96.感染症センター攻防戦 -因縁-
今日はイチヨウに依頼された任務だった。
リーンハルトはエルナ、ルイホァ、オリヴィア、シュウゴを引き連れて、エリア:ジパングに対応する感染症センターにやって来ていた。
先ほどからシュウゴの目がキラキラと輝いている。
一方で、エルナとルイホァはあまり興味がないのか任務明けに出かける店の話やら雑談を交えていた。
「さてリーンハルト、シュウゴ、細胞の変容はどうかな?」
「どうもこうもないっすよ。挨拶みたいに言わないでください。特にシュウゴとケイには。」
「オレは平気ですよ。手を加えられるのはごめんですが細胞の提供自体は方法次第ではやぶさかではありません。」
「分かっているな!」
嬉しそうに笑うイチヨウを女性陣が冷たい目で見つめる。
それを知ってか知らずか、イチヨウはごほんとわざとらしく咳払いをした。
「で、今回オレ達をここに呼び出した理由は何ですか?」
「正直シュウゴだけで良かったけど過保護な君が渋ると思ってね。感染症センターを見せたかっただけさ。そしてエルナの能力、それが興味深かったんだ。で、その保護者として渋りそうな班長殿とオリヴィア、ルイホァを呼んだわけさ。」
「あたしの能力?」
ああ、とうなずく。
「君の能力は聞くたびに汎用性の広さに驚かされているよ。ぜひこれを機に精査してはどうかとリーンハルトに持ちかけたんだ。」
「精査?」
「ああ。」
今度はリーンハルトが肯定した。
「エルナも今や特務隊の貴重な戦力、それに他の人と比にならないレベルで能力の幅がある。なら、分かる範囲で能力を知った方がいい。それがここならできるんだ。」
「ふぅん……、あ、洗脳を解くとか?」
「あと洗脳受けてる人を調べるとか、触れなくても能力発動できるとか。それができるとハーマンの友だちみたいな人を『Dirty』から抜けさせられるもんね。」
「……そうだな。」
ルイホァの前向きな言葉にエルナは嬉しそうにするが、リーンハルトは困ったような表情を浮かべていた。
というのも、能力の発動条件の変更はそれこそ新人類の先に行かねばあり得ないことであるからだ。
シュウゴとイチヨウは察しているのか何も言わない。
しかし、シュウゴは話を切った方がいいと判断したのか口を開く。
「そういえばオレも話があったんです。だいぶ前に預かった、シモンさんの手帳のことについて。」
その言葉にリーンハルトとオリヴィアの表情が一変する。イチヨウはおお、と嬉しそうに目を輝かせてシュウゴに詰め寄った。
「なら、あたしは検査行ってるから4人はその話してれば? ルイホァが一緒に来てくれれば十分よ。」
「そうだね。私たちはそのシモンさんのこと分からないし……。」
「悪い、気を遣わせて。」
「謝るくらいなら、『Dirty』打倒のヒントを見つける! くらい言いなさいよね。」
「……そうだな。」
じゃ、と言うと2人は研究員に案内されて別室に向かった。
4人は会議室を借り、頭を突き合わせた。
「それで、何が分かったの?」
「研究内容については見させていただきました。かつてユーマニティ戦争で流行った病について。」
「オイ、何機密事項漏らしてんすか。」
「いいだろう。彼は賢いし純粋だ。オレの浮かばないアイデアだって出るだろう。」
イチヨウは悪びれなく言う。
シュウゴは一瞬目を細めた。彼が思うところは、イチヨウを睨みつけるリーンハルトとオリヴィアが気付く事はない。
「シモンは確かに優秀な研究者だ。誰も、もちろんオレも作れなかったワクチンをあっさりと精製した。人間外れの頭脳を持っていたが……誰よりも人間臭い男だったんだ。」
「もういいわ。」
オリヴィアが頭を振った。
それを察したのかシュウゴは続ける。しかし、彼はどこか納得したような様子であった。
「……気に障ったら申し訳ないんですが、加えてシモンさんって結構お茶目で掴みどころのない人でなかったですか?」
「「「は?」」」
3人は思わぬ言葉に呆けた。
それは予想外だったからではない、当たっていたからだ。
「た、確かにシモンは頭がいい代わりにバカみたいにお人好しだし、言ってることよく分かんねー割に核心を突くことを言うしボケ方がよく分からなかったな。」
「そうね……それは否定できないわ。でも何で分かったのかしら?」
「この手記、解読した内容は料理のレシピなんです。」
「「「は?」」」
これまた3人は目を丸くした。
シュウゴは淡々と答える。
「解読法はごく簡単です。彼の名前のスペルの後にある文字を繋げるだけ。そして、まず書いてあるのはレモンケーキの作り方です。」
「オリヴィアの好物じゃん。」
「そう……だけども。何を考えているのかしら。」
オリヴィアはいよいよ頭を抱えてしまった。
「他にも、ハンバーグとかポテトサラダとかはたまた天ぷらや丼物、ひたすら料理のレシピです。」
「お前本気で言っているのか……?」
「本気です。手記に書いてあるのはそれだけです。」
「……それだけ。あの男何なんだ、揶揄ってるのか。」
ずっと口を閉ざしていたイチヨウは、思わぬ結果に脱力してしまった。
「らしいといえばらしいけど。」
「何してるのかしら、シモンったら。」
「天才とバカは紙一重だな。」
「……。」
シュウゴは何やら考え込む様子であったがそれ以上言及することはなかった。だが、今度は自身が気になることを尋ねてきた。
「あの、戦時中の流行病について伺いたいんですが……、紋付のアドルフって男、元感染症センターの職員だったんですよね? やっぱり病や研究に関わってたんですか?」
「ああ、あの男も天才だったぞ。シモンが閃き型ならあの男はコツコツ型だ。そういえばお前はあの男に狙われてるらしいなぁ。」
「こっちは真面目なんだ。止めろ。」
愉快そうに笑うイチヨウにリーンハルトはやんわりシュウゴとの間に割って入りながらも睨みつけた。
「教えておいた方がいいだろう。例え勝つ実力はなくとも知っておけばできることはあるはずだ。」
「オレもそう思います。」
「私もそう思うわ。私たち、どうも紋付に好かれてるのかエンカウント率は高いもの。私の所にはあまり来てくれないけど。」
オリヴィアは憎々しげにため息をついた。
「アドルフ・モリス、元特務隊の医療研究員であることは知っているな? 流行病を振りまいた犯人だ。」
「……!」
シュウゴは目を丸くした。
「能力は【分解】、例えばこうやってオレが君の腕に触れる。すると君の前腕と上腕はお別れだ。」
「……触れたものを分解する、と?」
「そうさ。そして彼はもう1つ研究員としてやってはいけない大罪を犯した。」
「大罪、ですか?」
「シュウゴくんなら分かるはずよ。」
「……研究内容の持ち出し、ですか?」
あたり、とオリヴィアははっきり述べた。
彼も不快そうに眉をひそめた。
「そう、アドルフが持ち出したもので我々が戸惑ったのはその病のワクチンだ。しかし悪用されていない、だからこそ我らは戸惑っている。」
シュウゴにズイッと接近するものだから彼は少しばかり嫌そうな顔をして退くがそれに構わず近づいてくる。
どんどん彼は壁に追い詰められ、最終的にシュウゴと彼の距離は数センチだ。
「さて、なぜだろうか? 天才であるシモンの研究物を手に入れたかったのか? それともつまらない嫉妬? いやいや、病に対するワクチンこそが彼の狙いか? 何とでも考察できる。
君はどう考える?」
「……近いです。」
オリヴィアの剛腕がイチヨウを引き剥がす。
明らかにシュウゴは安堵したように一息ついた。
「決して病のことは口外できんが、君なら辿り着けるだろう。そして、その真実をどうするのかな?」
「……オレは、」
「ちょっとイチヨウさん? 私の仲間を追い詰めるようなことは言わないでもらえますか? アドルフは私がやります。真実の究明も。」
シュウゴは困ったようにリーンハルトを見つめた。
しかし、リーンハルトはふと口元を緩めるばかりだった。
「シュウゴの好きなようにすればいいさ。オレはお前ができるだけ怪我しないでくれりゃ、な。お前はもう大切なものをたくさん持ってるからそんな無茶もしねーだろうが。」
「リーンハルトさん……。」
リーンハルトの言葉にシュウゴは頷くとはっきりと言った。
「アドルフさんと対面する可能性は大いにありますが、オレが持っている手を尽くしてできることをやります。」
「意外と根性がある回答だ。」
イチヨウは驚いた顔をしたがすぐにやれやれと興味を削がれたのか首を横に振った。
それと同時だった。
『緊急警報発令、緊急警報発令! 敵襲、敵襲、各人配置につけ!』
「何だ?!」
「おお、どうやら敵襲らしいぞ。お前たちも参加していけ。」
「祭り事みたいに言わないでいただきたいわ。」
3人は立ち上がり、イチヨウの誘導に従い走り出そうとする。
だが、それは叶わない。4人の背後に巨大な男3人が天井をぶち抜いて飛び降りてきたのだ。
「っ、」
「オリヴィア!」
「オリヴィアさん!」
更に砕けた床が崩れ、オリヴィアと男の1人が地下に続くホールから落下していく。
リーンハルトはイチヨウを抱えて、シュウゴは自分で辛うじて残っていた床の方へ飛び移った。
「イチヨウさん、アンタはエルナとルイホァを頼む! それに指揮系統はアンタだろ!」
「ああ、任せておけ。」
「歩かないで走れ!」
優雅に歩いて行く彼の背にリーンハルトは青筋を立てて叫ぶ。それでやっと小走りになった。
「シュウゴ、さっさとやるぞ!」
「了解です!」
2人は決して人間とは呼べない獣のような化け物に相対して構えた。