六話
「杉上君、そっちは?」
八道は空き巣とおぼしき男から視線を外さずにアルバムを取ろうとする杉上に訊く。
「あー、ちょっとすぐには取れそうにないですね」
杉上がいくら細いからと言って猫の通り道に身体をねじ込むのは無理そうに見えた。
それでも杉上は上着を脱いで、ぽきりと折れそうな細い腕を滑り込ませ、病的なまでにやせ細った身体を隙間へ押し込んでいく。
「あ、取れそう! えっと、そこの君も手伝って!」
「え、あ、はい」
道祖土からはモモネを頼まれたが、八道がいるなら大丈夫だと思い、杉上を手伝った。
「そっちに転がすから引っ張りだして」
「わかりました」
「はい!」
「あ、取れそうです」
真岡は地面にはいつくばって、埃だらけの塀の隙間へ右腕を肩まで突っ込んだ。
杉上のかろうじて引っかかった指が四十野のアルバムを勢いよく弾き、真岡の腕が届くところまでやってきた。あとは掴んで引くだけであり、真岡はアルバムを引っ張り出せそうだった。
引っ張り出しながら表面の硬さと掴んだときに引っかかるような感覚に覚えがあった。豚の革だ。
四十野にどういう思い入れがあるのかわからないが、アルバムに本革を使うほどの写真が収められている。そのこだわりに気圧されて、真岡はアルバムを慎重に扱った。
赤い豚革のアルバムが塀の隙間から現れる。その表紙には筆記体で、AINOと書かれていた。
「間違いありません。四十野さんのアルバムです!」
真岡は報告しながら、アルバムを開いた。
開いてはいけないという四十野の頼みをすっかり忘れていたのだ。
開いた一ページ目から、モノクロで撮られた一糸まとわぬ四十野がいた。
「あ、君、できれば引っ張って欲しいんだけど。ねぇ、君! 聞こえてるかな?」
塀に挟まった杉上が救援を求めていたが、四十野のあられもない姿に目を奪われていた真岡は返事をしなかった。
不思議に思ったモモネが真岡の後ろからアルバムをのぞき見て、慌ててアルバムを取り上げた。
「い、依頼人は見ないでと言っていたでしょ!」
「あ、そうだった」
真岡は我に返り、助けを求める杉上の身体を引っ張りながら、あることに納得した。あのアルバムだったら、金銭的な価値がなくても男性は手元に置いてしまうだろうと。
「はぁ、はぁ、どうだ? アルバムはあったか?」
遅れて到着した道祖土が、両膝に手をついて荒ぶる呼吸を落ち着けようとしていた。
「そのアルバムは証拠品として押収します」
「な、なにぃ!」
八道の宣言に道祖土がホイッスルを聞いたサッカー選手のように仰向けに倒れる。体力の消耗がはげしかったのだ。
「あなたを逃亡のおそれ、および証拠隠滅の可能性があるとして緊急逮捕します。杉上君」
「はいはい! それじゃ事情を署で聞きますからねー」
上着を羽織った杉上が、腰から手錠を出して空き巣の両腕に掛ける。
空き巣が空き巣だとはまだ決まってはいないのに逮捕となり、一人の人間の人生が変わってしまったかもしれない責任の重大さに真岡は呆然とした。探偵業へ面白半分に首を突っ込み、平穏に過ごしていた人を犯罪者に仕立て上げてしまったかもしれないのだ。
「なんの話だ! 俺は落ちてた物を拾っただけだ!」
杉上に無理矢理立たされた三十代半ばの男は、不当な逮捕に激昂する。
「話は署で聞きます」
八道は暴言に取り合わず、モモネからアルバムを受け取った。
「ふざけんな! それと、てめぇらなんなんだ! なんの用事で俺の所に来た!」
怒り狂った男が矛先を変え、鎖に繋がれた猛獣のようにモモネへ向かって吼える。
「あなたが途中で捨てた物、それも警察に届けておきますね」
「な、なんのことだよ?」
モモネの一言で男はしどろもどろになった。
倒れていた道祖土も、男を連行しようとした八道や杉上も不思議そうな顔をする。
一緒に走っていた真岡でさえ、なんのことかわからなかった。
「道祖土さん、その落とし物はあなたが持ってきてください」
「あ、ああ。その方が良さそうだ」
道祖土は、八道の頼みを素直に聞いた。
犯罪者が隠したい本当の秘密を暴いたときの態度だと知っているからだった。
「もう一仕事ね」
「おい! 俺は盗んだアルバム以外なにも捨ててねぇ! おい聞いてんのかクソアマ!」
空き巣は空き巣で確定していた。もっと重大なものを隠すために自白していることすら気づいていなかった。
八道と杉上と反対側に歩き出したモモネへ、道祖土と真岡は緊張した面持ちでついていく。
モモネが向かったのは、空き巣の住んでいたアパートの窓側にある家だった。
モモネはインターホンを鳴らし、そちらの敷地にものを落としてしまったと説明して、敷地への立ち入りの許可をもらう。
真岡たちは老婦人の案内で敷地へ入った。
モモネが先頭を歩き、敷地の隅、空き巣が開けはなった窓の見える一画へしゃがみ、丸めた紙くずを拾い上げる。しわくちゃになった紙のボールを破れないよう丁寧に広げて、モモネは小刻みに頷いた。
「なるほどね」
「おい、なにがあった?」
「あとはよろしく」
モモネが道祖土へ紙を見せる。
真岡も横から覗いた。
紙の上には大手の銀行名があり、名前と住所がリストになっていた。四十野の氏名もリストに連なっている。ご丁寧に入社年度まで書いてあり、だいたいの年齢までわかってしまうものだ。明らかに内部からの流出物であり、それが空き巣の手に渡っていたという事実だった。
「あ、ああ、そうだな」
元刑事である道祖土でも動揺している。目の動きに乱れがあり、様々なことを模索しているようだった。
真岡は、いますぐにリストアップされている人物へ警告を発したくなった。
「さぁ、依頼人をフォローしに行きましょう」
それから三人で四十野へ頭を下げに行った。
依頼の品であったアルバムを警察に押収されてしまったからだ。
四十野は嫌そうな顔をしたが、アルバムとともに空き巣も逮捕されたと聞いて溜飲を下げた。さらにモモネは、空き巣が銀行員の個人情報を持っていたと四十野へ報告したときに、真岡たち以上に驚愕する。すぐに引っ越すといい、依頼料をそそくさと支払った。
道祖土は、依頼の趣旨に従えなかったので半額でいいと断ったが、それよりも重要な報告に対しての報酬だと言われ、満額をしぶしぶ受け取った。
四十野は、誠意を尽くしたモモネに感謝の言葉を述べていた。
真岡は、アルバムを見てしまったことを言い出せず、モモネとは比べものにならない不誠実に打ちひしがれる。
茶封筒がモモネに渡されるのを見て我に返った。
「それじゃ、お疲れ様」
「おう」
道祖土がどことなく表情を堅くしていた。これからあの情報を持って警察に向かうのだ。昨日のように真岡へ毒を吐くこともなく、モモネとは逆方向へと歩き去っていく。
「モモネさん!」
真岡は追いかけて、モモネへ呼びかけた。
「どうして空き巣がアルバムを持っているってわかったの?」
「企業秘密」
「そうだった」
真岡は頭をフル回転させて、モモネの推理の秘密を考察する。
「えーと、ドア越しに空き巣の行動がわかったし、空き巣の持ち物もわかってたから、なにか透視とかそういう超能力みたいなものを持ってると考えられる」
「へー、私ってすごーい」
モモネはスマートホンへジャックを刺して、耳にイヤホンを詰める。音楽を聴いていた。気分はすっかりオフなのだと思った。
はぐらかすのではなく、見当違いによる余裕の態度であると真岡は見る。まだまだ考察が足りないと反省した。
「わかった。また明日! 今度こそ捜し物のやり方を解いてみせる!」
モモネはなんのリアクションもせずに遠ざかっていく。
「今日はオカ研の集まりがあったな。ちょうどいいぞ!」
真岡は無視されたことなど気にせず、オカルト研究会の集まりへ今すぐに参加したくなり、自宅へ帰らずに大学へ向かった。
そのため図書の返却期限を一日延長することになった。