番外編:フェベとドロシー
戦争の描写があります。
ちょっと暗い話です。
娘が家を出たのは今から15年前だ。
実娘の名をゾエ、という。
幼い頃から年齢にそぐわぬ冷静さを持ち合わせていた。彼女が10歳の時、やや遅めの能力発現をし、エリートコースへの参加が勧められた。
この子の父であり私の夫は反対した。
私は元々特務隊の現場人、夫は監査局の人間だった。はじめは私が現役を退けとしつこく言われたが、私自身は現場で生きることに喜びを覚えていたため、指導者という立場で収まってなんとか互いに妥協する形となった。
夫は現場に良い印象を持っていなかったのだ。
しかし、娘は夫の期待を裏切った。
13歳になる年、どうせエリートコースに参加するならば、プログラムや待遇がより整っている欧州地方のプログラムに参加したいと言い出したのだ。
勿論夫は反対した。
私は彼女の想いを受け止めたかった。
だから、離婚してでも彼女を支えたいと思っていたのだ。夫のことは愛していたが、結局のところ自分のプライドと娘の方が大事だったということだ。
「母さん、良かったの?」
「良かったのよ。私がやりたいことをやったように、貴女もやりたいことをやれば良いわ。」
「……ありがと。」
ゾエは大人びた笑みを見せた。
私の生活が一変したのは、15歳になったゾエが初めて言ったワガママがきっかけだった。
彼女がボランティアで行っていた孤児院である少女に出会ったらしく彼女を妹にしてほしいと泣きながら帰ってきたのだ。何事かと思い、翌日孤児院へ行くとその事情はすぐに分かった。
ゾエに抱きついてわんわん泣いていたのは、見かけに合わない低い声で唸る少女で名は無いそうだ。聞けば彼女は既に能力を発現しているらしい。
一般的にあまりにも幼すぎる能力発現は身体の成長に影響を与えるらしく、案の定彼女は既に声帯が長く声が掠れたり、しっかり出ても低い声であったりと症状が出ているそうだ。
実の両親は、成長しきらず強い能力を持つ彼女に恐れをなしネグレクトの果て、親戚の人が孤児院に彼女を預けたそうだ。
「母さん、この子も私と同じ【音】使いらしいの。能力発現の時に暴走してこの声になっちゃったんだって。ねぇ、私たちの家で一緒に暮らせない?」
「私たちの、ってエリートコースに連れてくの?」
「違うよ。勿論ジパングに置いてく。でも家に帰った時母さんとこの子が待っててくれたら私は幸せだなぁ。ね、出ていく前にお願い。」
「……はぁ、仕方ないわね。」
少女の名はドロシーと名付けた。ゾエが好きな物語の主人公の女の子に由来している。
ファミリーネームは実両親のものにした。ドロシーが改姓を幼子なりに嫌がったのだ。唯一の両親とのつながりとわかっていたのだろう。
ドロシーも初めは怯えていたが、ゾエが家を出る頃には私たちの家族となっていた。
ゾエは2年に1回は実家に戻ってきていたが、ベルリンに配属されてからは帰省が不定期になっていった。
一方で、ドロシーもエリートコースで本格的に能力の制御を学んだ。入学して早々彼女はヘソを曲げて帰ってきたのは記憶に新しい。
「どうしたの、つまらなそうな顔をして。」
「……クラスの人にちっちゃいくせに声がおじさんみたいって言われた。」
「まぁ……。」
このくらいの歳の子どもならそんなこといくらでも言われるだろうし、やはりその悪意ない一言が何よりのトゲになってしまうことはどちらも理解していた。
「じゃあドロシーにちょっとしたプレゼントをあげるわ。」
「……何?」
幼い子供に渡すには高価すぎるプレゼントだ。
それは近代のいわゆるスマートホンサイズの小さなPCで、音声プログラムが既に入っている。彼女は確かに肉体的なハンデはあったが、知能は確実に新人類の中でも優れた方であることに間違いはなかった。
「お話ししたいことを打ち込んでみて。」
「……? 分かった。」
『フェベ、いつも美味しいご飯をありがとう。』
「……、ゾエの声にそっくりだ。」
彼女の目は爛々と輝き、ジッとフェベを見つめる。微笑みかえしてやると彼女はたくさんの言葉を話す。
『フェベ、いつも遊んでくれてありがとう。』
『勉強も訓練も頑張りたい。』
『みんなの役に立てる特務隊員になりたい。』
「……貴女の声は貴女だけのもの。私はそう思うけれど、どうしても嫌ならばこれを使って。」
嬉しそうににぱ、と笑う彼女は機器を使ってたくさん話した。同級生にも最初は驚かれたそうだが、ハイテクな機械やドロシーの技術に皆興味津々だったらしく人間関係も円滑に進んだそうだ。
それから時が経つ。
今から6年前。手紙さえも途切れていたゾエは随分と見かけも大人びて帰ってきたのだ。
「ゾエ、お帰り!」
「わ、ドロシー! 大きくなったね。」
「おかえりなさい。戦争の方は落ち着いたの?」
「ううん、でもあまりにも働き詰めだから一度リフレッシュして来いって上司が。」
確かウルツさんという特務隊でも指折りの隊員の元で働いていると聞いていた。
よくよく見てみると妙齢の女性とは思えないほどのクマをこさえており、傷ましく感じてしまうとともに何もできない自分がもどかしかった。
それを感じ取ったらしいゾエは苦笑いした。
「そんな顔しないで、母さん。私、たぶん疲れてる顔はしてると思うけどたくさんの人を救ってる充実感に満たされてて結構幸せなんだ。
あの時母さんが背中を押してくれたからだよ。本当に感謝してる。」
「ゾエはいつまでこっちにいるの? 私、沢山技も考えたし、『フェベがこれを用意してくれたおかげで沢山友達もできたの!』
「えっ何それ凄い!」
ドロシーの声に驚いた彼女は愉快そうに笑ったが、すぐに弱ったような笑みを浮かべた。
「たぶん、明後日には出立かな。戦争も佳境だし、今回の前線で勝てたら新人類優位主義軍の勢力もだいぶ削げると思う。」
「そうなのね……。早く終わって帰ってこれると良いわね。」
「うん、そしたらドロシーとも手合わせできるね。」
『楽しみ。』
いまだ伸びない背丈の彼女の頭を優しく撫でた。
その帰省を最後に、彼女自身が私の目の前に帰ってくることはなかった。
そのように告げられたのは、戦争が終わって数週間後、雨がしとしとと降っている日だった。茫然とした様子のリーンハルトさんと、遺留品を手に持つモニカさん、筆頭に立って頭を下げるウルツさんがいた。
「娘も、覚悟の上で戦争に参加していました。しかし、なぜ肉体も返していただけないのですか?」
「彼女は、前線で流行っている流行り病に罹患しておりました。死際に、彼女自身が己の身体を使い、病について調べるように告げたのです。」
モニカさんから差し出された遺書を読めばウルツさんが全く嘘をついていないことは明らかで確かに彼女の文字で事実が記載されていた。
そして、私たちの幸せを願う言葉が。
「……皆さんも傷癒えぬ中、わざわざご足労いただきありがとうございました。」
「部下を、いえ、娘さんを守れず申し訳ありませんでした。ご冥福をお祈り申し上げます。」
互いに深々と頭を下げ合った。
3人を見送ると私はどっと疲れが押し寄せた。
娘は本懐を遂げられたのだろうか。
もしかして特務隊に入れたこと自体そもそもの間違いだったのではないか。
見送る時に何かしてあげられればゾエは死ななかったのではないか。
後悔など幾らでも後から押し寄せてくる。遺留品のお守りと遺書を握り込んで這いつくばる。悲しささえない、心が空虚だ。
娘から『幸せになって』なんて言葉は貰いたくなかった。
フェベは声も出さずに肩を震わせた。いや、出ていたのかもしれないが音は全く聞こえなかった。
「フェベ……、必ず私がフェベを幸せにしてみせるから。」
その様子をドロシーが廊下から見つめていたことさえも私は気づかなかった。
それから私は娘を殺した仇を取るためだけに、現場に復帰した。
それと同時に【千里眼】の能力の更に先があることに気づいたが、私はここ数年でどっと老けた。査定の時、再会したモニカさんやリーンハルトさんが驚いていた。
ドロシーは私に対しては全く態度を変えなかった。
家では機器を使わず、外では特務隊員としてしっかりと関係を築く。今思えば自分の娘のような存在の彼女にかなり気を遣わせてしまっていたのだと反省する。
それに気づいたのは、リーンハルトさんの部下であるエルナさんに怒られてから、というのが情けない。
(ああ、何で今こんなことを思い出すのだろう。)
私の指示を全幅に信頼して、大切な仲間のもとへ走る少女と弱いが強い青年を横目で見る。
肺に息が入らない、いや漏れていて呼吸するのも苦しい。四肢に力が入らないし、【千里眼】なんか使えたのかと疑わしくなるくらい視界がぼやけてきた。
これは彼の冷気のせいか、それともこの温もりは涙か。
遠くで私の名前を呼ぶ声が聞こえる。
それがエルナさんのものなのか、はたまた娘のものなのか、それさえも分からなかった。とりあえず遺すべきものは遺さねばなるまい。
『母さん、幸せだった?』
『……えぇ、幸せだったわ。』
誰だろう、誰か愛おしい人にそう聞かれた気がする。
私は頬を濡らしながら懐かしい声がする方にゆっくりと歩き始めた。
【キャラクター紹介】
ゾエ・ケーレマンス
享年24歳 167cm
彼女の年齢にそぐわぬ冷静さ、仲間を信じる気持ちにより周りの信頼も厚かった。フェベの娘でモニカとオリヴィアの親友。同じ能力を持っていたことをきっかけにドロシーと知り合い、母を1人にさせないために養子にすることを勧めた。




