4.歌姫はご満悦
ヒロタダはふと、隣の家を見る。
昨晩、バーに行ってからリーンハルトとは会っていない。しかし、仕事が終わってから、だいぶ遅い時間に部屋の電気がついた。
ヒロタダは今の仕事に就いてから、毎年自分の部屋から見える桜を見ながらベランダで花見酒するのが好きだった。
しばらくすると、髪が濡れたままの隣人が何やらイヤホンと端末を持ってひょっこり現れた。
「おっ、やっぱ花見酒してんだ! オレも昨日気づいて絶対飲も〜って思ったんだよな。」
そっち行っていい? と了解する前に軽々と柵を乗り越えてヒロタダの家のベランダに侵入する。4階にも関わらずよくやるものだ。
「そういやさ、エルナって曲出してたんだぜ! 知ってた?」
「えっ、知らなかった。」
「聞いてみ。」
彼はワイヤレスイヤホンの片割れをヒロタダに渡す。どうやら曲と言っても個人が出した曲ではなく、カップリング曲の1つに組み込まれているらしい。
ヒロタダが素直に聞いていると、リズムに乗っているリーンハルトが満足げに話す。
「何人かで歌ってんだけど、確実に1人上手いのが浮いてるんだよな。これなら声優の夢も叶えられそうだよなー。」
「ふーん、って声優?! 歌手じゃないの?!」
驚いたヒロタダをリーンハルトはジト目で睨みつけた。
「お前、ちゃんとチームメイトの資料見たか? 確かに事務所にもオファー受けてるけど、エルナの希望は声優だぞ?」
「……見てなかった。」
彼に指摘され、がっくりと首を垂らす。ごもっともである。
「オレも、シュウゴに言われるまでぶっちゃけ知らなかったけど。明日感想言いに行こうかなーって。オレ休みだし。」
「え、休みなのか。」
「ばーか、オレ今日ハーマンとルイホァと出動してたんだからな。他のやつこねーし。」
それは知らなかった。慌ててメールの履歴を見ると緊急度【低】で出動要請が来ていた。
「まぁ【中】以上で来てくれればいいんだけどよ。」
「そんな緩い感じでいいのか?」
「……緩いも何も、揃ってないんだから仕方ない。」
そのように呟く彼はどこか寂しそうで、軽い言葉は掛けられなかった。
彼はなんだろう、ただ愚直に特務隊を務めていた人間ではない気がする。
「今度は大人組で居酒屋行こうぜ!」
「やめとけって、ルイホァ拗ねるよ?」
それもそうか、と彼はケラケラと笑った。
リーンハルトは珍しく私服で街を歩いていた。いつもはジャージなのだが、ヒロタダにさすがにやめておけと怒られたのだ。
ストーカーみたいだな、と内心で苦笑しつつ、彼女の学校の校門で待ってみる。
ちらちらと見られるのもこのピンク頭のせいか、と思いつつ、彼は端末を見ながら音楽を聴き、持っていたコーヒーのボトルをリズムに合わせてゆらゆら揺らす。
「ちょっと、アンタいい加減にしなさいよ!」
うわ、ジパングの漫画でよく聞くセリフだ、と興味半分、呆れ半分で顔を上げる。周囲の人たちは見て見ぬ振りやら、はらはらと見つめるばかりやら。
しかし、まじまじと見てみると、知った顔が囲まれているではないか。重い腰を上げて、喧嘩の中心を見てみる。
「別に悪いことはしてないし。あたしはただ自分の仕事を真面目にやってるだけよ。」
「自分の仕事って……、先生に贔屓目で見られて歌の次は声優? 調子乗ってんじゃないわよ!」
ああ、ただのやっかみか、とリーンハルトは呆れる。
にしても1対3とは女性同士の些細な喧嘩とはいえど頂けないものだ。
恐らく周囲はエルナの味方をしたいのだろうが、勇気が出ない、といったところか。しかし、エルナは独りでも負けず劣らずの気迫で言い返してみせる。
「あたしはちゃんと努力してる! アンタが遊んでる間にたくさん練習してるし! アンタらのクラスメイトだって、共通課題アンタがサボったからって困ってたんだからね。」
「バカにすんなよ! 私には才能があるからあんな課題やる意味なかっただけだし!それにね、私知ってるわよ、アンタの気持ち悪い読心術が買われて、特務隊に召集食らったんでしょ? 才能があるなら辞めちゃえばいいじゃん!」
勝ち誇った顔で言ってのけた女の言葉に、エルナの瞳が揺れる。
それと同時だった。
彼女らの頭へ黒い飲料が降ってきたのは。
「あれ、ごめんなさい。あんまりにも熱くなってる奴がいてコーヒーかけちゃった〜。」
「きゃあああ!」
リーンハルトがなんて事のないように言うと同時に女は悲鳴をあげて倒れこむ。取り巻きが慌ててその女に駆け寄った。
「テメー、何なんだよ!」
リーンハルトは考える。
特務隊の者といえば、一瞬で静まり返るであろうが、エルナは肩身の狭い思いをすることになるだろう。それにあれだ、ヒロタダをはじめ、他にも上の者に怒られる。
ならば、と偽りのない、しかし支障のない自己紹介をしよう。
「あれだ、エルナ・ライシャワーのファン1号だ!」
「…………。」
場が静まり返った。
リーンハルトは己の顔の温度がみるみる上がり、何色になっているかなんて容易に分かった。
考えた末の苦肉の策だったのだ。
「……エルナ。」
「え、」
頭の中はこの場から逃げ去ることが1番であり、エルナの手を少しばかり強引に引きつつこの場を去る。
「……アンタ、いつの間にあたしのファンになったのよ。」
「嘘ではねーけど、あの場で言うのは本意じゃなかった。」
何それ、と背後でクスクス笑う、少女らしい声が聞こえる。
彼女から責められないことを内心安堵しつつ、振り返る。
「大体1号なんて都合良すぎだし、アンタのせいで週明けが面倒くさい! どうしてくれるのよ。」
「悪かったよ。でも、お前の歌聞いて感想言いに行ったことには間違いねーからな。」
「……どう思ったの?」
不意に笑みを消して、彼女は問う。
「純粋に、綺麗だと思った。でも、何となく迷ってる感じがした。」
「アンタとロクに話したことないのにね。何でわかるのよ。」
花壇に寄りかかりながら彼女は俯く。
「あたしは能力で台本や作品から、その人が込めた思いを読めてしまう。アンタと手を握ったまま能力を使えばアンタの過去も、本性も、全部ね。端から見ればそんなのズルなのよ。だって何も考えずに周りが求めてるものが分かってしまうってことでしょ。」
そんなの要らない、と彼女が呟く。
リーンハルトがそれを否定しようと口を開いたと同時か、背後から衝撃が走り、うっとうめき声が出る。
エルナもその衝撃の正体に気づき、ふとそちらを見る。
それはリーンハルトの腰の高さにも満たないほどの小さな女の子だった。
さすがにリーンハルトもそんな衝撃は痛くも痒くもなかったため、踏みとどまると、その反動で少女が後ろに飛ぶ。
慌ててリーンハルトがしゃがみ、少女に視線を合わせた。
「大丈夫か?」
しかし、どんなに優しい顔をしていても、ピンク頭のそれなりに体格のいい男性が目の前に迫れば大概の子どもは驚くだろう。みるみる目に涙がたまる。
「ママぁ……、ママぁ!!」
「うっ……。」
ママ、と言う言葉で一気に箍が外れたのだろう。涙は一気に決壊し、ボロボロと零れ落ちる。
「ママ、はいいんだけどよ、どっから来たんだ?」
「ママのどごがえるーーー!!」
会話にならないらしい。
がっくりと項垂れたリーンハルトが振り向きエルナに助けを求める。あまりにも悲惨な光景に、彼女も渋々といった様子でしゃがみこみ、少女に目線を合わせた。
「ねぇ貴女。あたしはエルナ、お名前は?」
「える……、私ルーカ。」
「ルーカちゃんか! ママはどこでいなくなっちゃったの?」
また、彼女の瞳に涙が溜まる。彼女は何も言わず、首を横に振るだけだ。
いつのまにか立ち上がっていたリーンハルトはどこかに電話をかけていた。
「だめだなー、まだ迷子情報出てねーらしい。」
「おゔぢがえるー!」
彼はお手上げ、といった様子で肩をすくめる。
エルナは何かを諦めたように、彼女の手を優しく包み込む。綺麗な、戦いを知らない女性の手だ。
「発動【共感】。」
ふわっと、視覚的に何ら変わりはないが、何か温かい空気がその場を包む。
リーンハルトも不意をつかれたのか、咄嗟のことに目を丸くする。そういえば、と彼女の能力はCランクだから自身のより制約を受けていないことを思い出したのはほんの数瞬後だ。
「お姉さん魔法使いだから、ママの場所分かっちゃった。一緒に来てくれないかな?」
「ママ?! ほんと?!」
「うん。」
エルナが頷くと、それはもういい笑顔で少女は彼女の手をぐいぐい引っ張る。
「ホラ、アンタも行くわよ。」
「ああ。」
呆気にとられていた彼を引き連れ、彼女の記憶から読み取った、最後に母親を見た風景の場所へと向かう。
ちょうど路地から出た、大通りだ。
「ここどこだ?」
「アンタ知らないの? この近くは動物園や博物館もあるし、食事とるところも多いから休日だと親子連れが多いのよ。それに、」
彼女の記憶がここを指し示したから、と小さく呟いた。
知っている場所に出てから安堵したのか、リーンハルトにも心を許したらしく、肩車をして母親を探す。ピンク頭かつそれなりにがっしりしたリーンハルトは目立つらしく、遠くから駆けてくる女性が見えた。
「ルーカ!」
「マァマ!!」
リーンハルトは彼女を下ろすと、ルーカはママと呼んだ女性の元に駆けて行った。
「魔法使いのお姉ちゃんとピンクのお兄ちゃんがママ探すの手伝ってくれた!」
「ありがとうございます! 何とお礼を言えばいいか……。」
恐縮だと言わんばかりに頭をぺこぺこと下げる母親を、リーンハルトがまぁまぁと宥める。
「大丈夫ですよ。迷子にならないよう気をつけてください。」
そんな2人をすり抜けてルーカがエルナに駆け寄ってきた。
「お姉ちゃんありがと!」
「どーいたしまして。」
「お姉ちゃんの魔法はルーカを助けてくれた凄い魔法だね! ルーカも素敵な魔法使いさんになりたい!」
思わぬ言葉にエルナはしゃがんだまま目を丸くする。ルーカはバイバイ、と言うと母親に手を引かれながら去っていった。
横で2人の会話を耳にしていたらしいリーンハルトは彼女を覗き込む。
「能力も悪いことばかりじゃなさそうだな。」
「……うっさい。」
「それによ、」
不意にリーンハルトがエルナの手を握った。
何が起きたか分からなかったらしいエルナは一気に顔を赤くしたが、すぐに違和感に気づいた。
「……何で、アンタの記憶読めないの。」
「それはお前の能力が未熟だからだよ。オレは自分の能力をお前よりかは理解しているつもりだし、能力の発現については熟知している方だと思う。
つまり、お前がオレに対して変な遠慮とかする必要ないわけ。」
だからさ、と彼は言葉を続ける。
「能力を制御する一環、人助けと思って、特務隊に参加してくれねぇか。オレはお前の夢を応援するし、守るよ。」
人の往来が多いところでなんてことを言うんだこの男は。
エルナは顔を赤くしながらも、彼の手を振りほどけないまま答える。
「ま、まぁ? 今回みたいなこともなくもないと思うし、練習がてら協力してあげてもいいけど?」
「おう、ありがとな。」
2人の手は自然と、どちらかともなく離れる。
エルナは少しばかり寂しいな、と感じたが、その想いは彼の言葉により一瞬で有耶無耶になる。
「にしても、案外エルナは初心なんだな。手を握って真っ赤って。」
「は、はぁー?! うっざ! 」
からからと彼は愉快そうに笑いながら、思ってもいないであろう謝罪を述べる。彼女は頬を膨らませて怒りながらずんずんと進んでいく。その後ろをリーンハルトが送る、と言ってついて行く。
ちなみに彼女が自身の気持ちに明確に名前をつけるのはもう少し先の話である。
【キャラクター紹介】
エルナ・ライシャワー
158cm 18歳(専門学校1年生) A型
好きなもの:パンケーキ、パフェ、カラオケ
嫌いなもの:コーヒー、お化け
胡桃色のウェーブがかかったロングヘア。二重でぱっちり猫目であり、美人系、大人びた表情をしている。胸は小さめ。
今時の女の子で基本的には明るい性格。ツンデレな部分もまたよし。歌手を目指しており、事務所に所属している。能力のこともあり嘘や隠し事はしないようにしている。基本的には人の役に立ちたいと考えているため様々な訓練に取り組むものの戦闘は苦手。
【こぼれ話:能力について】
エルナの能力は【共感】です。
触れたものの記憶や想いを読み取り、それや自身の記憶や想いを触れたことのある人に共有することができます。
制御が可能となると、共有できる量や時間、人数、触れたことのある人のストックが増えるようです。