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全5~6話を予定しています。
ミキの前のドアが開かれると、最初にそこそこ広いリビングが目に入った。ほんのりとした木の香りは主にフローリング材のものだろうか。照明が人を感じてだんだん明るくなってくる。
「今日からしばらくの間、ここがミキさんの家になります」
そばに居た男にうながされて、ミキはリビングに足をふみいれた。小さな背丈にふさわしい足音が聞こえてくる。そして部屋の中ほどまで進むと、くるりと振り向いた。
「先生、本当にぼくはここに居てもいいの?」
不安そうな瞳で男を見上げる少女。小学校低学年でも通用しそうな背丈。華奢な体躯にさらさら黒髪のショートカット。若草色の半袖カットソーにクリーム色のショートパンツ。足はそのままの素足だ。
男との身長差からか、いつもこの少女の上目遣いの姿を見ることになる。
不用意に保護欲をかきたてる少女。それが現在のミキだった。
「良いのですよ。私と一緒に居てください。心配はありませんよ」
ミキに先生と呼ばれた男は、秦野譲二という。ここから徒歩数十分のところにある、地域の中核医療センターの医師である。
そもそもミキは、譲二の適合手術により女性になった小学五年の元男の子なのだ。
手術後一週間で退院となった今日、母親と問題を起こしたミキは話し合いの末に、主治医の譲二に一時預けられることになった。どのような事情か分からないが、母親は終始冷静であったように見えた。
こうして譲二は職場に一週間の休暇をとり、自宅にミキを迎えることにしたのだ。
「先生、先生! 台所を見ても良いですか」
「一緒に行きましょうか。ミキさんは今夜なにか食べたいものはありますか?」
「食べたいもの…? あっ、み、みえない」
キッチンにつくと、確かにミキの背丈では厳しいようだ。譲二はひょいとミキをだっこした。いわゆるお姫様だっこだ。ミキが困っていたので考えなしの行動をしてしまったのだ。
ミキの反応は、ぴやっと固まった後、ぼわっと赤く染まって両手で顔を隠してしまった。
真っ赤になってぷるぷるしているのが、かわいらしい。
「大丈夫ですか? ミキさん?」
「ぴょっと、びっくりして」
噛んでしまうほどのようだ。そっと降ろしてから、落ち着くまでミキの頭を撫でることにした。
だんだんミキのこわばりが抜けてきて、無意識か譲二に身を寄せるようになってくる。
この年代の子は、こんな感じなのだろうか? 少し不思議な感覚に譲二はそう思ったのだった。
◆
突然決まったこともあり、ミキに対してなにもかも準備が不足していることに譲二は気づいた。
食事のことだけではなく、服やベッド、生活必需品などいくつも出てくる。
ほどなくして、ミキの母親から宅配で荷物が届いた。助かることに、ミキのための下着や服などが入っていた。買い直したのであろう女の子用だ。中身を見たミキは、ちょっとうなだれている。
やはりミキは女の子なのだから、なんとしても個室は必要だろう。
その前に今夜の夕食をなんとかするべきか。
ミキと夕食に出かけてもよかったが、冷蔵庫に作り置き惣菜があることが分かると、ミキはご飯を炊くのでいっしょに食べようと言い出した。
「このお惣菜もおいしそうですよ。ご飯を炊けばすぐに食べられます」
「あ、でも踏み台がほしいです。すごくほしいです」
どうやらミキはご飯を炊くことが得意のようだ。しかしお味噌汁の自作はまだ出来ないらしい。
譲二は物置から、キャンプ用の折りたたみ踏み台を探し出してきた。高さ22cmの頑丈なものだ。試しに乗り降りした際も、まったくびくともしなかった。
カラフルな樹脂とゴムで出来ており、ミキも一目で気に入ったようだ。
ミキは炊飯器に研いだお米を入れて浸水させる。そして最後に氷を数個入れてから、スイッチを入れた。
「氷を入れるのですか?」
「あ、はい。氷を入れることで、お米の甘みを作る温度の時間が増えるのだそうです」
「なるほど。ミキさんは物知りですね」
ついミキの頭に手が伸びてしまう。寸前でとめると、ミキはじーっと止まった手を見ていた。そっと頭を撫でて見ると、ミキがうれしそうになった。
この子は、スキンシップが好きなのだろう。もっと触ってあげた方がいいのだろうか?
ほかにもコーヒーを淹れるのがうまいことも分かった。これから毎朝淹れてくれるようだ。
炊きたてのご飯はミキの工夫のせいか、それとも一緒に食べるからか、いつもよりおいしい夕食となったように譲二に感じられた。
◆
食後、一緒に夜の口内洗浄を洗面所で行った後、譲二はミキに課せられたケアトレーニングを手伝うことにした。毎日取り替えるように言われている医療用品が、うまく使えないようなのだ。
ミキは母親から送られてきた寝巻き選択肢の中から、ぎりぎり許せる服に着替えて、寝室のベッドに座る譲二の前に来た。上の白体操服を極限まで引っ張って紺ブルマを隠すスタイルで、体の線が出てしまうことに気がついていないようだ。
ミキが携えてきた箱には、一見生理用品に見えるものが入っている。これを赤ちゃんが通る道に差し入れて使う。移植した臓器に必要な自浄作用を助けるものなのだ。
このタイプで潤滑量が正常であるか、同時に計測できるものもあったはずだ。少々高価だがいちいち状態を検査するより良いかもしれない。
ミキはすでに生理用品の使い方も教わっているが、自分で差し入れるのはまだ怖いらしい。
「先生。ぼく、この服ちょっと恥ずかしいです」
「大丈夫です。ミキさんに似合っていてとても良いですよ」
「せ、せんせいがそう言うなら…」
譲二はミキに始めてよいか聞く。ミキはこくりとうなずいた。
最初にミキのブルマを腰の中ほどまで下げると、そのままお姫様抱っこした。ミキがあわあわしているうちに、医療用品の位置を合わせて、むにゅりと差し入れた。
痛くも怖くも無かった! とミキが感動しているうちに、いつの間にか譲二の膝に座らされていたのだった。
譲二がミキの服装を直すと、さあマッサージしましょう! とおどけて言う。ミキはくすくす笑って応じた。
「せんせい。せんせいはやさしいです」
「ここに来られて、本当に良かった」
可愛いことを言うミキの耳周りをさわさわしたり、うなじや鎖骨あたりを触れていく。
ミキによると、このあたりはあったかい感じがするそうだ。
脇腹や腰ぼね、足のうらはちょっとぞくっとして苦手とのこと。
譲二はミキが気持ちよく感じる部分を把握して、表面を撫でるようにマッサージしていく。
気持ちが良いのか、うとうとしだしたミキは、やがて眠りの中に落ちていった。
初日だし疲れたのだろう。ミキをベッドにそのまま寝かせて、譲二はそっと寝室を出た。
たまにはソファーで寝るのも悪くないか、と譲二は思った。
次回は、一週間以内をめどに投稿する予定です。