70.猫と私
ルイホァは雨の中、傘をさしながらとぼとぼ歩いていた。
先日のユーチェンとの戦闘の傷、それがなかなか完治しなかった。正直なところ、オリヴィアの能力でさっと治してほしかったが異常なまでに疲労が生じ、とてもでないが生活を営めないレベルだった。
さほど大きな傷ではなかったのだが。検査を研究室や病院に受けに行く必要があったため、今回の任務には同行できなかった。
せっかく兄にも認められたというのに歯痒い。
根が真面目なルイホァは傘をくるくる回しながら頬を膨らませる。
「……ん?」
ふと、草陰に気配を感じる。
慎重に覗き込むとそこには弱り切った子猫がいた。
お腹はぽこぽこと動いているが、明らかに呼吸が精一杯のようでミイラのように痩せ細っていた。
ルイホァがそっと猫に触れると、最後の力と言わんばかりにみー、と弱々しく鳴く。
ルイホァは躊躇いがちにその子猫を抱えた。
そうしてしまえば行動は早かった。
「えー、なんだよコイツ可愛いじゃねーか。」
ルイホァが動物病院に駆け込んだ直後、連絡したのはケイとオリヴィアだった。他の同僚は任務で、シュウゴはこの時間いつも研究室で全く返信が来ないことを覚えていたからだった。
残念なことにオリヴィアは仕事があり来れないと言われた。
部活帰りらしいケイは、わざわざ自転車を飛ばしてここまできてくれたらしく、珍しく制服だった。
間に合わせの籠と清潔そうなフリース材を彼は持ってきてくれていた。
「どうしたのコイツ。」
「さっき拾ったんだよね。」
「拾ったのかよ。」
ケイの腕の中で、治療を受けた猫はゴロゴロと喉を鳴らしている。自分と違って彼は動物に手慣れているらしく、子猫は居心地良さそうに身を預けていた。
ルイホァがそわそわしているとケイは微笑みながら触れてみるか尋ねてきた。
「ど、どう触ればいいんだろう?」
「別にそんな意識しなくて大丈夫だろ。優しく触ってやりゃいいよ。」
「こう?」
ふわふわとしたこの小さな塊は心地よさそうに鳴く。
触り心地の良さを堪能する彼女の大腿の上に猫を置いてやるとケイは伸びながら、欠伸をした。
「にしても、この猫どうすんの。迷い猫なら届けなきゃいけねーし、とにもかくにもオレは寮だから面倒見れねーぜ?」
「……私が見てあげたいけど、私も隊の独身寮だから。飼えるのかなぁ?」
「ヒロタダさんは猫好きって言ってたけど、あの2人の家はペット禁止らしいしなぁ。」
さてどうしたものかと2人が首を捻っていると、道路から声をかけてくる男性がいた。
そちらに視線を移すとカジェタノが寄ってきた。
「「お疲れ様です!」」
「ああ、相変わらず仲良いな。ところで、ガキ2人で何してんだ?」
「猫拾った!」
「猫?」
彼は表情を訝しげにしながら2人に寄ってきた。
子猫はカジェタノの姿を認めると、にゃあ、と一鳴きして見せた。いつも気難しそうな態度をとる彼の顔が緩んだものだから、ケイはにやにやと笑っている。
「あの鬼のカジェタノさんが子猫にデレデレねぇ。」
「デッ、デレデレじゃねぇよ! 生意気言うなクソガキ!」
カジェタノの拳を容易に避けてみせるあたり、2人は度重なる訓練を積んだのだろう。
ルイホァは猫をキュッと抱きしめた。
「そういえばカジェタノって動物飼えない?」
「あ? 一軒家だから飼えるが、嫁に聞いてみないことには……。」
「はぁー? アンタ結婚してるんすか?! 聞いてないんすけど!」
「言ってないからな。」
彼も30代、結婚していておかしくない年齢だ。
しかし、2人は知らなかったため、聞いて驚いた。
ケイはなんで内緒にしたのかとギャンギャン騒いでいたが、一方でルイホァは猫をジッと見つめるとカジェタノに尋ねた。
「ねぇ、この子、預かってもらえないかな。」
「……預かるって、最終的にどうするんだ。正直、ずっと飼うのはできん。異動に対して嫁は一緒に行けるがこの猫も一緒に行くわけには行かないだろ。」
「猫くらい飼えねーのか……。」
「猫だから、だ。コイツだって一端に生きる命だ。軽い気持ちで預かれない。」
カジェタノは大雑把に撫でるも猫は心地良さそうだ。彼の言葉に返す言葉がないらしいケイはグッと下唇を噛んだ。
ルイホァはジッとその子を見つめると頷いた。
「そうだよね。この子だって生きてるんだもんね。
分かった、私がどうにかする! 迷惑かけてごめん!」
「あ、オイ、ルイホァ!」
猫を抱えて走り出した彼女をケイは追いかけた。
カジェタノはその2人を見て小さくガキ、と呟いた。
2人が向かったのは里親募集のボランティアだった。
試しに保健所にも行ったが、狭い檻に閉じ込められた犬猫達を見た2人はすぐに踵を返した。
「登録は可能だよ。だけど未成年じゃいけない。18歳以上でないと。それに里親が見つかるまで預かり料もしくはそちらで預かってもらわないと。」
「預かり料って……。」
ちらりと見ると保健所よりは些かマシであるが狭いケージの中にそれぞれ犬猫が収まっていた。すでに子猫に愛着が湧いていた2人はウッと躊躇う。
その前に2人は18歳以下だ。
登録自体ができない。
「リーンハルト達は仕事だし……。」
「シュウゴさん呼び出すか。あの人何やかんやとオレらに甘いからめちゃくちゃ連絡すれば……。」
「いや流石に怒るかもよ……? 今忙しいみたいだし……。」
2人がグッと悔しげにしていると、横からスッと人が現れ、保護者の所にさらさらとサインをしてみせたのだ。
その顔を見上げると先ほど猫の預かりを拒否したカジェタノがいた。
ケイとルイホァは顔を見合わせると、サインをし終えたカジェタノは2人に向き合った。
「はい、問題ありません。登録受領しました。お写真を撮りますのでそちらを応募に載せて終了となります。ではこちらへ。」
「ほれ、行ってこい。」
「う、あ、うん!」
ルイホァはすぐに子猫と一緒に撮影室に行くとものの数分で出てきた。その間ケイはずっとカジェタノを凝視していたようで微動だにしていなかった。
無事手続きを終えたルイホァは上機嫌に施設を出た。
「カジェタノありがとう!」
「別に大したことしてねぇ。」
「……でも何でアンタここに来てくれたんすか?」
「お前らのことだ。年齢のことも忘れてるだろうし、こんな時間に未成年2人でウロウロさせるわけにはいかないだろ。」
腕組みをしながら大きくため息をついた。
「じゃああとは君の泊まる場所だね。」
「それなんだがな、良ければオレの家来るか?」
「はっ?!」
カジェタノの誘いに驚きの声をあげたのはケイであった。
「いいの?」
「ああ、嫁が来ていいと。お前も心配だろ? 一室空いてるから泊まればいい。」
「やった! ありがとう! よかったね、猫ちゃん。」
「みー。」
「ちょ、アンタ女の子! ウチの、大事な!」
子猫に頬擦りするルイホァを尻目にケイが僅かに慌てながらカジェタノに詰め寄る。
「お前、何焦ってんだ?」
「だって、ルイホァは未成年の女の子だぞ! 連れ込むの、よくない!」
「一応既婚者だし嫁もいる。2人きりにもならん。……というか、そんな心配するってことは付き合ってるのかお前ら。」
「つ?!」
ケイは顔をみるみる赤くしてルイホァをちらりと見る。しかし、首を横にぶんぶんと振ると赤みはすぐに消え去った。
「仲間だよ! うー……オレは部活あるから泊まれねーし。」
「そんなにこの子気に入ったの? 通信機に写真送るよ? でも授業中は見ちゃダメだにゃー、なんて。」
「……ソウダナ。」
カジェタノは面白いおもちゃを見つけたかのようににやにやと2人を見守っていた。ルイホァはそれきり口数の減ってしまったケイを不思議そうに見ながらも、素直にカジェタノの家に向かった。
それから数日、結局里親は見つからずリーンハルト 達が帰ってくる日となった。ケイは午前中の部活が終わった後カジェタノの家を訪れる予定だった。
しかし、ルイホァとカジェタノはケイの昨日の返信をきっかけに疑問を抱き始めたのだ。
『何かおっきくなってね?』
確かに回復はやけに早いように思っていた。
しかし、言われてみれば確かに大きくなっているのだ。
「猫にも新人類的なやつがあるのかな?」
「聞いたことないけどな。」
オリヴィアにも連絡入れたが専門外だと言われ、結局イチヨウの元に連れて行くこととなった。しかし、研究所には入れないため、わざわざ彼が顔を出してくれると言った広場へ向かう。
「やぁやぁやぁ、そろそろ覚醒したかいケイくんや? 細胞提出してくれないか?」
「アンタ何度会ってもきっとヤバい人なんだろうな。」
「今更知ったのかい?」
イチヨウの第一声にドン引きしながらも傍らのルイホァが抱く子猫を一瞥した。ふむ、と珍しく真顔で考えるような様子を見せる。
「さて、君たちには2択だ。」
「?」
ケイとルイホァは顔を見合わせる。
「オレの能力の1つは【診断】。この猫の正体はオレにはもうわかっている。だからこそ2択、君らには選んでいただくよ。」
「なんすか、その2択って。」
「何、簡単だ。真実を今知るか、後から知るか、だ。」
正直なところ、ケイとカジェタノは嫌な予感がして顔を見合わせた。胡散臭い笑みに警戒心しか湧かなかった。
しかし、ルイホァは即答した。
「今に決まってます!」
「うんうん、君ならそう答えると思った。なら。」
目にも止まらぬ速さでイチヨウは胸元から何かを取り出すと猫の背に刺した。
一瞬何が起きたか理解できなかったが、子猫の呼吸が荒くなってきたことに気づき、イチヨウを睨み付ける。
「この子に何をしたの?!」
「何を、って君が選んだんだ。遅かれ早かれ、この猫はこうなる運命だったんだよ。」
「運命って……。」
「ルイホァ、その猫放れ!」
えっ、と小さく漏らした。
ケイはすぐに猫の変化に気づきルイホァから猫を奪い、距離を取らせた。そしてカジェタノはルイホァを羽交い締めにした。
「……ッ、わ!」
ケイは猫から後退した。
猫は悲鳴のような鳴き声をあげながらメキメキと身体を巨大化させていき、一軒家よりも大きなサイズまで成長した。
「アレの正体はキメラさ。恐らく子猫と何か巨大な生物……うーん、例えばライオンとか? その辺の組み合わせだろうよ。」
「先言ってくださいよ!」
呑気に笑うイチヨウをカジェタノが怒鳴る。ふとルイホァを見ると彼女は呆然としている。
一方で、ケイは猫の猛攻を必死に避けているが、能力を使う気はないらしい。
「これどうすんだよ! どうすりゃ戻る!」
「戻りはしない。キメラは合成後、一定期間を経て理性を失う、すなわち一種の拒絶反応だ。器が小さければ小さいほどその期間は短い傾向がある。体積から計算される期間を超えることができた個体、今のところ、成功症例はヴィリのみさ。」
飛んできた攻撃をヒョイと避けながらマッドサイエンティストは笑う。
ルイホァは口を惚けたまま猫を見つめている。
たかが数日、されど数日。一緒にいたあの子がこんな風に人を傷つける。
もし誰かに譲った後だったらその人が死んでいたかもしれない。でも、この子はそんなことしないはず、だって。
『みー……。』
あんなに可愛らしい子だったのに。
「……ッ、オイ! お前、戻らねぇか! ここで戻らなきゃ家に帰れないだろうがよ!」
ルイホァはケイの言葉でハッとする。
不意に身体が離された。カジェタノがケイを救うために走り出したのだ。
「ふむ、ケイの言葉で僅かにだが筋が強張ったように見える。さて、君に再度2択だ。」
「……。」
「あの子にとっての幸せは、オレみたいなイカれた科学者に殺されて実験台にされるか、たった数日でも愛情をかけてくれた君に引導を渡されるか、さぁ選びたまえよ。」
彼の右手にはまた別の薬品が入った注射器が握られている。恐らくそれは毒薬であろう。ルイホァは下唇をギュッと噛む。
ふと気配を感じると目の前には炎をこさえたカジェタノがいた。
「【火炎】!」
「手ェ出してんじゃねぇよ! 【黒炎】!」
彼の炎はケイの黒い炎により掻き消される。
自身の炎があっさり押し負けたことにカジェタノは驚愕したように見えた。
「ケイ、何甘えたことぬかしてる!」
「別に甘えてないっすよ! ただ、その猫の1番の友だちはルイホァだ! オレ達が決めることじゃねぇんすよ!」
ルイホァ、とケイが猫の攻撃を避けながら呼びかける。
「ルイホァ、お前が選べ! ルイホァが決めた選択なら、オレは一緒に背負ってやる! コイツのこと1番に考えてたのはお前だろ!」
「……ッ、」
ケイの言葉がルイホァの背中を押し、カジェタノの攻撃を止めた。彼は舌打ちをするとケイに従って回避に移った。
「今回はお前らに従う! 早く決めろ!」
「……ありがとう、」
ルイホァは地面をグッと蹴る。
巨大化した猫の前脚をケイとカジェタノがそれぞれ炎を伴った拳と蹴りで攻撃して姿勢を崩す。
ルイホァは大きく跳び、手に風を纏った。
あの子が、こちらをじっと見た。しかし、抵抗することなく、小さく鳴いた。
ーよかったね、猫ちゃん!
ーみー。
「みー……。」
「……ッ、ごめんね。」
彼女が腕を振るうと、猫の首から血が噴き出す。
ルイホァは倒れてきた猫をどうにか受け止める。耳元では最期に甘えるかのように頬擦りしながら泣く。
彼女が重さのあまり倒れそうになるが、不意に軽くなる。
「言ったろ、一緒に背負うって。」
「……うん。」
「みー、みー。」
ああ、確かに精一杯この子は生きていたんだ。
ルイホァとケイは猫が鳴くのを止めるまで必死に抱きしめていた。
「カジェタノが年下の子たちの言うことを聞くなんて珍しい。そろそろ初雪か?」
「そっくりそのまま返しますよ。アンタなら検体として持ち帰る1択だと思いましたよ。」
「ああ、よくわからないけどオレは先日彼女たちを深く傷つけたみたいでね。その贖罪さ。」
勿論、この後の死体は預かるよ。とからりと笑った。相変わらず食えない男だとカジェタノはため息をついた。
ルイホァとケイは本部の中庭に人知れず小さな墓を作った。カジェタノも本来ならば怒るのであろうが2人の行動をとがめることはなかった。
「……守れなかったね。」
「そうだな。」
「もう、あの子みたいな子を出さないために、強くなりたいね。」
「……そうだな。」
俯く彼女の頭をケイがポンポンと叩くと彼女は小さく頷いた。
【こぼれ話】
ルイホァは今まで動物というものにほとんど触れたことがありませんでした。
動物園や水族館もトーキョーに来てからエルナたちと行ったのが初めてです。




