床材を絶縁体に変えてしまう。そして自身の服も同様、手袋をすぐに装着した。
「リーンハルト!」
「ああ!」
能力的に相性の悪いリーンハルトは踵を返し、すぐにエタロウに飛びかかる。身体強化を使用したリーンハルトの動きにエタロウは呆気なく捕らえられ組み伏せられた。
「逃げられると思うなよ! ヴィリ達がお前らを一網打尽にするからな!」
「ああ、さすが元ウルツ班、英雄だ。だが、そんなことも言っていられますか?」
「あ?」
妙に自信に溢れるエタロウを前にリーンハルトは表情を歪めた。そして同時に先ほどからグラグラ揺れる視界の不快さに余計な力が入る。
「気づいているはずです。この部屋中に広がる香の効果に。それにアンタは情に厚い奴と聞いていますよ。元仲間を操られているといえモニカさんをどうにかできるんですか?」
「ああ。できる。」
「その脂汗、香の効果に抗うのに精一杯なのに?」
そう、リーンハルトはモニカ同様理性を殴られていた。抗うことができていたのは彼はかつてこの香に似たものを経験していたからだ。
エタロウを易々と抑えながらも自身の唇を血が滲むほどに強く噛んでいた。
「……オレ達元ウルツ班はよ、イカれてんだ。」
「あ?」
ふっとリーンハルトは笑った。
「仲間を殺すくらいなら死を選ぶ。同時にオレ達も理由はどうであれ迷わず殺すってな。そして、自分が立てた目標を遂げるためなら命をも捨てうつという約束を立てた。」
「【針千本】!」
唐突に聞こえた声にエタロウは床に伏せながら顔を上げた。
目に入ったのは、モニカに無数の針が襲い掛かる光景だった。
「易々と違わねぇよ。オレ達も、モニカも。」
モニカは薄らとした精神状態で靄のかかった光景を見つめていた。
確か自分はお見合いのため、エタロウと会い、そのままスギハラ家に招かれたはずだ。そこで妙な匂いのお香が焚かれており、だんだんと思考が遠退き、気づけばこの靄のかかった世界にいた。
先ほどから頭の片隅では、エタロウの声を心地よく感じ、なぜかその指令の通りに動かねばならないという気持ちにさせられていた。
「どうして……。」
モニカは頭を抱える。
正解を見出したいのに何も考えられない。酷く不快な心地だ。
「今、私……。」
『今、モニカはパウルとヤンと戦ってるよ。』
懐かしい声に心臓が一層大きく音を立てる。
モニカは顔を上げたがその姿は見えない。
「ねぇ、いるの? いるんですよね……、ゾエさん?」
気配はするのに。モニカは顔を歪めた。
「私、今どうなってるんですか? 分からない、わからない……。」
『もう、モニカは相変わらず泣き虫ね。昔からずっとそう。モニカは見てるこっちが疲れるくらい喜怒哀楽が激しいのよね。』
ふと彼女は笑ったらしい息遣いが聞こえた。しかし、彼女が続けた言葉は厳しいものであった。
『さて、モニカはいつまでここで目を瞑っているつもりなの? いいの? パウルやヤン、リーンハルトに殺されても、その3人を殺しても。』
「嫌に決まってる!」
『そうよね。モニカは特務隊に入った時から言ってたもの。』
言っていた?
自分は何を言っていたのだろう。
頭を振ると、何か、昔の自分が言っていた何かがリフレインする。
いつだっただろうか? そうだ、確か初めてウルツ班で集まったときの自己紹介だろうか。モニカが22歳の時だ。
『じゃあ順々に自己紹介だ。若い順に行くか。ほらリーンハルト。』
『リーンハルト・ワイアット。能力は水、よろしくお願いします。』
『はい、じゃあ次オレ! エメリッヒ・バシュ、能力は土を操ります、よろしくお願いします! 一応こっちのリーンとは同門。』
『別にそれ話す必要はないんじゃ……。』
『いいだろ、別に! 仲間にはなるべく自分のことを知ってもらって信頼してもらうべきだろ?』
『……。』
リーンハルトは相変わらず効率的ではあったが絆されやすい人間だった。
『特務隊に入った理由は、ただ1つ。オレの手で戦争を終わらせること。』
『初めて聞いたけど、そりゃまた大層な理由だな。つまらなくはねーけど!』
『はは、光栄っす!』
パウルの言葉にエメリッヒは無邪気に笑う。
『でも、戦争が終われば、大切な人を奪われる機会は減るはずだ。新人類と旧人類の確執も減って相互理解だって叶うはず。なら、やるっきゃないっしょ。』
エメリッヒの言葉は、新人類としての能力を忌み嫌われたモニカにとって温かく響くものであった。
『……私も。』
『?』
『私、モニカ・クルーズも、エメリッヒさんと同じかもしれません。みんなが手を取り合って、笑って過ごせる日常を取り戻したいです。』
『……改めてよろしく!』
破顔したエメリッヒとその背後でささやかに嬉しそうにしていたリーンハルトの表情は今でも忘れない。
そうだ、特務隊に入った時だって人の役に立てることの喜びを覚えていたはずだ。
「思い、出しました……。」
『そっか。良かったよ。なら、この靄を晴らすほどの強い心も保てるよね? だって私と一緒に戦った仲間なんだから。』
ああ、懐かしい貴女は顔を見せた途端いなくなってしまうのね。
モニカは眩しさに目を細めた。
「億万ぼ……。」
「待ちなさい、パウル!」
急に動きを止めたモニカに、ヤンとパウルも動きを止める。
ドロシーはマスクを外して、息を吸う。
「【大音波】!」
部屋中に響くような大音量の声だった。
しかし、誰かを傷つけることなく、襖のガラスやお香の入った容器が粉々に砕けた。そのドロシーの行動にパウルは攻撃の照準を変えた。
「【億万本針】!」
あらゆる壁を壊す。すると一気に冬の冷たい空気が室内に入り込む。お香の匂いはすぐに拡散し、リーンハルトも痛みを加えることなく、容易に理性を保つことができた。
モニカも同様らしく、ふらつきながら地面に身体を投げ出した。
『モニカ!』
「「モニカ!」」
ドロシーとパウル、ヤンが彼女に駆け寄る。
彼女は目元を濡らしており息を荒くしていたが、確かに彼女自身の意思を取り戻していた。
「ごめんなさ、迷惑、かけて……。お2人の、ドロシーの手を汚さずに済んで、よかった。」
『迷惑じゃないよ……! しんどいこととか迷うことがあるなら言ってよ。そんなに私頼りない?』
「そんなこと……。」
ないとはいえなかった。
弱々しくもモニカはドロシーの手を握る。
「ごめんなさい。貴女の、強さを見縊っていました
次は頼りますね。」
『……そうして。』
もう二度と大切な者を失いたくないと、ドロシーは願いモニカの手を強く握る。その気持ちが伝わったのか、モニカも握り返して微笑んだ。
「ほんと、心配かけさせないでよ。パウルなんてアンタが結婚して特務隊辞めちゃうんじゃないかってヒヤヒヤして……。」
「はあ?! それはお前もだろーがよ!」
油断していたらしいパウルは顔を真っ赤にして悲鳴のように声を上げた。それを見たモニカとヤンは笑っていたが、離れた場所からリーンハルトの不満げな声があがる。
「アンタらそっち済んだなら抑えるの交代してくれ! ドロシー除いて1番背が低いオレが1番吸ってんだぞ。」
「そういや、このタイプの香は170cmくらいまでは浮遊するんだったな。かわいそうに。」
「うっせ。」
ひょこひょこと近づいてくるパウルにリーンハルトは悪態づく。
エタロウは自力で効能を凌駕したモニカとリーンハルトに完全に戦意喪失してしまったらしく何やらポツポツと呟いていた。
「嘘だろ……、ずっと、研究して、成果を求めて……。オレが、新人類を上回る武器に、」
「虚しい奴だな。それしか目に入ってなかったなんて。」
交代だ、と促されてリーンハルトはふらつきながら建物の外に出る。
いつの間にか特務隊の面々が到着していたのかスギハラ家を次々と制圧している様子が見えた。
「「リーンハルト!」」
「エルナ、オリヴィア。」
2人が駆け寄ってきたのを認めてリーンハルトは笑った。
「ちょっとアンタ、血が滲んでるじゃない。ほら、拭いて。」
「いや、ハンカチ汚れるから……。」
「いいから!」
強引にエルナに押し付けられたハンカチをリーンハルトは受け取り唇を抑える。触れて初めて痛みに気づいたが、かなり強く噛んでいたらしい。
「リーンハルトが出てきたってことはモニカさんも無事かしら?」
「ああ、お香で操られていたらしいぜ。自力で自我を取り戻してたがな。」
「……何それ凄い。」
エルナが少しばかり引きながら苦笑していた。
「そっちはどうだった?」
「見つかった植物はほぼ間違いなくゼンジュソウよ。研究所に送ったからしばらくすれば結果も出るわ。ケホ……。」
「あれ、どうしたの?」
「何でもないわよ。」
エルナが心配そうに覗いたが、オリヴィアは何でもないように笑った。あ、とエルナが思い出したように追加で報告をする。
「それが見つかった時点でヴィリが特務隊呼んでくれたのよ。スギハラ家の人たちはほとんど取り締まられたし、証拠も抑えてもらったわ。」
「さすができる奴。エルナもお疲れ様。」
「……別にやれることやっただけよ。」
「それが大事なんだよ。」
照れ臭そうにするエルナを見ながらオリヴィアはクスクス笑っていた。
それからスギハラ家と特務隊の協力体制は解かれ、指導員の再配役が行われた。モニカとリーンハルトの後遺症も特になく経過した。
スギハラ家の研究については、直近では明らかにされなかったが、この植物が追々特務隊を追い詰める一助を担うことはまだ誰にも知らされていなかった。




