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十三話

「おら、お待ちかねの肉だ。じゃんじゃん食え」


 道祖土がざらついた瀬戸物に乗った焼き鳥をまわしてきた。


 乾いたような皿の表面に鶏肉から染みだした油が、湧水のように染み渡っていた。焦げついた表面から湯気を立てているのに、タレの艶が瑞々しさすら感じさせる。


「いただきます」


 真岡は手を合わせてから、串を取り鶏肉の塊を一つへかぶりついた。


 ほろりと口の中で崩れた柔らかいもも肉から肉汁が滴り、飢えていた舌へ染みこんでいくようだった。


「うまい!」

「いただきます」


 真岡が舌鼓を打つ隣で、モモネも串を取り焼き鳥を一口食べた。


「おいしい」


 目を丸くして驚く姿がなんとも言えなかった。


「そりゃよかった」


 道祖土は、腹ぺこの若い二人を眺めながらビールを飲み干す。

 依頼のことなど誰も気にせず、ひたすら飲酒と焼き鳥に没頭した。


「おっと、そうだった。俺はこれから用事があるんだ」


 真岡が、焼き鳥を三皿ほど平らげたときだった。道祖土がスマートホンを見ていて、そんなことを言い出した。


「会計は済ませておく。お前はモモネを送ってやれ」

「え」


 道祖土の申し出に真岡は嫌な予感がした。


「え~、なんれれすかぁ~」


 ジョッキ一杯でべろんべろんになった人間を送り届けねばならないのだ。


「じゃあな。頼んだぞ」

「あ、はい」


 これから用事のある人間を引き留めるわけにもいかず、真岡は酔っぱらったモモネの送迎を引き受けた。


 道祖土が出ていってから、店員さんの迷惑そうな顔に急き立てられて店を出る。


「しららららら~、モモネはがんらりらりら~」

「ああ、そうだね。頑張ったね」

「まおらさんは、しらららららはしららいれしょー?」

「そうだね。知らないね」


 誰かのためにモモネは頑張っている。それを聞いて、真岡はあまり気分がよくなかった。


 人間には独占欲がある。男女の恋愛には、切っても切り離せないものだ。

 恋愛でなくとも、友人関係などでそれは出てくる。

 今の真岡には、明確に嫉妬の感情が出ていた。


 酔っぱらったモモネのあられもない醜態の世話をしたとしても報われることがないのだ。すべての出来事に報酬を望むのは馬鹿げているが、このモモネの世話だけには報酬が欲しいと感じていた。


 一足先に仕事終わりの一杯を済ませたがために、まだまだ帰宅を急ぐ人で混雑する駅で、泥酔した人間の世話をするのはいやがおうにも注目を集めた。


「しららららら~」

「はいはい」


 真岡は、この報われない苦行に対する報酬を求めていた。

 せめて、そのしらららららとやらの正体くらいは知りたかった。


「そのしらららららってのは誰ですか?」

「秘密です」


 一瞬で酔いが覚めたのか、モモネは真岡を突き飛ばして、先ほどまでとは違うしっかりした足取りで一番近いホームへ降りようとする。


「そっちじゃないよ!」

「むー、どっちですか!」

「こっちだってば」


 真岡が手を取ると、モモネは嫌がるそぶりも見せず、素直に手を引かれた。


「真岡さんはどっちなんですか!」


 かと思うと突如として脈絡を無視した不満を爆発させる。


「なにが?」

「秘密です」


 これだから酔っぱらいの相手は嫌だと思った。


 真岡はとにかくモモネを住まいへ送り届けることだけに集中して、会話のような戯言をすべて無視した。でないとじろじろと突き刺さる周囲からの眼差しで頭がおかしくなりそうだったのだ。


 その最たるものは、泥酔した女性に絡んでくる冷やかしだった。

 彼らとは、モモネのアパートに向かう途中の人通りの少ない夜道で出会った。


「どうしたんすか? 手伝いましょうか?」


 三人ほどのパリピな男たちだ。タンクトップからご自慢の上腕二頭筋を見せびらかし胸板や腹筋が浮き上がるようにしている。体脂肪率が少なそうなのに季節感が皆無なのは根性のたまものだろうと思った。


「いえ、結構です」

「相手が酔っぱらっているからって変なことしちゃダメっすよー」


 真岡は、こういう手合いが苦手だった。知性や品性の上下に関係なく同じ国の同胞であると思っているが、嫌悪を感じずにはいられなかった。


「あ、なんすか?」

「その目はやる気っすね」


 取り巻きの二人が、真岡の目つきに反応する。


 口ほどに語る目から、燃える粗大ゴミにでも出したいという感情を読み取られたのだ。


 真岡はケンカなどしたことがなかった。格闘技を習う授業なども経験したことはあるが、付け焼き刃にもならないものだ。


「彼女のさんの前で格好良いところ見せてくださいよ!」


 真岡の肩を突き飛ばそうとしてくる張り手を、空いている左腕で受け止める。少し力を入れて押し出し、やり過ぎたと思ったが、相手も突き飛ばすつもりで来ていたので、均衡する結果となった。


 右腕で支える、ずり落ちそうになるモモネは真岡の窮地をぼんやりと眺めていた。


「あ、なんすか?」

「やんのか?」

「ったっすぞ!」


 男たちはきっかけを待っていたにすぎなかった。真岡の正当防衛を無視する形で、自分たちの正当防衛を成立させる口実を得たのだ。


 東京の路上で怒声があがる。近所の住人からは興味関心を持たれているような感覚はなかった。


 真岡はモモネを守るには戦うしかないと考えた。

 考えただけで先制攻撃をやすやすと許し、真岡は腹に重い蹴りをもらう。

 せっかく摂取した動物性タンパク質が逆流しそうになり、歯を食いしばった。


 モモネがするりと腕から抜け落ち、真岡は吐きそうになり膝をつく。久しく経験したことのなかった痛みだった。


「よっわー」

「そんなんでイキってるんすか?」


 取り巻きがやんやと喝采をあげる。


「うるさい」


 モモネが酔った調子でつぶやき、立ち上がった。

 真岡が顔を上げたときには、男たちが遁走していた。


「は、なんで?」

「しらなーい」


 モモネがフラフラと歩き出し、真岡は蹴られた衝撃で落ち着かない腹を抱えながら追いかけた。


「こっちでいいの?」


 逃げた男たちの背中を確認しつつ、モモネに尋ねる。


「そうです。なんで無視してるんですか?」

「すいません」

「電車の中でずっと無視してました」


 妙なところで意識がはっきりしており、真岡はモモネにちくちくと嫌みを言われ続けながらもモモネの住むアパートへとやってきた。


 女の子が住むにはセキュリティが厳重でない。先ほどのこともあり、不安になるくらいだった。


「ほら、着いたよ」

「うー」


 モモネが鍵を取り落とすので、真岡が拾い鍵を開けた。

 玄関から花の甘い香りが漂い、真岡の部屋とは違うと思った。


 玄関の照明を探り、点灯する。これで最低限の義理を果たしたと真岡は納得することにした。


「それじゃ、あとは自分でできるね? ちゃんと戸締まりするんだよ?」

「できます! それくらい!」

「えらい。それじゃ」


 モモネを玄関に降ろして、真岡はドアを閉める。鍵が掛かるのを待ってみたが、その気配はなかった。

「ちょっと、鍵掛けないと危ないじゃないか」


 真岡は溜め息を吐いてからドアを開けてモモネにもう一度言い聞かせた。


「う」


 モモネは首根っこを釣られたように立ち上がっており、酔いなどなくなったように冷めた表情だった。


「真岡さんは、白い狐をどうするつもりですか?」


 ぼそりと吐き出された言葉には、モモネらしさがなく奇妙だった。モモネらしさではなく、人間らしさかもしれないと思い直した。


 気づけば玄関には青白い明かりがどこからともなく照らしており、モモネの肌から血の気を失わせていた。


 そして、真岡の見間違いでなければ、モモネの瞳孔が猫か狐のように縦長へなっていたのだ。


「ど、どうもしないけど」


 喉を絞められるような感覚に陥り、真岡はなんとかその言葉だけを絞り出した。


「その言葉を信じてもいいですか?」

「は、はい」


 真岡は、信じるというのが脅迫の意味を持っていたと初めて知った。


「そうですか。送ってくれてありがとうございました」

「あ、ああ」


 真岡が後ずさるように出て、ドアを閉めるとがちゃりと鍵の掛かる音がする。

 アパートから小走りで離れ、速度を上げていく。


 背中になにかが張り付くような感覚がある。得体の知れないものを見てしまったからだ。


 真岡は全力で走っていた。少しでも遠く逃げたかったのだ。


 人通りの多い歩道へ出て、街灯へより掛かる。秋の深まりもあり、ぞくぞくと背筋が痙攣していた。


「やっぱり、そうなのか?」


 真岡の中で、モモネ狐説が最有力候補となりつつあると同時に、もう一つの可能性がふってわいた。


 狐憑き。


 悪魔憑きにならぶ奇病だ。


 真岡は、この日に見たモモネの尋常ならざる姿を誰かに相談しようとして、誰にも相談してはいけないようにも思い始め、胸の内にしまっておくことにした。


 モモネから逃げるように来た道を戻ると、大通りで救急車に出くわす。急病者が大きな声で喚いていた。


「たふけれ! たふけれふれ!」

「はーい、助けますからねー。暴れないでくださーい」


 命に向き合うと、死の恐怖に対して少なからず冷淡になることがある。真岡も動物病院で働いたらあんな風になっただろうと思った。


「ひでーな」


 路上に飛び散った血痕を眺めて会社帰りのおじさんが呟いている。

 真岡は野次馬をしているおじさんに尋ねた。


「なにがあったんですか?」

「いや、私も詳しくは知らないんだが、歯周病だそうだ」

「歯周病?」


 屋外で聞くような病名ではなかった。


「それも三人いっせいに発症したんだと騒いでいた」

「三人? 急性の歯周病?」


 真岡はハッとして救急隊員の向こうで叫ぶ人間の姿を確認した。


 街灯の下で歯の抜け落ちた口から血を流して錯乱しているのは、真岡たちに絡んできた男たちの一人だった。


「あ、あ、ぁ」


 男が真岡に気づき、過呼吸のようになる。

 真岡は余計なことをして救急隊員の仕事を増やしてしまったと反省した。

 医者は因果関係を考えない。目の前に出てきた症例に対処するだけなのだ。


 歯周病が急に発症するなど眉唾として取り合わないが、狐憑きをその目で見た後だと、モモネの言葉がなにかの呪いを掛けたのだと思った。歯が抜け落ちるほどの歯痛に襲われたのならば、なにも言わずに走り去るのに納得がいく。


「帰るか」


 男たちの身に起きた不幸に同情の余地はなかった。

 真岡は、蹴られた腹を押さえながら帰路についた。

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