二十六話
真岡の発言に、その場にいた一同がむっとした顔をする。
危険を感じていないような口ぶりで反感を買ったのだ。
真岡は、気にしなかった。
真岡にとっての重大なことは、白玉の保護ではなく、普神への抵抗なのだ。
「そういうことらしいから、任せてみよう」
和成は、不和を感じ取り、計画を進める選択をした。
百稲は、そんな父親を見て不満そうな顔をする。
真岡の窮地における行動力を知っているだけに、信用してもらえないことが納得いかなかったのだ。
和成の仕切りで作戦会議は終わり、真岡と百稲は副自治会長の軽自動車へ乗り込む。
真岡が助手席へ座り、百稲が後部座席へ着いた。
「東京から大変だね」
「まぁ、今日一日だけですから」
「今日一日で終わると思う?」
「神獣学がある限りは、またこういうことがあるかもしれませんね」
真岡は正直に答えた。
副自治会長は、車を発進させて普神たちに追い立てられた白玉を追って北神谷へ出発する。
「狐火って昼間に見られるものですか?」
「さぁ、もう何百年も目撃されてない。伝承では、鎌倉時代の北条時頼って人が見たってことになっている」
「か、鎌倉時代」
伝説と呼べるほどに遠い過去の出来事だった。
「君はなんで白玉様を助けてくれるの?」
副自治会長から当たり前の質問をされた。
真岡は、この土地に縁もゆかりもない部外者なのだ。
「俺が研究したいのは、普神と同じなんです」
「な、なんだって? 百稲ちゃん、本当かい?」
百稲は尋ねられて、少し考えてから答える。
「私も不思議なんです。どうして同じ学問をしている人間が、別々の考えなのか」
後ろから発せられた百稲の声は、真岡の後頭部へ刺さるような勢いがあった。
「んー、これはすごく個人的な考えなんだけど、もともと目指していた獣医学の世界がうんざりするような利権でがんじがらめだったんだ。そういうのが嫌で、神獣学へ逃げてきたんだけど、こっちでも同じようなことになりそうで。それで、そういうのはお偉いさんが解決するものじゃないかと思ってたんだけど、どうもそうじゃないらしい。だったら自分でやるしかない。と、いうことで俺はここにいる。ダメかな?」
サイド探偵事務所を出たときに考えたことを一気に喋った。
ずっと、誰かに宣言したかったのだ。
真岡という若い学者は、学会の怠けた態度に反抗すると。
「へぇー、若いのに偉いもんだ」
副自治会長が、素直に感心する。
「そんなこと一言も言ってなかった」
百稲は窓の外を眺めながら頬を膨らませた。
百稲の父に言われた日から、真岡と百稲は生活を一緒にしていたのだ。そういう深い話をする時間はたっぷりあったのに、百稲へ喋ってくれなかったことに不満があった。
「キツネの話しかしなかったくせに」
真岡にされたキツネの語源となる昔話を思い出し、攻撃する。口調も丁寧さを失い、同棲初期のような慎ましさは消えていた。
真岡は、百稲の変化を残念に思いつつもパワーを得て元気になったことを喜んでいた。
「いや、話すきっかけがなかったからさ」
「ずっと気になっていたんだけど、二人はどういう関係だい?」
真岡と百稲のやりとりを聞いていた副自治会長は、たまらず尋ねた。
「え、えーと」
「同棲してます」
真岡がほどよく誤魔化しの利きそうな言葉を探しているうちに、百稲が劇薬のような一言を放った。
「ど、同棲! お父さんは知っているのかい?」
「私の面倒を押しつけたのは、他ならぬ父です」
「へー、そうなのかい。和成さんの考えることはわからんねぇ」
「ええ、そうですね」
百稲は、考えの読めない父があまり好きではなかった。東京へ行けると聞いたときは、思わず喜んだくらいだ。一緒にいて息が詰まりそうになる。そんな存在だった。
「さぁ、ついたぞ」
白玉の救出とは関係ない話をしていたら、戦場へ到着する。
「ここって、地図だとどのあたりですか?」
「あー、この辺りかな」
「ほうほう」
真岡は車を降りる前に地図へ入山するポイントを書き込み、パワースポッター山口から借りてきた登山用GPSを起動して登山ルートを記憶するよう設定した。時刻は午前九時を回ったところだ。山登りにはちょうど良い時間だった。
「へー、そんな良いものを持ってるのか」
「借り物です。なくしたら全国パワースポット巡礼に付き合わされます」
「ぱわーすぽっと?」
「副自治会長は、ここで待っててくれるんですか?」
「あ、怪しまれないようにうろうろしてるよ」
「一応、携帯の連絡先を教えてもらってもいいですか?」
「もちろん」
真岡は白玉を保護した後、スムーズに白玉を運んでもらうことを想定し、いつでも呼び出せるようにしておきたかった。
「ねぇ、急ごうよ」
外で待っていた百稲が急かした。
この白玉争奪戦の鍵は、百稲の鼻だった。山が登りやすければという条件付きで、最短ルートで白玉へ向かうことができる。
「うん、もうこれで下準備は終わりだから」
「それじゃ、二人とも頼んだよ?」
「はい」
真岡はしっかりと答えて車を降りた。登山用のバックパックを背負い、胸ポケットにGPSを入れ、腰には猟友会から預かったトランシーバーをぶら下げた。
「おお、天然の城だな!」
真岡の前にある北神谷のさらに北へ広がる二万年前の海底火山を元にできた山と森は、人間が立ち入るのに躊躇するくらいの偉容で待ち構えていた。深い森を持ち、野生動物の駆け回る白玉の聖域は、難攻不落の城を思わせたのだ。
「また訳のわからないことを」
百稲は小さい頃から見慣れた山なので、真岡の感想が大げさに聞こえた。
「猪と鹿と熊が多い!」
「撃っても撃っても減らないぞ!」
真岡の腰にあるトランシーバーからすでに合戦のような状態が聞き取れる。
森からは、銃声がそこかしこから響いていた。
「焦らず、でも素早く登ろうか」
「わかった。案内する」
スラグ弾は当たらないと大見得を切ったものの、あっちこっちでぶっ放されたらいつか当たるのではと、真岡は少し怯みそうになった。
百稲は、そんなことを微塵も感じていないのか悠々と森へ分け入っていく。
白玉のいる森は、麓から中腹までは背丈の低い木が多く、岩場が所々にあった。崩れやすい足場では斜面をまっすぐに進むことはできず、自然と蛇行しながら登ることになった。
そんな蛇行を繰り返していると、喉が渇き水分を補給する休憩も必要になる。登山に無理は禁物なので、真岡はこまめに休みを入れた。そうしないと急ぎたい百稲が集中を失って足を滑らせそうだったのだ。
「なんですぐに、休憩になるのよ?」
斜面を一気に登ろうとする百稲は、すでに息を荒くしている。
「山は焦ったら死ぬ。山の神様は用心深くて準備してる人は許すけど、無謀な人や準備不足な人はあっさりと殺すんだ」
山岳大国の日本では、毎年、たくさんの人が登山の事故でニュースを騒がせている。そういうのを思い出すと、山の神はいるんだなと思うのだ。日本の山はまだ、人間に支配されていない。有名な富士山だって、殺すときは殺すのだ。人間に支配された平野から田畑は消えた。日本から山が消えることはあるのだろうか。とある企業は富士山に線路を引こうとしている。富士山がご神体であるにも関わらず、畏れ多いことだった。
「私は巫女だから大丈夫。毎年、舞とか奉納してたから」
「あー、言ってたね。巫女だって。実はさっきまで疑ってたけど」
白玉のいる山がご神体と考えれば、祈りや舞や供物を捧げられる対象となるのに不思議はなかった。山の神がいれば、それに仕える巫女もいる。百稲が山の神に愛されていると自信を持つのは当然だった。
休憩を終えて歩き出す。百稲の水筒は真岡の登山バッグへ入れて運んだ。百稲の足取りから、真岡のほうが体力に余裕があると判断したのだ。
「前にも少し話したけど、おばあちゃんが先代の巫女なんだ」
百稲は疲れたことを自覚したのか、喋りながらゆっくりと登っていた。
「そうだったね」
「五歳の頃から巫女の修行みたいなのがあってさ。小さいときは嫌で嫌でしかたなかった」
「そうなんだ」
「白い着物一枚で水を浴びたり、田んぼに向かって祝詞をあげ続けたり、夏休みを潰して神社の掃除をしたり、ふざけんなってくらい不自由だった」
伝統を守るというのは、大変なのだろうと思った。それを引き受けるだけの感情が百稲の中にあると真岡は見ていた。
「やめたいとは思わなかったの?」
「思わなかった」
「なんで?」
理由がなくても構わなかった。もう真岡の満足する回答を得られたのだ。あとは適当に相槌を打って、会話を切り上げ登山に集中するつもりだった。
「子供の時に一度だけ白玉様を見たことがあるんだ」




