表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ディリア  作者: 花凛
1/7

第1節 雨

雨の度に探す落とし物

橋は架かったのに渡ることはできない


空の旅に探す落とし物

端から端まで見渡してあなたを探すのに

私の影しか見つけることはできない



------ 第1節 雨 --------------





あの日は、雨が降っていた。


突如降り出した雨の音に、ディリアは読んでいた本を置き窓へと視線を移した。

くすんだグレーの空に厚い紫色の雲が浮かんでいて、雨が白い矢のように降り注いでいる。

「珍しい…この時期にこんな雨なんて」

ディリアはぽつりと呟いてから席を立ち、窓の方へと歩む。

小さな銀色の鍵をはずし手を伸ばすと、大きな雨粒が細く白い指先を打った。


季節は春。芽吹いた緑が大地を覆い、暖かな陽光が花々を照らす季節。

この季節、緑を潤すささやかな雨が降ることはあっても、このように強い雨が降るのは珍しい。

雨はどんどん激しさを増し、昼の明るさを消していた。

霧がかかったように霞んだ森を見つめながら、ディリアは濡れた手で窓を閉め、本が高く積まれた机に向き直る。


一歩踏み出し、ディリアは動きを止めた。腰まである金色の髪がさらりと揺れ、青く澄んだ瞳に一瞬光が宿った。

雨が落ちるように、意識に波紋が広がっていく。

本が積まれた机も、その後ろの本棚も、壁も、ディリアの目には映らない。

まぶたの裏で闇に浮かんだ光の点。森の中で青白く光る何かを…目を閉じたまま、ディリアは見ていた。


(なに…)

拳を握り、額に当てる。張り巡らされた意識が一点に集まり、そこに辿り着いた瞬間、何かが強くまばゆく光った。

ディリアははっとして目を開けた。

(今のは…)

瞬時に体に広がった奇妙な感覚。一瞬だった。そう…ほんの一瞬、強い光の中に何かが見えた気がしたのだ。

一二度まばたきをしてから、ディリアは再び目を閉じた。

鈍くぼんやりとした青白い光が靄の奥に見える。

身体の中の回路を繋ぐようなイメージ…遮るものを消していくにつれ、光の輪郭は鮮明になっていく。

その正体を認識できた時、ディリアの体に力が入った。整った眉が怪訝そうに寄り、閉じたままのまぶたは微かに震えた。

頭の奥に意識を留めたまま目を開くと、ディリアは自分の前の、誰もいない空間をまっすぐに見つめて言った。


「リン」

呟くようなその声には、激しい雨の音を打ち消すような不思議な強さがあった。

「はい」

ディリアの前には確かに誰もいなかったが、どこからか応じる声が響く。

「リン、西の森に行って。城から25.3km。エルザルの大木がある辺りよ。人が倒れている」

ディリアは誰もいない空間を見つめたまま、毅然として言った。雨の音が部屋を包む。

「はい」

短く応えたその声にはかすかな当惑が交じっていたが、それ以上言葉はなかった。


雨が強くなったように感じたのは、静寂が戻ったせいだろうか。

ディリアは向きを変え、再び窓の方を向く。

ザアァ…ザアァ…

雨音が頭の中に響く。胸の中がざわざわと揺れる。

窓の向こうに広がる森は雨で白く煙っていた。そこに映る自分の姿に、ディリアは手を重ねた。

冷たく潤んだ空気をすうっと吸い込み、ゆっくりと目を閉じる。

まぶたの裏に映された景色。森の中に人が倒れている。10代後半であろう、黒髪の少年。雨に濡れた髪に隠れて顔は見えない。

(さっきのは何だったの…)

ディリアは拳を握りしめ、ほんの少し前の記憶を呼び戻そうとした。

一瞬見えた光。光の中に何かが…確かに何かが見えた気がした…

あの時の感覚はなんだったのか。奇妙な、とても奇妙な感じがした。胸の奥に雨が落ちたような、あの感覚…

(見えない…)

眉を寄せて、首を振る。目を開いても、見えるのは白く眩しい雨だけ。

(すこし前のことなのに…)

記憶はどんどん褪せていき、思い出そうとすればするほど、あの時の感覚から遠のいていくようだった。

いや、今考えるべきはそこではない。少年が倒れていたのだ。ありえない場所に。

(こんなこと初めてだわ)

思わず唇を噛む。そう、少年が倒れていたのはありえない場所だった。雨の音が頭の中を掻き乱す。

叩いて、跳ねて、跳ねて… 体を撃つ…

ディリアが意識に問いかけたその時だった。


「見つけましたディリア様。外傷はないようですが意識がありません。持ち物等は見当たりません。どう致しますか」

どこからともなく響いた声が、雨の音を打ち消した。ディリアは窓越しに降りしきる雨と、自分の険しい顔を見た。

ザアァ…ザアァ…

目をとじれば、雨は一層強くこだまする。まばたきの裏に雨を映して、ディリアが呟くように言った。

「ここに連れて来て」

ザアァ…ザアァ…

また一瞬、雨が強く響く。

「しかし、それは…」

応えた声は、当惑したように言葉に詰まった。

「急いで。この雨の中放ってはおけないわ。サアバには私が話す」

「しかし城内へ入れるのは…」

「リン、そんな所にいた人を王都内へ入れるわけにはいかない。それに…どうするにしろ、私が会わなければ」

ディリアの声に力が入った。

「…わかりました」

姿のない声の主は、思慮深い声で応じた。


「今すぐそちらに向かいます」

「わかった。用意しておくわ」

ディリアは息を吐いて、踵を返した。が、前に進もうとした瞬間歩を止め、ふと口を開いた。

「リン」

「はい」

「人、なのよね」

「はい、人ですが」

ディリアの言葉の真意を問うようなリンの声が響く。

「…そうよね」

「なにか?」

リンの問いかけに対し、頭の中にあの一瞬の光が浮かぶ。

「…なんでもないわ。わかっていると思うけど、一応気をつけて」

そう言い、ディリアは何かを振り切るように歩み出した。

「はい」

短い返事が返り、それきり会話は途切れた。ディリアは無言で部屋を出た。部屋の中には雨の音だけが残った。

(一応気をつけて…)

歩きながら、胸の中で反芻される言葉。

いつもなら真っ先に浮かぶ感情が何であったか、何であるはずなのかを、ディリアは知っている。

それなのに、何故その思いが浮かばないんだろう。季節外れの大雨に惑わされたかのように…。


ザアァ…ザアァ…ザアァ…ザアァ…

雨は降り続く。ディリアの胸を叩くかのように。強く、強く。



続く

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ