67.トーキョー支部長の仰せのままに
「やっほー、マツモトくん。」
「……?」
一瞬誰が話しかけてきたか分からなかった。
メガネとカツラをつけて変装していたから一瞬誰か分からなかった。しかし、無邪気な青年は口パクでシノブ、と呟いた。
「えっ?! なっ、なんでここに……。」
「ちゃんと小声にできる判断力、素晴らしいよ。ちょっとついておいで。」
ぐいぐいと手を引かれる。
デスクにいるリーンハルトたちに手で軽く謝ると、彼らは不思議そうな顔をしながらも見送ってくれた。
「先日はお疲れ様だね。聞いたよみんなの活躍。」
「ありがとうございます! 光栄です!」
ヒロタダは舞い上がっていた。
ただでさえ憧れている彼が目の前にいるというのに、自分のことを褒めてくれた。
「で、さっきの質問の答えだけど。僕も時々は外に出て任務にあたりたくてね。ヴィリに無理矢理任務を振らせたんだ。」
「え?」
胃痛で歪む幼い顔を想像すると、自分まで胃が痛くなってきた。
そんな話をしていると慌てた様子で女性がやってきた。長い茶色の髪を揺らした彼女は赤縁の眼鏡に柔らかい表情に見えるような化粧をした綺麗な女性だった。
「え、」
「ヒロタダさん、どうしてここにいるんですか?!」
「モニカさん?!」
冷や汗をかく彼女はヒロタダの口をぐっと塞ぐ。
いつもと違う雰囲気の彼女に、ヒロタダはついドギマギしてしまう。
「私もドロシーを撒いてきたんです! あまり大きな声出さないで!」
「ドロシーを?」
直近の記憶だとフェベを喪って防ぎ込んでいたあの姿が印象深かったためつい首を傾げてしまった。
「あの子、あれから本当にしっかりしたんですよ? でもしっかりしすぎて、こうやって予定外の任務とか組もうとすると休養も任務だって怒るんですよ……。」
どこの部署も若者が胃を痛めるのが流行なのだろうか。
先日報告とキャプテンを頼んでしまった長髪の青年の顔が頭を掠める。
「はいはい、2人とも。雑談はここまで。面倒な人たちに見つかる前に出るよ〜。」
2人の手をぐいぐいと引くシノブの力は存外強い。
彼はヒロタダに微笑みかけた。
「君にはそろそろ僕の能力を教えないとね。何たって君は、僕の唯一の弱点なんだからね。」
確かに【無効化】は殆どの能力者にとって弱点に違いない。しかし、念押しするとは一体どういう能力なのか。
想像がつかないヒロタダはその背を追いながら首を捻った。
「で、何の任務ですか?」
「今回は婦女暴行の犯人を捕まえます。」
「わざわざシノブさんがいらっしゃるような任務ではないのでは……。」
「ヴィリみたいなこと言わないでよ。」
ははは、と愉快そうに笑う。
「犯人は2人。1人は【催眠】、1人は【千切る】。」
「【千切る】……?」
「そうそう、一撃喰らったら身体が吹き飛ぶ感じらしいよ。」
「は?!」
彼は朝ご飯のメニューを答えるようなトーンである。
横目で囮の役を務めるモニカを捉えながらゆるりと腕組みをしながら飄々とした態度を崩さない。
「まぁ、僕には関係のない話だけどね。あと間違っても君は僕に能力をかけないでね。死んじゃうから。」
「えっ……。」
「ははは。」
この内容は本気なのか。
訝しげに見つめるヒロタダの視線を流しながらシノブは笑顔を崩さないものだから冗談なのか本気なのか分からなかった。
彼はあっ、と指差す。
「あれ怪しいね。」
「あれ? あの厚着の人ですか?」
「そうそう。」
季節にしては少し厚着だが、コートもパンツも髪色も、ジパングに馴染んだ地味目の色だ。余程モニカの方が目立っている。
少し猫背気味で眼鏡の反射で視線が窺いにくい。
「前のめりの姿勢、それは興味を示す。彼の視線の先には興味のあるものが存在する。果たしてそれは何か。」
「もしかしてモニカさんですか?」
「そう、でもそれじゃ半分。彼の視線を見てみて。」
男の視線は捉え難いが、確かにモニカの方に向かっている。ちらりちらり見える黒目をよく見ていると、モニカを見つめる合間にとある方向に泳いでいる。
そして彼の身体も気になる点があった。
あたかも待ち合わせのように止まっているが、女性を見る時だけ爪先もそちらを向く。そしてしきりに口元に触れるのだ。
「どう?」
「……モニカさんや女性を見る合間に恐らく逃走経路を確認していますね。また、女性を見るときに爪先も動く時があります。おそらく、それはターゲット濃厚な女性に限りですね。」
「そうそう。あと口元に触れるのは、無表情を装うためだろう。ターゲットの女性を見てあの仕草ってことは相当女好きの変態なんだろうね。気持ち悪い。」
「なるほど……。」
にこにこと笑顔が素敵すぎてヒロタダはシノブが言った軽蔑の発言など耳に留まらなかったらしい。
男は突如動き出す。モニカに話しかけると何やら道を聞いているようだ。モニカは笑顔で対応する。
ヒロタダはシノブが頷くのを認めると男に向けて能力を使った。
案の定、モニカに能力を使おうとしたらしく、道を教え終えた彼女が涼しい顔で去っていくのを慌てたように引き留めようとしていた。
「はーい、お兄さん。何してるのかな?」
「えっ、はや?!」
傍らにいたはずのシノブは気づいたときにはすでにいなかった。
「お前、何も……。」
「余計な能力を使えば僕はこの場で君を潰す。君たちの拠点に連れて行ってくれる?」
「……。」
穏やかな声音に見え隠れする確かな殺意に男は震える。
シノブの問いかけに頷くと素直に歩み出す。
彼は一瞬だけヒロタダに目配せすると笑顔を保ちながらそのままついて行った。
ついて行った先には、使用されていないテナントビルがあった。絶賛売り出し中らしく、不動産会社のチラシも貼られている。
ヒロタダは自分の背後に気配がないことを確認してシノブを追いかける。一応モニカには連絡したから問題ないだろう。
「ここが君たちの婦女暴行の現場? こんな所でやってんだ? 生理的に気持ち悪いねぇ。」
「クソガキ、何でさっきから……。」
「えぇ? 君の行動が全てうかつすぎるんだよ。」
薄汚れた現場を見回した彼は軽蔑した目で目の前の男をなじる。
「君より弱い女の子を屈服させて楽しかった? 君の欲望は満たされた? 情けなくないかな、君の弱いところがただありありと見えてくるだけじゃない?」
「う、うるさい!」
あまりにも挑発をするものだから、ヒロタダははらはらしていた。
しかし、ヒロタダは動かなかった。
先ほどからシノブが動くなと言わんばかりの圧をかけてくるのだ。
「さて、ここで自首をすれば君は無傷のまま投獄だ。抵抗すれば、どうなるか。想像はつくね?」
シノブの言葉に冷や汗を垂らしながらも男は口角を吊り上げた。
「んなもの想像つくかよ! このクソガキやっちまえ!」
「!」
「シノブさん!」
ヒロタダが声を上げた時にはもう手遅れだった。
ケイよりも大きく体格の良い男が腕を振り回す。シノブは急襲に避けること敵わず、上半身が吹き飛んだ。常人なら気を失ってもおかしくないだろう。
血飛沫が辺りに飛び散る。
「ハハハハ! 口だけかこのガキ! あっさり死んじまった!」
「……お前、余計な奴連れてきておいてよくその大口がきけるな。そこのメガネもやるか。」
僕がもう数瞬、早く能力を発動できていれば。
憧れの人をこんな目に遭わせなかったのに。
ヒロタダが銃を構えて立ち上がった時だった。
「おーい、人を勝手に殺さないでくれる?」
「へ、」
大男が横に易々と吹き飛ばされ、ビルの壁が砕け散る。
男の鳩尾を狙ったらしく、彼は吐血しながら白目を剥いて気絶したまま泡を吹いている。
細身の男は震えながらその声の主を見つめた。
「なんで、おま、生きて……。」
「さぁ、何でだろうね。」
その声が男の耳に届いた時にはすでに身体が横に投げ出されていた。目にとめることも叶わぬまま、首元を叩かれて気を失ったようだ。
血の跡はあるものの傷1つない上裸のシノブと気絶した男たちを交互に見ながらもヒロタダの開いた口は塞がらない。
「……え、え?」
「あはは、ごめんね。びっくりさせちゃって。驚いたよね?」
「いや、驚くに決まってるでしょうが! 心臓痛いです! 無事なんですか?!」
「うん、無事。」
あはは、と愉快そうに笑う。
服は破れたようだが特に怪我は見られない。吹き飛んだと思った上半身があるはずの場所にも特に何もない。幻だったのだろうか。
「僕が吹き飛ばされたのは間違いなく本当。でも、僕は死なないよ。能力があるからね。」
「能力、ですか?」
「うん、僕の能力は【不老不死】。殺されても死なない、歳も取らない。ゴーシとヴィリ、そして元ウルツ班の人たちしか知らないよ。」
不老不死。
想像もしていなかった能力にヒロタダは目を丸くする。それと同時に、彼はヒロタダの【無効化】で死ぬと言った言葉の意味がやっと理解できた。
その反応は彼の想像の範囲だったのだろう、彼はヒロタダに微笑む。
「ね、僕は君が唯一の弱点なんだ。そして、僕は君にお願いがある。」
「何でしょうか……。」
「いつか、来たる日が訪れた時、必ず僕を殺してほしいんだ。」
憧れの人を、殺す。
内心でシノブの言葉を反芻する。
穏やかな笑みを崩さない、この人を僕が。
「いいんだ。人を殺す覚悟は出来ない方がいい。それが正常な心だ。
でも、僕1人の命で大勢の仲間の命が救える時、君は決して躊躇ってはいけないよ。」
「そんな日が来るなんて……。」
「信じられないなら今はそれでいいさ。」
さて、と彼は伸びる。
その表情はやはり、リーンハルト達同様覚悟の決まった人の顔だ。
ヒロタダが口を開こうとした時だった。
「シーノーブー支部長!」
ドォン! と扉が蹴破られた。そちらを振り向くと額に血管を浮き上がらせたヴィリがいた。
状況が読めないヒロタダは青い顔でシノブを見た。彼は見つかっちゃったとヘラヘラ笑うばかりだ。ヴィリの背後には明らかにしょんぼりするモニカと苦笑いを浮かべるリーンハルトがいた。
「貴方って人は! 僕がいつ貴方に任務をお渡ししましたか?! しかも壁の損壊、見たところ貴方は能力をヒロタダさんに見せるために無駄に身体の損傷をしましたね?!」
「えぇー? しっかり犯人倒したしいいでしょ?」
「いいわけないですよ! リーンハルトさんに渡そうとした仕事横から掠め取って!」
「アレ心臓に悪いのにな……。」
「ね、私も初めて見た時泡吹いて気絶しました……。」
珍しく怒り狂うヴィリを横目にリーンハルトとモニカは昔話に花を咲かせている。あああ、と頭を抱える彼に対して、シノブは大して反省していないようだった。
「とにかく、戻りますよ!」
「はーい。」
「後処理と犯人搬送はオレが手続きしとくから。」
「すみません。」
「また一緒に仕事しようね、マツモトくん。」
バイバイと手を振る彼と背を丸めたヴィリを見送る。
リーンハルトとモニカはさっさと2人に拘束具をつけている。後処理班や警察は数分後たどり着き、ヒロタダ達もすぐに解放された。
「いやー、今回は災難だったな。」
「ああ……はじめはシノブさんに誘われて天に登る思いだったけどまさかあんなスプラッタ見せられるとは思わなかったよ。」
「シノブさん、結構エキセントリックな性格ですからね。」
「見事に断れない2人を巻き込む計算高さな。」
うう、とリーンハルトの言葉に2人は肩を落とす。
そういえばとシノブの言葉を思い出す。
「そういえばリーン達はシノブさんと共闘したことがあるんだよな?」
「ああ、つーかあの人、ユーマニティ戦争の総指揮官だったからな。」
「そうなの?!」
「ええ、戦後処理が終わった途端仕事に戻るって言ってすぐにトーキョー支部長に戻って裁判官の仕事再開させてましたからね。」
なかなかの気まぐれのようだ。
しかし、ユーマニティ戦争の指揮官は優秀だったことをヒロタダは耳にしていた。
なんと底知れぬ人なのだろうか。
「まぁ、あの人については理解しろっていう方が難しいからオレ達も深く考えてない。」
「そうねぇ。」
「えぇ……。」
からりと笑う2人の背を追いながらヒロタダは今日の慌ただしさと上司達の図太さを改めて思い知らされる一方、同じく背を丸めて帰っていった青年に同情をせざるを得なかった。
【こぼれ話】
シノブの能力は【不老不死】です。
どんなに傷つけられても基本的には死なない上、能力発現をした年齢から見かけが変わっていません。
弱点は、ヒロタダの能力だけです。実際はある手順を踏めば無効化できますがほぼそれは不可能と言われています。




