二話
部屋中の紙という紙をひっくり返してみたが、採用通知は見つからなかった。おぼろげな記憶を呼び覚ますと、神獣学研究所の採用通知を漫画に挟んだことを思い出す。
「そうか。人類は重要書類を栞にする癖があったのか」
大学近くの安アパートの部屋で、真岡孝博は真っ昼間からしょうもない真理に到達していた。
トランクスにTシャツ姿で、さっそく採用通知を挟んだ漫画を探しに掛かる。
六畳一間の部屋は、布団とノートパソコンをおくテーブルと炊飯器があり、あとはゴミ袋や散乱した書類や衣類で埋まっていた。
本棚がわりのカラーボックスには実家から持ってきた漫画が、巻数など忘れたように積まれていた。
「あれ、ない?」
カラーボックスから手当たり次第に海洋生物と海を冒険する少年漫画を取り出し、開いて放り投げていたら、採用通知を見つけることもなく空になってしまったのだ。
振り返って、放り投げた漫画と書類と衣類が混ざり合う自室を目の当たりにする。
「一体誰がこんなことを」
真岡は、片付けることもなくノートパソコンの電源を入れた。
「えーと、捜し物の見つけ方、と」
立ち上げたブラウザの検索欄に打ち込み、結果を閲覧する。
「占いが多いな。非科学的だぞみんな」
世の中の人が占いで捜し物をしていることに驚愕しつつ、検索結果を精査した。
「お、捜し物実績ナンバーワン、サイド探偵事務所だって」
責任者は道祖土という難しい苗字の人物だった。ネットで読み方を検索すると、それがサイドと読むらしいことを知った。
真岡は探求心を満たしてからスマートホンを取り出し、さっそく事務所の電話番号をフリック入力する。
数度の呼び出し音のあと、吼えすぎた犬のような嗄声が出た。
「はい、こちらサイド探偵事務所です。ご用件は?」
丁寧なダミ声から社会で経験を積んだ男性だと容易に想像ができ、真岡は安心して用件を告げた。
「はい、捜し物を依頼したくて」
「捜し物ですね。なにをお探しでしょう?」
「漫画です」
音が途絶えた。探偵事務所からの返事がない。
真岡は、電波状況がよくなかったのかと思い、もう一度はっきりと告げた。
「もしもし? 探して欲しいのはマ・ン・ガです!」
「あ、いえ、聞こえています」
「よかった。その漫画はですね」
「あの、漫画でしたら、依頼を出すよりも買い直す方が安く済むと思いますけど」
真岡の説明を遮って、窓口の人は依頼を断ろうとしていた。
「いえ、聞いてください! その漫画は特別でして!」
「すいません。これから別件がございますので失礼します」
「あ、ちょっと!」
真岡は、頼みの綱に断られてどうしていいかわからなくなった。
どこの世界に漫画へ人生の切符を挟むバカがいると想像できるのだろうか。探偵事務所の人が、そのような非常識な状況を想定していないからといって責められなかった。だからといって、真岡は人生を諦めるわけにもいかなかった。
「どうする?」
再びノートパソコンの画面を眺めて、探偵事務所の住所が記載されていることに気づく。
スマートホンで写真を撮り、画像データとして保存すると、ノートパソコンをシャットダウンし、ジーンズを穿いてミニバッグを肩に掛けると戸締まりもそこそこに部屋を飛び出した。東京の西部から電車に乗って移動する。
都心に近いレンタルオフィスに再度探偵事務所はあった。貸事務所らしくセキュリティは万全で、真岡は直談判できずに玄関前で右往左往していた。
真岡が到着してからしばらくすると、レンタルオフィスから男性が一人現れた。
ぼさぼさの頭に無精髭でいかめしい顔つきをしたスーツ姿の男だった。
真岡の中でその男性と電話口のだみ声が一致する。
真岡はその人物へ走り寄り尋ねた。
「すいません。道祖土さんですか?」
「違います」
濁った声が正解だと言っていた。
道祖土は、平然と嘘をついて真岡から走り去る。
真岡は採用通知のために尾行した。どうにかして話を聞いてもらうタイミングを見つけようと考えたのだ。それに依頼を受けてもらえずとも、捜し物業界で実績のあるプロの仕事から秘訣を学び取れるかもしれなかった。真岡の中では、すでに後者を目標として行動に移している。
道祖土が向かったのは、都内でも有数の高級住宅街だった。マンションではなく一戸建ての建物が都会とは思えない静けさの中に並んでいる。
その昼下がりの閑静な区画に一人の女性がいた。
強面の道祖土と面識があるらしく、道祖土が現れると顔を向けた。
真岡は、角に身を隠して二人の様子をうかがった。
女性は十代にも見え、道祖土がなにか良からぬ逢い引きをしているのではないかと勘ぐる。
真岡が身を隠す塀の上にあるバルコニーから、一匹の白いネコがつまらなさそうに真岡を見下ろしていた。
「うお、バレた?」
真岡は急いで角へ引っ込んだ。
しっかりと隠れていたのにも関わらず、女性は真岡の存在を察知した。
獣が聴覚で獲物を捕らえたときのような正確さで視線を向けたのだ。目つきがするどく、猛禽類か肉食獣のような威圧感があった。
真岡は恐る恐る角から顔を出して様子を伺う。
女性はなおも真岡を見ていたが、興味を失ったのかふいと視線をそらせた。
真岡には、素知らぬふりをする猫の仕草にも思えた。
道祖土と女性は、そろって近くの家へ入っていく。
女性は長い髪をひっつめにしていた。若いのに遊んでいない感じだ。それなのに道祖土みたいな探偵とつるんでいる。デニムパンツに白いTシャツ姿で、ミニバッグを背負っていた。
真岡の中では、道祖土が悪者で女性に悪さをするものだという妄想に拍車が掛かっていた。
今すぐに二人を追いかけて道祖土の暴挙を止めたい衝動に駆られる。
ただ、これが仕事上の関係だとした場合、明らかに真岡は邪魔者であった。また二人の入った家が捜し物の依頼主である可能性もあった。その場合、探偵に加えて変な人間が増えることになり、依頼主から変な目で見られそうだった。
「いや、待てよ」
もし、あの家主がいたいけな少女を買いあさるような輩であったらと妄想が爆発する。道祖土は探偵業の傍らに売春斡旋業を営む悪徳業者でもあったら、若い女性が道祖土なんかと一緒にいる理由が説明できてしまうのだ。
それに科研費を出し渋り、大学院生への補助を平然と打ちきる文部科学省の元役人は、確かそのような趣味を持っていたとニュースで見た記憶があった。
真岡の中にある金持ちイコール文科省の役人イコールスケベ野郎という等式が妄想を触媒に証明される。
女性の身が危なかった。
真岡は角から出て、二人が入っていった住宅の門へ駆け寄る。
走りながらなんと言って割り込もうかと考えた。
警察に通報したと嘘を吐くか、勇ましくやめろと割って入るか。
門が近づく。
第一声は重要だ。
真岡は推敲の末に出た答えを叫んだ。
「手伝いましょうか!」
根拠のない妄想だと自覚していた。もしもの場合に備えた最低限度の声の掛け方だと自負している。妄想が現実だった場合、不敵な笑みを浮かべて警察へ通報すればよいし、単なる取り越し苦労であれば捜し物を手伝えばよいのだ。
真岡は完璧だと思った。
「あら、お手伝いしてくれるの?」
豹柄の脚をしたおばさんが、ニコニコとしている。モコモコのパーマを掛けており、頭髪の不自然さでは、道祖土にひけをとっていない。
道祖土は引きつった顔をして、ネコの写真を持っていた。白い長毛。ペルシャと呼ばれる准血統だと思った。
ひっつめにした女性は驚いた顔をして真岡を見ている。
真岡の妄想は完全に外れていたのだ。
現実は妄想よりも遠く、真岡が助け出そうと思っていた女性はどういう訳か道祖土のビジネスパートナーだった。
納得いかないものを感じつつも、真岡は状況を切り抜けるために頭をフル回転させる。
「はい! 道祖土先生の弟子になりたくて!」
口から出任せだが、捜し物の秘訣を探りに来ていたので責任は道祖土へ転嫁できる予定だった。
「うわ、お前なに言ってるの?」
「ほんとぉ~、それじゃ私のネコちゃんをよろしくね~」
「あ、大蛇森さん、こいつはそうじゃなくてですね」
「人手は多い方がいいでしょう?」
派手なレギンスを穿いているダイジャモリさんは、真岡の参加を快く承諾した。
「あ~、はい、そうですね」
道祖土も依頼人の提案を断ることはできなかった。道祖土が底冷えのする眼差しで真岡を見据える。
真岡は、あとで殴られることくらいは覚悟した。
「それじゃあ、ネコちゃんが出て行った場所とか確認させてください」
道祖土が営業スマイルを浮かべて、大蛇森邸へお邪魔する。
真岡もそれに続こうとして、女性への自己紹介をするべきだと思い、名乗った。
「えっと真岡孝博と言います」
「本気なの?」
女性は、発言の真偽を確かめようとしていた。
「いや、依頼を断られたから捜し物の秘訣でも盗もうと思って」
声を潜めて目論見を暴露する。
「ああ、そういうこと。だとしたら、無駄かもね」
「え?」
「捜し物の秘訣なんてないから」
真岡は思わず生唾を飲み込んだ。
細められた目とうっすらと開いて歪んだ唇にぞっとする。
推定年下とは思えないくらい妖艶な笑みだった。
「モモネさーん! ちょっといいかな~?」
大蛇森邸の中から道祖土が呼びかけた。
「はーい」
女性はモモネと呼ばれ、依頼人の家へ上がり込んだ。
「秘訣がない? そんなはずは」
モモネが、真岡を諦めさせようとしたことは明らかだった。それにも関わらず、真岡は興味をひかれた。この二人が、一体どんな方法でネコを見つけるのかぜひ見届けたくなったのだ。