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ディリア  作者: 花凛
6/7

第2節 アルク3

*****

ディリアとその後ろから部屋に入ったレイチェに、部屋にいる全員の視線が注がれた。

長身のディリアは美しく、小柄なレイチェは愛らしい。

ディリアの整った顔に笑みはなく、厳しい表情が浮かんでいた。

それとは対照的に、レイチェは皆に向けてふわりとした笑みを向けた。

ぱちりと開けた目で視界の中に黒髪の少年を確かめると、軽く会釈をし

「こんにちは。お邪魔します」

柔らかな声でにこにこと笑うレイチェに、サアバとオッツ、ケイトとリンが頭を下げる。

黒髪の少年は椅子に座ったままその光景をぼんやりと眺め、迷いながら小さく会釈をした。

ディリアは左手に持った石を棚の上に置き、机に行って山積みになっている本をざっと片付けながら、

少年の横顔をちらりと見た。

ーー何を思っているのだろうか。


「レイチェ、お願いします」

「うん」

机の上が空くと、レイチェはそなえつけられた椅子にちょこんと座り、その足元に子犬が付く。

黒髪の少年とレイチェが机をはさんで向かいあうと、他の皆が一歩引くように壁際に下がった。

「改めてーはじめまして、こんにちは。レイチェといいます」

明るい緑色の瞳が優しく少年を見た。

「あなたのことを占わせていただきます。よろしくお願いします」

にこっと笑いながら、レイチェはぺこりと頭を下げる。

「……よろしく頼む」

少しの間言葉を探し、何も見つけられないまま、黒髪の少年は真摯に頭を下げた。

「ちゃんと視えるかどうかわからないけれどー」

レイチェは祈るように両手を胸の前で合わせ目を閉じた。

「あなたの探し物が見つかりますように」

鈴を転がすような声が、静かに響く声音へ変わった。


静寂が満ちた部屋の中、レイチェは合わせた手をゆっくりと離した。

何かを包み込むように広げる手の中から白い光が溢れる。少年は目を見張った。

レイチェが広げた手の中には、半透明の白い球体が浮いていた。

球体は白い光を放ちながら、レイチェの呼吸に合わせて微かに揺れる。

ごくり、と少年は唾を飲んだ。

まどろむように目を開け、光の球をじっと見つめるレイチェはさっきとは別人のように見えた。

体全体に不思議なオーラをまとい、緑の瞳は別世界のものを見ているかのようだ。

少なくとも、少年はそう感じた。

しばしの沈黙の後、レイチェの口から言葉が紡がれた。


『雨』

いつものレイチェの声とは違う、よく響く低めの声。

『雨  闇  光  空  扉  牢』

自然と溢れるかのように、連なる単語の列。

少年はまばたきもせずにレイチェをじっと見た。

『あなたは世界を知っている。でもあなたに記憶はない。あなたはもともと持っていない』

歌うように続く言葉を頭の中で反芻しながら、その場にいた皆が眉を寄せた。

『あなたは二つの道を来た。あなたは二つの顔を持つ。二つは違う。でも同じ』

『二つの血。二つの地。体の中を流れるもの。立つべき場所。あなたは橋。つなぐ者』

サアバの眉がぴくりと動いた。オッツが横目でサアバを見る。

『あなたは生まれた。遠いところで。あなたは全てを置いて来た』

『あなたは生まれた。もう一度。あなたはここへ来た。ここで生まれた』

皆がかすかに眉を動かした。それぞれが不可思議な言葉の意味を考えているように。

レイチェは俯きながら目を閉じ口をつぐみ、それからゆっくりと、顔を上げた。

緑の瞳に少年の黒い瞳が映る。

『ア ル ク』

ゆっくりと、確かめるようにレイチェが言った。

『あなたは、アルク』

夢見るような緑の瞳が、少年の目を射抜くように見ていた。

「アルク…?」

少年が言った。自分自身に問いかけるかのように。

『あなたの名はアルク』

問いに答えるかのようにレイチェが謳う。

『あなたはここにいる。それはあなたの意志』

『アルク、あなたは』

緑の瞳は強く、少年を見た。

「ディリアちゃんの近くにいるべきよ」

突然、夢から覚めたようにいつものレイチェの声が響いた。

同時にぼうっと弱い光を残して、レイチェの手の中の球体が消えた。

「私に視えたのはこれが全てよ、アルク」

レイチェの瞳が真っ直ぐに少年を見る。緑の瞳は明るく、不思議なオーラは消えていた。


射抜かれたように、しばらくの間誰も何も言わなかった。

不意にサアバが少年の横に歩み出た。

「君の名はアルクだそうだ。思い出したか?」

「…いや」

サアバの問いに一瞬間を置いて少年が答える。

「ではアルクと呼ばれることに違和感はあるか」

「…いや」

「そうか。ではアルクと呼ばせてもらってかまわないか」

サアバは無表情で言った。ディリアは怪訝そうにサアバを見たが、何も言わなかった。

「…ああ」

少し考えてから返事をした少年を、皆が見つめた。

「アルク、ここへいるつもりはないか。幸い部屋は山ほど空いている」

サアバが出し抜けに言った言葉に、ディリアは目を見開く。

「君のことがわかった以上、これはもう必要ない」

細長い指が少年の腕にはめられた銀の輪に触れた。銀の輪ははずれて少年の膝に落ち、

長い鎖に触れてかたりと軽い音を立てた。サアバがそれを拾い上げる。

「俺のことがわかった?」

少年は呟くように言い、サアバの銀の瞳を見た。

「ああ。姫に害をなす者ではないということがな」

サアバはそう言うと、ケイトとリンの方を向いた。

「ケイト、アルクを連れて部屋に戻ってくれ。リンも一緒に」

「あ、はい…」

ケイトが驚きを隠せない様子で応え、リンは真剣な顔で頷く。

サアバは左手で扉を指し、目で少年を促した。

「考えておいてくれ」

ケイトとリンにはさまれるようにして立ち上がった少年にサアバが言った。

少年はしばし無言でサアバを見たが、ディリアとレイチェに視線を移し、一礼してから部屋を後にした。



「…どういうつもり」

扉が閉まると同時に、ディリアがサアバに詰め寄る。

「どういうつもり、とは?」

「あなたがあんなことを言うなんて」

ディリアは探るようにサアバを見た。銀の瞳からは何の感情も読み取れない。

「ディリア様が言わないから、代わりに言ったまでですよ」

サアバは言うと、レイチェに礼をして扉へ歩む。

「待ちなさい」

「何か?」

「…後の判断は私に任せると?」

刺々しいディリアの声に、ふっと一呼吸置いてから

「私はいつでもディリア様の判断に従うだけですよ」

無機質な声を残し、サアバは部屋を出て行った。


「ったくあいつは何考えてんだか…」

相棒の態度にぼりぼりと頭を掻いて、ばつの悪い顔でオッツが呟く。

「すいませんレイチェ様…急な呼び出しにも関わらず来ていただいて…

とりあえず俺も行きます」

オッツもレイチェに礼をし、サアバを追いかけてばたばたと部屋を出た。

ディリアはそれを複雑な表情で見つめ、椅子から立ち上がったレイチェに視線を移す。

「レイチェ、ありがとう」

ディリアは緑の瞳をじっと見て言った。

「ディリアちゃん、私が言ってることは合ってるかどうかわからないけれど」

レイチェの言葉にディリアは軽く首を振る。

「ねえディリアちゃん、きっと…きっと彼が側にいることがきっとディリアちゃんのためになる」

レイチェは真剣な眼差しでディリアを見た。

「私、今日はもう帰るね。また何かあったらいつでも言って」

レイチェはそう言うとふわりと笑って歩き出した。

ディリアはレイチェを気遣うように寄り添って、一緒に部屋を出た。二人の後を子犬が追う。

扉を閉めながら、ディリアはぽつりと言った。

「ありがとうレイチェ。本当に…ありがとう」

レイチェは無言で微笑んだ。二人は並んで、長い廊下を歩いて行った。




*****

部屋に戻ったケイトはベッドに腰を掛けた。少年はその横の椅子に座った。

リンは扉の近くの壁に寄りかかるようにして立った。

「えっと…少しは何か、思い出したか?」

ケイトはさりげなく聞いた。

「…いや」

少年は少し考えてから言った。

「そうか…名前はどうだ?アルクって名前…」

少年は黙った。ケイトは少年の答えを待った。不意に少年は言った。

「記憶がないってどういうことなんだろうか」

ケイトは目をぱちぱちさせた。壁際に立っていたリンも、少し驚いた顔をして少年を見た。

「焦りや不安を感じるものなんだろうか」

少年は自分に問いかけるように言った。

「お前は…どうなんだ」

ケイトは伺うように少年の顔を覗き込む。

「俺は…自分のことを知りたいと思った。だがそれ以外、何も思わなかった。

名前を聞いた時、知りたかったことを知った気がした。もう十分だと思えた」

「それは…本当の名前だからそう思った…とかじゃないのか」

ケイトが慎重に言葉を選ぶ。

「わからない。だが…アルクと呼ばれて、違和感は感じなかった」

少年は考え込むように指先を見つめ、静かに言った。

「無神経なことを言うかもしれないけど」

ケイトが前置きして言った。

「レイチェ様がそう言ったから、きっとお前はアルクって名前だと思うよ」

少年は顔を上げて、ケイトの真っ直ぐな瞳を見た。

「あのレイチェってやつのこと信じてるんだな」

「ああ、信じてる。心の底からな」

ケイトは真顔で言った。声は相変わらず明るかったが、真剣な響きがあった。

「あのさ」

ケイトが少し上の方を向いて言葉を探す。

「俺も昔、ディリア様の側に行くべきだって言われたことがあるんだ。俺の師匠になんだけど。

それで俺はここに来た。そしてディリア様の近衛になった」

「近衛?」

少年が聞くと、壁際に立っているリンの眉が少し動いた。

「まあ、対外的にはな。実質的にはただの雑用係みたいなもんだけど」

ケイトはちらりとリンを見た。リンはじっとケイトを見ていたが、何も言わなかった。

「ディリアは本当に姫なのか」

「ああ…姫っちゃ、姫だな。でもふさわしい呼び方じゃないな」

それから少し間をおいて、ケイトは続けた。

「ディリア様は、この国の王だ」

ケイトの言葉に、少年は少しだけ目を見開いた。

「王…?」

「ああ」

ケイトが頷く。

「…それは予想外だな」

無表情な少年の顔に微かに笑みが浮かんだ。ケイトはそれを見て、口を開いた。

「もしお前がここにいてくれたら、俺は喜ぶけどな。きっと、ディリア様も」

その時、コンコンと扉を叩く音がしてディリアが部屋に入って来た。リンが軽く会釈をした。

ベッドの近くにはもう一つ椅子があったが、ディリアはそれには座らず少年の横に立った。

ディリアの青い瞳が、少年の黒い瞳を見た。

「アルク…」

ディリアは呟くように、静かに言った。

「ああ」

少年が応えたことに、ディリアは驚いた。ケイトもリンも少し驚いた顔をした。

「名前、思い出したの?」

「いや」

ディリアの問いに、少し間を置いて少年は言った。

「でもきっと、俺の名はアルクなんだと思う」

「…じゃあこれから、アルクって呼ばせてもらっていいかしら」

ディリアは伺うように少年の黒い瞳を見る。

「ああ」

少年が頷く。

「アルク、あなたさえ良ければ…これからもここに居て欲しいの。もちろん、何か思い出すことがあって、

あなたが離れたいと思った時は…今も…どこか行きたいとこがあるなら…かまわないんだけど」

ディリアは言葉を探すようにゆっくりと言った。

「俺は…」

ディリアの言葉に、少年は一瞬戸惑った。

「ここに居てもいいのか」

「あなたさえ良ければ、居て欲しいわ」

少年の問いにディリアのまっすぐな瞳が答えた。少年は何か考えた後、口を開いた。

「ディリアは王なんだろう」

一瞬の沈黙が流れた。ディリアはケイトをちらりと見た。ケイトは少し頭を下げた。

「…聞いたの」

ため息まじりにディリアは言った。

「こんな正体のわからない者を近くに置いていいのか」

少年がディリアの瞳を見つめたる。

「レイチェがあなたは私の側にいるべきだと言った」

ディリアは思い出すように、きっぱりと言った。

「私にとっては、その答えが全てよ」

青い瞳はまっすぐに少年を見ていた。

「本当に信じているんだな」

少年はふっと笑った。

「ええ信じているわ。それに何より…あなたさえ良ければ、私の友達になってほしいの」

ディリアはかすかに笑って言った。ケイトが何か思ったように、少しだけ視線を落とした。

「一つ聞いていいか」

少年が言った。ディリアはどうぞ、と目で答えた。

「俺もディリア様、と呼んだ方がいいか」

いつかしたような質問を、少年はした。

「…ディリアでいいわ」

少し間を置いてディリアが言った。なんとも言えない表情を浮かべながら。

ケイトとリンが、その顔をじっと見つめていた。ケイトの胸がちくりと痛んだ。

「そうか。じゃあディリア」

いつか言ったのと同じ言葉を、少年は言って立ち上がった。

「よろしく」

少年は手を差し伸べた。ディリアはぱちぱちとまばたきをして、微笑んだ。

いつもの大人びた顔に、あどけない少女のような笑みが浮かんでいた。

「よろしく、…アルク」

ディリアも手を差出した。細く白い指がアルクの指に触れ、二人は握手を交わした。

ケイトとリンの目に二人の姿が映った。それはまるで物語のワンシーンのように、二人の心に強く残った。


これが、ディリアとアルクの出会いだった。


第2節 了

第3節へ続く

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