4 レディ・キャプチュアード 1
4 レディ・キャプチュアード
まるでエメラルドの宝石の様な輝きを湛える【香忰】には、惑星自体を取り囲むように幾筋かに分断された美しく虹色に輝く奇妙なアステロイド円環を伴っていた。
そのオービタルリングは、磁気圏界面の際まで届かんばかりに薄く拡がる微細な粒子状特殊金属鉱石と、幾ばくかの有機物を含んだ無数の氷塊群によって形成され、恐らく惑星自体の持つ特殊な変動磁気圏の影響なのだろうか、まるでメビウスリングの様な特殊な形に歪んで輝いていた。
「綺麗なリングね。でも・・・ちょっと軌道も変わってて、何となく危なっかしい気がするけど・・・」
アリュナールは、ブリッジのフォロ・ヴィジョンに浮かんだ七色に輝くオービタルリングを見つめ、感嘆と危惧を込めた少し魅惑的な表情を湛えて小さく零した。
「大丈夫だぜぃアル、衛星軌道進宙には然程影響はないさ」
アリュナールの抱いた感慨に対して、少々ピントを外してはいたが伽罹那はそう言いつつも、何時も以上の慎重さで進宙軌道マップを組み上げている。
「キャハハ何だか、どっかの老舗古式料亭にある古暖簾のようじゃのゥー」
「キャハハうちらの秘湯温泉、大浴場ゲート前でも持って来いかもよゥー」
此方は、感嘆する位置が全くズレている為なのであろう、双星神の発した一際軽い台詞が誰にも相手をされないまま空しく宙を漂う。
やがて【ルーミィ】はゆっくりと【香粋】へ接近し、惑星周回軌道である中高度帯第二衛星軌道上へと何事も無く静かに滑り込んだ。
眼下には、萌木色に光輝く【香忰】表層の大部分を覆う薄緑色をした広大な海が広がっており、その海を隔てて細長く幾重にも連なった濃黒緑色に彩られた細い大陸が、惑星の南北をぐるりと縦断するように筋状に刻まれた文様を浮き出させている。
程なくして【香忰】の軌道を3度程周回した頃、明利は、まるで熟し始める前の果実にも見える【香忰】の美しく穏やかな情景を、コンソールシートで寛ぐ様にのんびりと眺めていた。
だがその実、落ち着き払ったその姿とは裏腹に、彼は誰からも悟られる事無く秘かに惑星上のリサーチングを兼ねて、丹念に地表の偵察と解析を行っていたのである。
「ティア、第Ⅲ・第Ⅳ象限宙域近接エリアの索敵完了、異常ありません。続いて・・・」
【ルーミィ】のブリッジには、警戒索敵状況を坦々と告げるアリュナールの声だけが静かに響いていたが、それまで緩やかに流れていたアルの声色が、突如緊張の色を帯び周囲に警戒感を奔らせた。
「・・・いや、待って!ティア、《アンノウン》感ありです!第Ⅱ象限下方約3,000Ⅿメルティ、【香忰】低軌道帯第一衛星軌道上に我々と同一ベクトルにて慣性航行状態を維持する艦体らしき人工物体の感1有り。でも、【緋翼のルヴァージュ】かどうかはまだ判断できませんが、取りあえず軌道を画像表示します」
ブリッジの全天球フォロヴィジョンの下方を横切って、これから【ルーミィ】の辿る予定進路がライトブルー・マーカーラインとなって表示されると、それに加えて下方を先行する《アンノウン》を現すオレンジ・マーカーラインが一筋クッキリと灯る。
「そう、あまり慌てなくていいわよアル、直接確かめてみましょう。伽罹那、明利。是より軌道を修正するぞ、予定より早いが【香忰】低軌道帯第一衛星軌道付近まで偵察降下開始だ」
ティアスは落ち着き払って、キャプテンシートの左手に投影された小型タブ・フォロヴィジョンに手を翳すと、アリュナールの表示を修正した軌道画像ポジションデータを飛ばして、伽罹那と明利に目標へのストーキング接近を命じた。
「ティア、ラジャーでぃ。さてさて【緋翼のルヴァージュ】さんとの御対面か?それとも、他の先客さんかもな」
ちょっと寸前まで退屈そうにメイン航宙士シートに座り、必死に欠伸を堪えていた伽罹那が、ゆっくりとした動作で構え直すと華麗な操作で操艦を始める。
「美味しそうな色だ、まるでウォーターメロンだな」
素早く躁艦を始めた伽罹那を横目に、ふと、そう呟いた明利は、脳裏に湧き上がった極上な供物のイメージにピタリと重なってしまう【香忰】に対する不届きな食欲充足的想念を振り払うと、伽罹那の降下サポートに集中すべく取り敢えず地上の偵察を中止し、彼女に倣ってコンソールフォロヴィジョンへと向き直った。
その時、ほんの一瞬、瞬きする程の間ではあったが、彼の感覚は【香粋】高緯度地表付近の片隅で、琥珀色に輝く半円球状をした靄状のモノが微かに浮かび上がっていたのを見逃さなかった。
(何だ!?あれは南半球か?まるで【金剛界結界】の一種だった様な。しかも人為的で、かなり強固な封括だったぞ・・・あんな物、一体何者が造作したんだろう)
微かに捉えたその結界状発光現象の詳細を確かめる間もなく、伽罹那の鋭い声が明利に向かって飛んで来た。
「明利、ほれ明利!てめぇ~、ボーっとすんなって!よお、ホーマン軌道へ遷移準備だぜ。第一遷移点で、サブエンジン制動出力12.5%を3セクル、第二遷移点で5.5%の2セクルでどうよー?」
明利はたった今し方まで感じていた、恐らく自分にしか視えない、そして通常の物理的計測データにも現れる事のない結界状発光現象に一切言及すること無く、大まかなその位置を自己の記憶巣に格納して軌道遷移準備作業へと意識を集中させる。
「はい、伽罹那、ラジャー。・・・すいません慣れないもので、両舷姿勢制御オートバランサー作動展開します。そうですね、第一遷移点で3セクル少し押さえて10.5%程度を、第二遷移点では逆に7.2%の2セクル位で十分でしょうか?【香忰】の極軌道から延びているオービタルリングによる重力場偏差の影響が、少し強過ぎてやや気になるんですが。伽罹那、如何ですか?」
「てへへ、「如何ですか?」何~て言われちゃったしー、シシシ、いや~新鮮、確かに納得だわ。良いでぇーす明利、新入りのクセに先輩のプランに物申す度胸が気に入ったね。う~ん、やっぱそれにしようぜぇ」
伽罹那は明利の方へ顔を向けると、上機嫌にゆっくりと腕を伸ばしながら【ルーミィ】を繊に減速させ、軌道高度を徐々に下げていった。
すると、それまで明利の傍で大人しくしていたリトルが不意にスッと手を動かし、小さな彼女の手が彼の腕を捉え、スーツ越しに「ギュっ」と握り締めてきた。
「・・・あれは・・・明らかに・・・彼女の船だ。しかも、手酷く・・・喰い荒らされてでも、いる・・・かのようだな」
全天球フォロヴィジョンの中、遥か遠くに輝く小さな点となって慣性航行する艦影らしき人工物体へと、鋭い眼差しを向けながらリトルが呟く。
「どういう事だい?リトル」
「何れ・・・直ぐに解かる。・・・それまで・・・暫し待つが良いぞ」
そしてリトルは、何故か酷く不安に駆られたような視線を、再び明利へと戻しながら訴えた。
「だが明利、・・・この感触、あまりにも・・・気に入らぬ。・・・近寄らぬ方が・・・良いぞ。こいつは少し・・・危険かも・・・知れんな」
「大丈夫だよリトル。仮に【ルヴァージュ】クラスからの近接戦闘を仕掛けられたとしても、多重結界防壁で防ぎきれるから大丈夫さ、本艦の近接結界防御システム多重護法陣梗塞祁群は信頼が厚いようだからね。しかも、CAの際まで接近したとして、いきなり噛みつかれようが回避離脱に係るリードが充分確保できているから心配はないさ」
明利はリトルを安心させようと、勤めて微笑みながら優しく答える。
「ふぅん。・・・そうか?お前・・・きっと・・・それ誤解・・・しているぞ」
リトルはキョトンとした表情をして、不思議そうに悲哀を込めて明利の惚けた微笑みを見つめ返すと、二人の間には微妙な程に咬み合わない空気が漂っていた。
やがて【ルーミィ】が【香粋】の第二衛星軌道を離れて低軌道帯への降下遷移を開始しつつ、更に軌道上を5周ほど廻った頃だろうか、第一衛星軌道上を静かに漂う【ルヴァージュ】の残骸が、小さなシミとなって朧げながら彼女たちの眼前に姿を現した。
アリュナールは、一段と神妙な面持ちで早期警戒リサーチング・フォロ・コンソールを操作する。
「ティア、特務艦にしては結構大きい方ですね、高規格制式外洋巡航艦クラスかな?主エネルギー反応なし、稼働停止して随分と・・・いえ、これ凍結中みたいね。どうやらこれは最近放棄されたようです。間もなくディスプレイに表示・・・今、出ます」
気圏上層の影響を受け、遠く微かに陽炎の様に揺らめき恍けていたその姿は、次第に大きさを増して形を整えながらルーミィの下方へと接近してきた。
萌木色に拡がる【香粋】地表層とのコントラストに比して、はっきりと見て取れる緋色に輝いた巨大な艦影は、猛禽類が畳みかけた勇猛な双翼を模して造られたかにも見える。
やがてその艦影は【香忰】のオービタルリングからの反射光を受けて、無惨にも変わり果てた姿をより一層鮮やかに浮かび上がらせた。
彼方此方を暗褐色の破壊痕に彩られてはいたが、嘗ての美しさを彷彿とさせるその「緋翼」を見つめていたティアスは、暫くの沈黙の後囁くようにアリュナールへ指示を出す。
「どうやら【緋翼のルヴァージュ】の成れの果てのようね。それにしてもこの軌道位置が気になるわ。アル、再度艦体サーチを走査らせて頂戴、念のため生体反応含めて慎重確認よ」
流麗であったろう【ルヴァージュ】の艦体には、凡そ対艦戦闘でも負うことのない内側から鋭く抉られた破壊痕が無数に残されており、それは恰も獰猛な肉食魚類の群れにでも襲われ、内部から喰い荒されたかのようにも見える。
その寂寥たる美しくも無残な姿は、見る者全てを凍りつかせるに充分であった。
「・・・ラジャーでーす」
一瞬の沈黙の後、アリュナールは目紛しくセンサー・コンソールを操作し始める。
「見るからに酷えなこりゃぁ、これがあの特務艦の成れの果てってーのかい?」
大きな破壊痕を残した満身創痍の容呈で、不気味に漂う【ルヴァージュ】をじっと凝視していた伽罹那の肌は逆立ち、背筋には冷たいものが奔るのを感じていた。
一方で、テミアが難破した海賊船の宝探しでも連想したのか、「ワクワク」と楽しそうに身を乗り出す。
「あの姉~ちゃんも、遂に逝ったか。安心せいよゥー、姉ちゃんの残したお宝は、我らの手で大切にするからのゥー。さっさと成仏せいよゥー」
「何~の、きっと息を殺して、どっかにか潜んでるって。ここはズバッと接舷して、あの姉~ちゃんと、ドバっと一発白兵戦でもやるかのゥー」
勢い右腕を突き上げたラミアも、別な意味で「ワクワク」し始めたようだ。
「ティア、艦体サーチ再度完了です。やはり生体反応は確認できませんでした。でも、未だ推進エネルギーの残存反応がありますから、辛うじて航行機能を保持したまま放棄されて間もないものと推定されますね」
アルの残念そうな声が、心なしか若干乾いている様にも聞こえる。
「これまでだな、残~ん念~ん無~念~ん。やっぱ間に合わなかったって訳だねぇ」
双星神と比して、伽罹那のあっさり諦めたような言い回しと、落胆を込めた表情が際立つ。
「いえ、これで終わりじゃありませんよ。恐らくあれは【ルヴァージュ】の本体である艦体核から分離された、辺縁部に当たる残骸だけの様ですから」
明利は伽罹那の「あっさり」落胆と、双星神の「ワクワク」連想に水を差すかのように、自らのMIDサブ記憶巣群から呼び出した【ルヴァージュ】に関するデータを、誰からと求められるでもなく解説し始める。
「このタイプ、アディリア連合星系宇宙軍外洋宇宙艦隊【ルヴァージュ】クラスの高規格特務巡航艦は、艦体核である本体主基幹部と、辺縁部の武装・エンジンユニットが鳥の翼のように連結リンクする独特の構造になっています。所謂、超絶合体接合形成タイプですね。うーん、やっぱ、断然いいよなぁぁ~」
静かに語り始めたはずの明利の声にも、心なしか少しずつマニアックな熱気が籠り始めていた。
「それに、艦体核である本体主基幹部自体がライト・フリゲートクラス程の大きさで、しかも、大気圏内での活動が可能な全領域稼働型であったと記憶しています。くゥ~当然いいよなぁ~。至れり尽くせりで、生まれながらに生粋の特務専攻艦なんですよ。極上でカッケぇぇ~なぁぁ」
彼の語りの後半部からは、これまでとは異なる別の「ウズウズ」が加速度を増して勝手にマニアック的な盛り上がりを見せていく。
「・・・なので、この周辺宙域には肝心の艦体核、本体主基幹部が見当たりませんでしたから、恐らく単独で惑星上に降下したものと推測します。だとすれば、やっぱ、すっごい魅力的ですよね。分離してるんですよ、いいねぇ分離強襲型空挺戦闘艦だぜ、激烈いいよなぁぁ~」
「ウズウズ」と嬉しそうに、殊更入れ揚げたマニアっぽい表情で独り熱く語る明利を冷徹に見下していたリトルが、これまた不機嫌な顔をしてプィっと剥れながら苦言を呈す。
「ばかな奴・・・だな、お前は・・・太古に亡んだ、ギャラクティック・・・何とかの・・・ああ、「ギャラ・コレ航宙艦娘・オ=タク同盟」の類の・・・お下劣類属なのか?今あそこに在る物は・・・最早、只のスクラップだぞ。・・・それに比べて・・・余には、比較にならぬ程の価値が・・・あると・・・断然思うのだがな!」
「そうね、下品です。私も断然【リトル=ルーミィ】が良いでーす!」
作業を終えたアリュナールが、宥める様に45゜斜め下に塞ぎ込むリトルを持ち上げる。
「いや、と言う訳じゃなくて、その、今のは単なる分析評価ですから。無論、そりゃ当然【ルーミィ】の方が良いに決まっているんだけどね。そ、そりゃそうさ。でも、ちょっと【ルヴァージュ】の艦体構成発想自体が他と違っていてレアって言うか、珍しく、貴重で、特殊ってなだけで・・・はぁ、そこがまたいいんだよなぁぁ~」
「・・・本格的に・・・ばかなのか?・・・お前は・・・」
言い訳がましく弁明をする明利を前に、ますますリトルが不機嫌になっていく。
「ぷぷっ、明利坊やはトランス何とか~の・・・所謂、超烈合体物マニアだったって訳だぁ。何時まで経ってもこんなのが好っ気なんだよねぇ~男の子ってのは、全く困ったもんだよ。でも、・・・するってぇと何だ、ほれ、今、奴の本体は殻を脱ぎ捨てた剥き身のままなんだろ?てぇ事はだぁ、この星の何処かでぇ「放置プレイ」してるってぇ訳かい?ヒヒひひひ」
伽罹那が丁度手頃な良い獲物を見つけ、明利を見遣りながら射程距離圏内とばかりにご機嫌で皮肉たっぷり言い放った。
「あたしを探してぇ~、すっぽんぽぉ~ん