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早めに書き上げることが出来ましたので、予定を繰り上げました。
リビングに朝日が入ってくる。展望のひらけた東側には大きな窓があり、日の出となると部屋の中のすみずみまで一気に明るくなるのだ。今は六月なので朝4時半というところだろうか。
ソファーで目覚めた譲二は、いい匂いがしてくることに気づいた。
これは昨日ミキが言っていたコーヒーを淹れているのだろう。寝起きにちょっとうれしい出来事だ。
譲二がキッチンのミキにおはようの挨拶をすると、元気そうな返事が返ってきた。
「あっ、先生! おはようございます!」
「ミキさん、朝早いですね。昨日はよく眠れましたか?」
「はいっ、先生のおかげで何だか調子がよい気がします。朝ごはんも、もうすぐ出来そうです」
「ミキさんの朝食楽しみです。出来たものをテーブルに運びますね」
淹れたてのコーヒーに、マヨネーズゆで卵、それに加えて作り置き惣菜たちを並べていく。最後にミキが作りたてのバタートーストをテーブルに置くと、朝食の準備が整った。
二人がテーブルに着くとさっそく、いただきます、と声を合わせてから朝食がはじまった。
もっとも譲二の気を引いたのは、コーヒーと作りたてバタートーストだ。
「これは、おいしいですね。コーヒーはすっきりしています。トゲが抜けた感じ、なのでしょうか。薄いのではなくて、味や香りがきちんと揃っているのがわかります」
「トーストもぜんぜん違います。程よくかりっとした食感に、くどさが残らない芳醇な溶かしバターの組み合わせ。食べやすくカットされているのも良いです。こんなにおいしく出来るのですね」
つい語りだした譲二に、ミキは驚いたようだ。ちょっと顔が赤くなっているのは、褒められ慣れていないためだろうか。
そもそも小学五年の元男の子として、この朝食内容はかなり頑張ったものだろう。作り置き惣菜に助けられている部分はあるにしても、コーヒーには細心の注意が払われているし、バタートーストもしっかり熱で溶かされたバターを使い、食べごろを計って出されているのだ。
譲二は、風味が飛ばないように大きなマグボトルに入れられたコーヒーをおかわりしながら、ミキとあの母親の朝食風景を想像した。
ミキのスキルがところどころ高いのは、母親の薫陶が篤かったのだろう。決していい加減な扱いを受けていたわけではないのだと、考えることが出来た。
ともあれ、今は目の前のミキに集中しよう。
「ミキさん、がんばりましたね。とてもおいしい朝食ですよ」
「あ、ああ、ありがとうございます」
「お礼を言うのは私ですよ。ミキさんは本当にかわいいですね」
ミキはさらに顔が赤くなってしまった。そんな姿を見て、もっと褒めてあげたいなと譲二は思った。
◆
今日の予定は、洗濯とミキの部屋の準備、不足品のリストアップと注文、作り置き惣菜の追加注文だ。
ミキのケアトレーニングに必要になったものを、急ぎ職場に発注することも忘れてはいけない。
最初に洗濯を開始してから、物置に使っていた部屋を空ける。
部屋の中はパッキングした箱で整理してあるので、そのまま廊下に並べて積んでおこう。これらは契約している貸し倉庫サービスに取りに来てもらえば良いだろう。
空いた部屋を掃除しながら、レンタル家具サービスのサイトからベッド、机、椅子、鏡台をミキと一緒に選んでいく。クローゼットは部屋に備え付けなので、服はそこに入るだろう。
「ミキさん、家具の色を選ぶことができますよ。色を揃えると見栄えが良くなります」
「先生、この濃い水色がいいなと思います」
「落ち着くいい色ですね。家具を置いた部屋のイメージはこのような感じです」
譲二のタブレットをミキが覗き込んでくる。ミキの服装は朝からずっと紺ブルマ体操服だ。ミキいわくスカートやワンピースはダメなので選択肢がないらしい。最初のショートパンツはただいま洗濯中である。
そんなミキは腕の間をするりと抜けてきて、譲二のあぐらの上にすっぽりと納まった。
やわらかくて、かわいい生き物が腕の中に飛び込んできたのだ。目の前のさらさらショートカットから干草とミルクを合わせたようないい匂いがしてくる。
このままミキを抱きしめて、思い切り匂いをかいで見たいという欲求が譲二の中にふくれあがった。
「先生?」
「ミキさん、少しこのままでいてください」
少し力がはいった譲二の両腕にミキは驚いたようだったが、ゆっくりと力を抜いて全身を預けてきた。
何も置かれていない部屋に二人だけ。
そして、互いの呼吸と鼓動が感じられるようになったころ、洗濯終了の電子音が部屋に鳴り響いた。
ミキと譲二はどちらかともなく、目を合わせた。それからふたりで笑いあった。
◆
洗濯物を一緒にたたんでから、お昼ご飯をどうしようかという話になった。
夕方には注文した家具や不足品が次々と届くはずだ。あまり時間に余裕がないといえる。
通販サイトで注文できなかった物を買い足すために、二人で近くのショッピングモールに向かう。
主にミキの服関係をそろえるのだ。
ミキは初日に着た若草色の半袖カットソーに、クリーム色のショートパンツといういでたちだ。
結果を言うと、ショートパンツのバリエーションが増え、カットソーの種類が豊富になった。
これはどこかの専門店にお願いして、きちんと揃えた方が良いような気がしてきた。
遅めのお昼を食べようと店を探し始めたところで、ミキが露天の雑貨屋に吸い寄せられた。
見ているのは、古いタイプの棒状温度計だ。30cmほどの長さで赤い液体が上下する。100℃まで計れるようだ。ミキがこちらを見て、これを買ってもらえませんか、と聞いてきた。
「ミキさん、これは何に使うのですか?」
「コーヒーやご飯の温度管理に使いたいです。この形に慣れているので…」
ミキは服と違って温度計は必需品でないために、遠慮しているらしい。
もちろん譲二に否はない。家事に使うのだから、必需品といっても良いくらいだ。
ついに、温度計を手に入れたミキはうれしそうだ。たいへんかわいらしい。
時間がなくなってきたために、ミキと相談して早めの夕食を家で取ることにした。
ミキはさっそく温度計を使って土鍋でご飯を炊きだした。これは驚くほどおいしいものだった。
炊飯器に氷でもおいしい気がしたが、こちらは別次元という感じだ。
ミキによると、炊き上げるときの火加減と温度管理が大切とのことだ。確かに最初に沸騰させるまでの時間が長かったし、ミキは鍋のふたを開けて温度計に付きっ切りだった。
夕食後には配送物の受け入れがある。数々の注文した品も届くはずだ。
家具や布団がつぎつぎと設置されていく部屋を見て、ミキはそれはもう舞い上がっていた。今ちょうど布団乾燥機が新しい布団をふわふわにするために稼動しているところだ。
◆
ミキと譲二がそれぞれお風呂から出ると、そろそろ寝る前のケアトレーニングの時間となる。
ミキは寝巻きと定めた紺ブルマ体操服で来た。前日の医療用品はまだ取っていないとのことだ。譲二は自分の寝室にミキを招いた。
今日はベッドの上に両手をついてもらって、腰を高くしてもらう。譲二は後ろからミキのブルマを腰の中ほどまで下げると、つるりと前日の医療用品を取り出した。そして、すぐに新しいものをむにゅりと入れ込む。
はい、終わりましたよ、とミキの服装を直しながら言う。そしていつものように、ベッドに座りなおした譲二の膝の上にミキが納まった。そういえば、と譲二が話しかける。
「ミキさん、貴方は下着をつけないのですか? いつも直接体操着を着ていますよね」
「えっと、女の子用のものしかないので、その、しかたなく、です」
「そうでしたか。なにか考えた方がよいですね」
しかし男の子用の下着というわけにも行かないだろう。色々なものを試したほうが良いかもしれない。
今日も自分の膝の上にミキがいる。見た目は完全に女の子である。今や絶滅したであろう紺ブルマ体操着の小学生女子だ。つい頭を撫でてしまうと、気持ち良さそうに体を寄せてきた。
ミキの形を確かめるように、さわさわと体を撫でていく。ミキは謎の信頼感全開で頭を擦り付けて来た。
これは本当に可愛いな。譲二はあったかな気持ちになる。
つい悪戯心がむくりと沸き起こる。譲二は人差し指の腹でミキの口を柔らかくつついて見た。
ミキはちゅちゅと吸い付いてくる。少しだけのあいだ指と舌の攻防が始まり、すぐに譲二は負けを認めて引き下がってしまった。
ミキは、むふーっとしたどや顔になっている。今日はミキの新しい部屋にベッドがある。もうお休みの時間にしたほうがよいだろう。
ミキをお姫様だっこで部屋まで運んでいった。
これ以上は抑えがききそうに無いな、と譲二は思うのだった。
次回も、一週間以内をめどに投稿する予定です。