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なんとか書き上げることが出来ました。怖いことに連日投稿が出来ていますね…。
飯テロ注意です。
いよいよ明日は、ミキの適合手術後の初登校となる日だ。
小学校にはこのようなときのマニュアルがあり、さまざまなリスクに手当てした受け入れが出来る。
服装についてや使うトイレ、体育の着替え場所、友達関係の変化などへの対応を提供動画でうたっていた。
ミキの母親と連絡が取れなかったこともあり、自分の主治医の権利を最大限行使することにした。
これにより学校や行政機関への申請、復学手順の確認などをなんとか間に合わせたのだ。
指定が多い学用品は無償提供制度を使ってそろえたが、ひとつだけ、どうしてもと急がせてオーダーメイドを行い、買い揃えたものがある。
ミキと一緒に見た学用品カタログで、販売終了の文字があった色のランドセルだ。
今日はそれを渡せそうだ。
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ミキとそろって朝食を食べて、おいしいコーヒーを一緒に楽しむ。
朝は、コーヒーがあるためかバタートーストが良く合うのだ。
昼過ぎには予約したレストランに行こう。実はこれについても、ミキには内緒になっている。
サプライズのための隠し事なので、どうか許して欲しいと思う。
そして学校に行くなら、カットソーとショートパンツだけでは良くないだろう。
そう、今日はミキの服もそろえてしまうのだ。
以前ミキの母親が送ってきたものはスカート類が多く、今はクローゼットのこやしになっているようだ。
「ミキさん、いいですね。覚悟を決めてください」
「うう、譲二さん、たのしそうです。すこしうらめしいです」
いまミキと立っているのは、ショッピングモールの専門店街だ。ジュニア服専門店の前に来ているのだ。
ところで、昨日からミキが私のことを譲二さん、と呼ぶようになった。
すこし、いや、とても嬉しい気がする。先生と呼ばれるより近しい感じがするからだ。
店員さんが柔らかい笑顔でこちらを見ている。
すでに事情は話して、ボーイッシュな服と靴のコーディネイト5セットと、下着関係を7セット見繕ってもらうのだ。
店員さんに促がされたミキが、あわれな子牛のようについていった。
ドナドナされていったミキが、顔を真っ赤にして戻ってくるまでに一時間ほどかかった。
薄いジップアップパーカーの中にボーダーの長袖クルーネックシャツ。下は9分丈スリムデニムパンツに薄い桃色のスニーカーといういでたちだ。
デニム地のベレー帽は、白いストライプがかわいらしい。
「これは…想像以上です。ミキさん、とてもかわいいですよ」
「ひゃい」
ミキは照れているが、服の大幅なアップグレードには目を見張るばかりだ。
さすが本職ですね。素晴らしいです、と賛辞を送ると、店員さんのやりきったいい笑顔が返ってきた。
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支払いをして、残りは宅配をたのむと、時間も頃合いなのでレストランに向かうことにする。
ショッピングモールからの移動はタクシーを使った。
最近はロボットタクシーも増えていて、このタクシーもそうだった。予約時に目的地と到着時間、支払い方法を指定している。これはこれで楽なのだが、ちょっと味気ない気もするのだ。
ミキは興味津々で流れる景色を見ている。あまり車に乗ったことが無いのかもしれない。
タクシーは中心地を外れて、郊外の住宅地を進んでいく。
目的地には、小さな店構えのレストランがあった。
さあ、おいしいものを食べましょう。今日はお祝いです! 譲二がそう言うと、ミキの顔がぱあっと笑顔に変わった。
このレストランは少し馴染みがあったこともあって、暇になるこの時間を貸切にしてもらった。
ミキにテーブルマナーを体験してほしくて、気取った感じにしてみたのだ。
帽子と上着を預け、ウェイターにエスコートされるミキ。譲二にあらかじめ言われていたように、案内された椅子の左側に立った。
ウエイターが椅子を引き、ミキが前に立つと膝裏に椅子がふれたようだ。そのままゆっくりと深く腰かけた。テーブルとの間が開きすぎたので座りなおすと、ウエイターが椅子を調整する。
ミキは、自分がこのような扱いを受たことが無かった。
少し早く大人の世界に入っていることを、このとき強く自覚したのだ。
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このお皿の上のナプキンは、料理が出るときに膝におきます。二つ折にして折り目は手前です。折った内側で口をぬぐっても良いのですよ。
その都度都度、譲二はミキに説明しながら微笑んだ。
前菜は、焦がしチーズと葉物野菜のサラダだ。葉物はえぐみが無く、甘みとほのかな苦味が良い。質のよいチョコレートのバランスと似ている。香ばしいチーズが良いアクセントだ。
温前菜は、フォアグラのソテー大根添え。フォアグラのとろけるような食感と大根のしゃきしゃきした歯ごたえの対比が良い。ソテーされたフォアグラの豊かな香りや味が、淡白な大根とよく合う。
スープは、空豆とえだまめの冷製ポタージュ。魚料理は、すずきのフリカッセと続いていく。
過度にならないように、所作を直し一緒に食事を楽しんでいく。
グラニテは、キウイときゅうりのシャーベットで口直しとなる。きゅうりは果物のような甘さが感じられて、キウイのほのかな酸味と合わさり、きれいにリセットがかかった。
品数が多いため、ミキの各皿はとても控えめになっている。
それでもつぎつぎ巡る料理の絢爛に、ミキは高揚しっぱなしであった。
すべてが初めてで、まるで役を演じている風であるが、ミキにはそのことも新鮮に感じられるのだ。
続く肉料理は、牛フィレ肉の網焼き たまねぎソースだ。小さいが肉厚のフィレ肉に、きれいな焼き目がクロスに入っている。ナイフはすっとはいって、お皿が音を立てることは無かった。
メイン料理の風格と満足感がものすごい。焼きは、ほのかに赤みが残るミディアムウェル。これは慣れないミキに料理長が示した配慮だろう。この焼き方でこの柔らかさは、本当にすごいのだ。
ちなみにミキと感想を共有したいので、譲二も同じ焼き方で出してもらっている。
デザートは、苺とカスタードのミルフィーユ。そしてエスプレッソか紅茶が出る。
食事中、ミキの背中はぴんと立ってとても美しかった。
ナイフやフォークの扱いや、所作も初めてとは思えないほどだ。
席についた後、テーブルの下に手が行かないことにも譲二は驚いた。このフランス式作法は多くの日本人が出来ないことなのだ。
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ミキが紅茶をたのんだ後、頃合いを見たウエイターが布がかけられたワインカートを運んできた。
譲二はちらりと目線でウエイターに合図を送ってから、ミキに話しかけた。
「明日は、手術後初めての登校になります。ミキさんの新しい出発をお祝いして、これを用意しました。受け取ってください」
ウエイターが布を取ると、新しい水色のランドセルがあった。
販売終了した色を、譲二がオーダーメイドで注文したものだ。急がせた物であるが、かなりの逸品であることが伝わってくる。
ミキは自分が今まで使っていた、再生品の黒いランドセルのことを思い出した。
ランドセル自体は悪いものではなかったが、クラスで一人だけだった黒ランドセルは、自分がなにかを背負わされたような気持ちになったのだ。
「水色のランドセル、ほんとうにうれ、しぃ」
全て言い終わる前に、ミキの瞳から涙が出た。この涙はミキのどこかにわだかまっていたものが、熔けて流れ出たものかもしれない。
ミキは嗚咽も無く、涙を流しながら穏やかに笑った。
「ありがとうございます」
と、小さな淑女が言った。
こうしてこの日のことは、ミキや譲二、レストランの人々の記憶に長く残る出来事になった。
次回は、最終回となる予定です。いつものケアシーンが入らず申し訳ありません。
一週間以内をめどに投稿する予定です。