花見の季節
【キーワード】
・桜
・水色
・交通規制
「ねぇ、まだつかないの?」
助手席に座る妻は、苛立った様子でシートを倒した。
「もう、着いたら教えて」
僕の気も知らないで、彼女は目を閉じる。程なくして、寝息が聞こえてきた。
「交通規制があるなんて誰も言ってくれなかったじゃないか」
時間があるなら調べて欲しかったものだ。
「じゃあ、私の代わりにお弁当作ってくれたの?」
どうやら寝たフリだったらしい。棘のある言葉が僕の耳を刺した。
「別に君の事を言っているわけじゃないよ」
「あっそ」
冷たくあしらわれ、再び彼女は目を閉じる。結婚して三年目、僕らはこれまで花見に行った事がなかった。だから今日、人生初の花見を楽しもうとしていたのだ。妻は朝早くからお弁当を拵えてくれたし、僕は僕で有給が欲しいと何度も上司に頭を下げてきた。
しかし、結局のところ失敗だ。もうお昼時はすっかり過ぎてしまった。高速道路も降りる場所を間違え、目的地までの近道は歩行者天国と化して通れず。
「どうしろって言うんだよ」
ため息混じりにしばらく走らせ、曲がり角に見えたコンビニの駐車場に停車した。
「珈琲でも飲むか」
シートベルトを外して呟いた僕を、妻は突然揺らす。
「着いたの?」
「え? まだだけど」
「綺麗じゃん」
彼女の言葉を聞いて、僕は慌てて顔を上げた。
「……凄いね」
「うん」
そこには、僕らが本来行く予定だった桜咲き誇る山が見えた。フロントガラスに反射した空と、遠くに見える淡い桃色が混ざりあって、水色の水性絵具のようだ。
「遠くから眺める桜も、悪くは無いね」
彼女の機嫌というのは難しいが、僕はただただ頷いた。
「なにそれ、寡黙なの?」
ここに来るまでつけっぱなしだったラジオが、空気を読んでショパンを歌い出す。
「そうだね、お腹がすいたのかもしれないや」
「ふふ、変なの」
寝不足だったのだろうか。機嫌の良くなった妻は、膝の上で風呂敷を開ける。
「アイドリングストップ、してね」
「分かってるさ」
鍵の回転がラジオパーソナリティーを黙らせ、車の振動はピタリと止む。
たかが数秒の沈黙が、車内をそっと包み、空腹を掻き立てた。
「わぁ、美味しそう」
思わず心から溢れ出た言葉に、妻が自慢げに笑う。
「今日は、夕暮れの桜を見に行こうか」
「夜桜もいいわね」
日常を切り取った小説というものに憧れるというか、純粋に好きなんです。




