222.失われる家族の繋がり -拝啓、息子殿-
残酷な描写があります。ご注意ください。
私は生まれてから親の顔を見た記憶がない。
気づいた時にはもう1人で、その日その日を生きていくことに必死だった。だから自分の能力なんてどうでもよかった。
日陰でこっそりと潜んで過ごしていた私を見つけてくれたのは貴方だった。こんな私を、まるでスノードロップのようだと褒めてくれたあの人。
自分が死ぬことくらい分かる。
大切なあの人が、私を苦しめる病を撒いた組織の人間だってことも分かっている。それでもあの人を愛した報いだと理解している。
だからせめてーー。
ヨハナが息絶え絶えの中、薄く目を開けると愛している憎いあの人の顔があった。
「Ich liebe dich.」
貴方でなくて、
「……いるか?」
「いる。」
リーンハルトの問いにエルナが頷く。先程までの腑抜けた様子はどこへやら、彼はスゥと息を吸うと普段の戦闘前と同じ緊張感を纏った。
だが、施設の様子にエルナはすぐに違和感を抱いた。
「襲撃された様子はないわよね? ただの、静かな施設って感じ……?」
「そうだな?」
裏側から何やら高い音が響く。
首を傾げる2人の耳に届いたのは窓ガラスが割れる音。
顔を見合わせる間もなく、2人はそちらに向かう。
先んじて庭に回ったリーンハルトの目に映ったのはヨハナの部屋から飛び降りてきた憎き父親の姿だった。
「ッ、タバートォ!」
タバートはリーンハルトを一瞥した。
ただ、まるで見なかったことにしたかのように彼はそのまま身体強化を使って脱兎の如く逃げ出した。
は、と小さく声を漏らしたリーンハルトの額に青筋が浮かぶ。
しかし、彼はそのまま追うことはしなかった。
自分がなぜここに来たのか理解しており、エルナが施設の中に迷わず飛び込んだのに気づいたからだ。
タバートの気配はどんどん離れていくが、もしかすると中にまだ敵がいるかもしれない。そう思えば、自然と足はエルナの行く先に向いていた。
「皆さん、大じょ……ぶ……?」
「どうかされましたか?」
「どうも……してねーのか? 何か事件とかは?」
「何もありませんが?」
職員の女性が不思議そうに首を傾げたため、2人は拍子抜けしたように顔を見合わせた。
それから証明書を見せて足早にヨハナの部屋に向かった。
2人の目の前には割れた窓から注ぐ冬の陽光と冷たい風が支配する空気、そして血に塗れたベッドがあった。
「しょ、」
職員の人呼んでくる、とエルナは部屋を飛び出した。
リーンハルトは愕然としたまま、ベッド横で骸と成り行く母親を見下ろす。その横の花瓶には血に濡れたスノードロップが揺れている。
リーンハルトはふと彼女の身体に違和感を感じる。ベッドについている血液の割に彼女自身は怪我を負っていないようだ。冷静に思い返せば、逃げていったタバートは手に包帯を巻いていた気がする。
そこで1つの仮説が生まれる。
もしや、親友エメリッヒの命を奪ったあの技を使ったのではないかと。乱雑に胸をはだけると、やはりそこには薄い傷とヒガンバナの紋様がつけられていた。
「やっぱり【死呪】を発動しやがったのか……!」
【死呪】とは傷からタバートの血が一定量入り込むことによって発動できる呪いの紋様である。これをつけられた人間は15〜20分、じわじわと身体中の痛みや呼吸困難感に襲われながら苦しんで死ぬ。残忍な命の奪い方である。
何で、何で愛した女性にそんなことができるのか。
リーンハルトには理解できず、血が滲むほどに下唇を強く噛む。ぽたりと、彼女の身体に血が溢れるほどに強く。
「……ぅ、」
「母さん?!」
「なっ、これ!」
「早く救急隊を!」
背後に他の職員達が慌ただしく走り回る音がした。
だが、それを止めたのは意外な人物だった。
「処置しないで。」
目の前の女性だった。
その一喝で全員の足音がピタリと止まる。
「……最期に、したいの。2人で、」
ね、リーンハルト。
その言葉に彼の目は大きく見開かれ、エルナをはじめその場にいた人々は気配を消すかのように黙り込み動きを止めた。
「御免なさい、リーンハルト。私は、ずっと間違っていた。タバートさんが、戦争の種を撒く原因だと気づいていた。あの人の危険な思想に気づいていたのに、私は盲目的に彼を愛して、止めるどころか、愛さなければいけない貴方さえも大切にできなかった。」
「……別にいい。別に。」
「貴方にそんな顔をさせるために言ったわけではないのだけど。」
フッと彼女が微笑んだ。
あの日記から印象を受けたような、狂気的な、夫を偏愛するような女性ではなく、しっかりとした1人の母親の顔のように、エルナには見えた。
「貴方の名前は唯一、私があげたものなの。あの人のような『勇猛な獅子』であってほしいと。でも、今じゃそんなこと思わない。今ある仲間を、家族を大切にできる優しい人であれば……。」
ヨハナはふとリーンハルトと視線が交わる。そして涙を一筋こぼしながら息子の顔を見つめた。
「ああ、愛おしい私の息子。もう抱きしめる腕の力もないなんて。」
「……ッ、」
「……最期にーーーー。」
ヨハナはリーンハルトの耳元であることを彼に伝える。
リーンハルトは驚いたような顔を浮かべながら、ヨハナを見つめると彼女は何かを確信したように頷いた。
「ごめんね、貴方を残していくことになって。」
「別にいいって。……母さんは。」
リーンハルトは一瞬躊躇ったが、口を開いた。
「オレが生まれてよかった……?」
その言葉にヨハナは顔を歪める。
「当たり前よ。」
「……そっか。」
リーンハルトはぐちゃぐちゃに顔を涙で濡らしながら笑った。そしてやっと、彼女の手を両手で掬った。ヨハナはその温もりを感じたのだろうか、嬉しそうに微笑むとゆっくりと目を閉じた。
「……おやすみなさい、母さん。」
その部屋には、静寂が広がる。
そして間もなく、沢山言いたいことがあったのにと後悔する言葉と、小さな嗚咽が響き始めるのだ。
一方で、逃げたタバートは離れた森林の中を駆けていた。
正直驚いたのだ。今まで従順だった彼女があれほど頑なに自分の血液の摂取を拒んだことを。
リーンハルトより自分は愛されていたはずなのにと首を捻る。
「!」
考え事をしているタバートの頭上に急な殺気が襲いかかる。咄嗟に地面を蹴り、進行方向を変えるとそこには火炎玉が降り注いだのか地面の草が焦げていた。
「考え事してて避けれるんすね。」
「……進化した小僧と【無効化】使いの眼鏡か。」
目の前には現れたのは、紋付をあてがったにもかかわらず無傷のケイと、姿は見えないが自分に【無効化】を放ち続けているヒロタダだった。
「リーンハルトさんには悪いけど、アンタはここで仕留める!」
「ほう、粋がるなよクソガキが。」
静かな湖畔から離れた場所、2人の進化した新人類が一気に能力を解放した。
【こぼれ話】
スノードロップの花言葉は「希望」や「慰め」がありますが、とある昔話に由来して「あなたの死を望みます」という意味もあるそうです。
ちなみにタバートは彼女に希望を持っていましたが、リーンハルトが生まれると同時に彼にとっての彼女は後者の意味でのスノードロップとなっていたようです。詳しくは後々明かされます。




