最近世間に流行している婚約破棄に関する雑記
初春・三日月の日
大陸のはるか南西の小国で、パーティーのさなかに婚約を反故にした女が現れたらしい。いや、詳しくは知らないのだが、最近様々なところでよく耳にする話題ではあるのだ。
聞けば、その女は婚約が自身の意に添わず行われたものである――などという謎の理由から、婚約が無効であると宣言したのだという。それも大衆の面前でだ。
事件の起こった辺境の小国、そこから遠く離れた我が国でも、この話は話題になっているようで、私自身も外出の折に噂を聞いている。
まあ分からないでもない。感情の起伏が薄いとよく言われる私ですらも、最初に聞いたときには、思わず驚いたほどなのだ。神に誓っておこなった婚約を破棄するという行為は、神への大逆にあたるものでもある。とんでもないことをする人がいるものだ。だからこそ、たしかに話としてはとても面白い。
まずもってそれを行う意味も分からないが、女は悪魔憑きだったのだろうか?
街中では、この事件を「婚約破棄事件」などと呼び、面白がっているという。本来ならば、規律を守り街を守るべき執政官の一人として、私はこの話題を咎めなければならないのだろうが、いちいち真に受けるのもばかばかしい。わざわざ気に掛けるほどの問題でもないだろう。
中春・新月の日
単なる珍奇な現象、それも気狂いの女が起こしただけのものだと思っていた「婚約破棄」だが、この現象は最近になって、女が事件を起こした国の近隣の国でも、複数例にわたり発生し始めているようだと聞いた。
婚約破棄を行う彼らは男女を問わず、相手婚約者の不義理を理由にすることが多いそうだ。だが当然、この義理は宗教的記述の論拠をもたない。いくらかの人は、婚約に対して元から嫌悪感を抱いていたのだと主張している。婚約への嫌悪とは、つまり神への嫌悪であろうか? 婚約は好き嫌いでするものではないと思うのだが。
南西の小国群は、我々の国のある大陸北東部からは地理的な隔絶があるが、それでも我々と同じ聖教を信仰しているはずだ。にもかかわらず理解しがたい現象が続くが、教会本部の活躍を期待したいところである。
それと、街中での「婚約破棄」の話題に関しても、少々まずいことになっている。この噂話の内容は、出回ってから一か月もたっているというのに、一向に収束する気配を見せない。さらに悪いことには、その内容が随分と変わってしまっているのだ。具体的に言えば、噂話の論調が、婚約破棄を行ったという女を褒め称えるものへと次第に変わりはじめた。市民ははじめ、不可解な異国の話をただ面白がっていただけだったはずだ。
とにかく、この変化は認めるべきではないだろう。婚約は神に誓って行われる神聖な行為であり、それを破ったものが讃えられる論調は許されないものだ。聖教会の大使からも、今の状態はよろしくないと、公式に抗議を受けた。街の規律と倫理を守るものとして、この状況を変えていきたいと考えている。
初夏・満月の日
「婚約破棄」の発生は、最初に起こった南西部の小国を離れ、世界中の各地でみられるようになった。
聞けば、大陸南部地方を中心に、上は各王国の王家に準ずる家系のものから、下は地方の小領主や有力者、あるいは豪商などの一般富裕層に至るまで、数え切れないほどの婚約破棄の事例が発生しているのだという。
もちろん聖教会は、すでに婚約破棄に対する否定的な見解を布告している。しかし教会の末端では、婚約破棄に傾倒するような、敬虔さに欠ける神官が多いようで、その布告は人々にはしっかり行き届いていないと聞く。実に嘆かわしいことだ。
そのうえ婚約破棄に関して、我が国にも影響を与えるであろう情報を手に入れてしまった。大陸西端に面する海に浮かぶ大きな島、その全域を領地に抱える軍事国家の姫君が、大陸中央から西部西端までを占め、文明の最先端を歩んできた大帝国の第一皇子から、婚約破棄の通告を受け取ったという。
この二国間の婚約は、それぞれの国とこの大陸に対する多大な利益を前提とした一種の取引だったはずだ。得体のしれない「婚約破棄」の影響によって、悪い方向へと事が進まなければよいのだが……
晩夏・三日月の日
我が国では今、「恋愛小説」なる書物が流行となっている。その多くは異性間の結婚のプロセスを描いた小説だ。既存の英雄譚や神話、あるいは軍記などのものと違い、物語性に欠ける文章がつづられている。えてして物語に起伏は薄く、流行の理由は私にはわからない。
だが問題なのは、そのつまらなさではない。題材に、きわめて反秩序的な表現が散見されることだ。例えば「恋愛小説」では、身分差のある恋愛や、最近の婚約破棄などを題材とし、それらを肯定するような記述がなされている。人間の意志を主体とした婚約――傾倒者は「自由恋愛」と呼んでいるらしいものを、「恋愛小説」は推奨している。
賢い者ならば、これらの問題にすぐに気づけることだろう。「恋愛小説」は、神への反逆などという形而上的なものだけではなく、この国における倫理的安定さえも直に揺るがしかねない、有害な図書だ。少なくとも私はそう確信している。
私は本が好きだ。軍事的なもの、政治的なもの、その思想や技術や過去について、書物は常に語りうるものだ。書物はまさに人間の歴史の証明であり、人間の理性の証明であると考えている。書物を焼き捨てる行為は、この世界で最も愚かなものであり、それこそが私の信念で間違いない。
しかし、最悪の事態だけは想定しなければならない。もし「恋愛小説」によりこの国が不安定化し、市民が不利益を被るのであれば、――私はためらわず焚書を行おうと思う。
いつだって大切なのは、私の信念ではなく、市民の平穏と安寧なのだ。市民を守るためならば、理性や道徳などに反することだとしても、実行しなくてはならない、それが執政官というものだ。それだけは誓って、忘れてはならない。
初秋・上弦の月の日
憂慮していた可能性が、現実のものとなってしまった。大陸西部において、戦争が始まった。つまりは、かの軍事国家と大帝国との衝突であり、理由は前に記した婚約破棄だ。西方の新大陸の発見以来、大陸の西部沿岸に位置する大帝国は、それを塞ぐように位置する軍事国家を快く思っておらず、さらにその西にある大洋の制海権を欲していた。西部地方の均衡は危うく、王家同士の婚約は平和を保つための鍵だった。だからこの結果は当然だ。彼らの愚かしい行い自体には、擁護の一つも思いつかない。彼らがどうなろうと知ったことではない。
だが、この戦乱がもたらす我が国への負の影響は、小さくはないのだ。大帝国の内陸部で生み出される食糧は、交易路を通して大陸全土で取引されている。この供給は戦争によって停止するか、あるいは少なくとも制限されるかもしれない。我が国でも食糧の価格は不安定化し、大まかに高騰すると考えられる。民衆は不満を持つだろう、民衆への救済の政策を取らねばならないが、貴族や富裕層はそれを認めるだろうか。大帝国の脅威が西の島国に向いてるうちにと、我が国の権益を削ぐものが現れる可能性を考慮すれば、貴族などの有力者の協力は必須だというのに。頭が痛い。
そういえば、私の婚約者の出自は代々外交官を務めてきた家系だ。彼女自身も理性的であり、俯瞰して状況を把握することに長けている。ぜひとも意見を聞いてみようと思い立ったのだが、近頃どうにも顔を合わせていなかった。忙しい身の上を案じてくれたのならば有り難いが、ちょうど思惑がすれ違った形となる。まあ次の機会でもいい、この件について話してみたい。
中秋・下弦の月の日
大陸南部で、聖教と聖教会本部に対する抵抗運動が盛んになっているらしい。それらは新教だとか原理教だとか呼ばれていて、真実の聖教を取り戻すのだと主張しているが、その中身はもはや神の教えとはまったくの別物である。彼らは人間性こそが至高であり、人間の意志の可能性を神が保証していると考えていて、理想の人間は万能たる者だという。かつて傲慢に陥った人間が、神から受けた裁きの意味を、彼らは忘れてしまったのだろう。彼らは婚約破棄にも当然好意的だそうで、肉欲を肯定する過激派すらいるのだ。獣性に堕ちる彼らの思想は理解したくもないが、とにかくそのような運動が広まっているのは確かである。
そういえば戦争中の大帝国の穀倉庫ともいえる内陸部でも、同様の運動は広まっているらしい。戦争による生活苦が、運動を後押しさせているのだという。それ故か、かの地域からの食糧供給は停止してしまった。まったく悪い予想ばかり当たってしまうのが恨めしい。彼らの支持する新教の思想の極北が、今現在発生している戦争であり、彼らを苦しめている元凶であるのだと思うと、彼らの行動は理解に苦しむ限りだが。
理解に苦しむといえば、最近になってやけに女性が私に話しかけてくるように思える。勤務時間外ならばいいのだが、そうでない場合も多い。それに、押しかけてくる彼女たちの私を見る目には、薄気味悪いものを感じる。心が休まらないし、執務の迷惑になるという理由以外に、単に不快でもあるのだ。
昔はこんな事はあっただろうかとも考えるが、どうも思い出せない。彼女らが悪いというよりは、私が疲れているのかもしれない。最近、肉体的にも精神的にもすり減らされるような事が多くて困ってしまう。婚約者とも未だに会えていない。全てが噛み合わず、都合の悪いように世界が回っているような気がして、憂鬱だ。
初冬・満月の日
まさか私が「婚約破棄」の当事者になるとは思いもしなかった。ひとえに私のミスだ。婚約者には、多大な迷惑をかけてしまった。
自らの過ちを忘れない目的で、ここに顛末を記しておく。
ある日の仕事終わりに、時間が空いていたので婚約者を探していると、一人の女性と出会った。近ごろ私のもとに押しかけてくる女性の一人だった。手間をかけさせるのも悪いので、それとなく婚約者の動向について尋ねただけだったのだが、その女性は婚約者との語り合いの場まで用意してもらえるという。思慮が足りなかったとしか言えないのだが、あの時の私は疲れていたため、そのような提案に乗ってしまった。
その数日後、婚約者との会うために向かった場所は、思ったよりも広い会場で、多数の貴族の面々が集っていた。私のための場ではなく、社交のために催されたパーティーであったのだろう。婚約者と二人で小さな部屋で話をしたかった私は少し驚き、要望をもっと細かく伝えるべきだったかと後悔したが、久々に婚約者と会えるなら良いと思った。
すぐに婚約者を見つけたが、彼女は普段よりも硬い表情をしていた。原因は分からなかったが、とりあえず話をしようと婚約者の元へと近づいた。
その時に唐突に、「婚約破棄」は始まってしまった。
気づけば私の元に例の女性がいた。女性は私の腕をつかみ、私の婚約者から受けたという数々の嫌がらせを非難した。婚約者はそんなことはやっていないと反論したが、その主張はかき消されてしまった。騒動を聞いて周囲に集った貴族たちが、揃って私の婚約者を非難したためだ。そうしてしばらくの後、私のもとにいる例の女性が、私の名において婚約破棄を宣言しようとしたのだ。
もちろん私は婚約破棄には反対だ。その女性の宣言を遮り、婚約破棄はしないと公言したが、それでも騒動は収まらなかった。その女性や周りの貴族たちは執拗に説明を求め、最終的には公的に事実確認をすることとなった。
婚約者は思慮深い女性であり、嫌がらせ行為を安易に行う人間でない。調査の結果、主張された婚約者の罪状は捏造であった。
婚約破棄は起こらず、例の女性は投獄され、またそれに連なった貴族にも処分が下された。最悪の結果にはならずに済んだが、婚約者には酷い迷惑をかけてしまった。
幸いにも、婚約者やその家族にはこの件を不問にしてもらえた。慈悲深い婚約者と神様の赦しに感謝しなければならない。
中冬・上弦の月の日
今日は、東の隣国の外交官と会談を行なった。大帝国と軍事国家との衝突以来、大陸にある多くの国家は、大帝国側と軍事国家側の派閥に分かれ、大陸全土で小競り合いを繰り返している。近いうちに、大戦争が勃発してもおかしくないだろう。我々の国家もまた、信頼できる友人を見つけなければならない。
その点でいえば、東の隣国とは仲良く付き合えるだろうと私は考えている。気候風土は近しく、両国では交流も活発だ。ともに豊かな国家であり、また拡張の意思もない。
私も親しい友を東の隣国に持っている。それがちょうど今回の会談で相手した外交官だった。彼は変わり者だが、信用に値する男だと考えていた。
ただ、今回の会談で、彼に少しばかりの違和感を覚えた。彼は私と会ったのち、彼の配偶者について熱く語っていた。近頃の恋愛小説のようなつまらない言葉を長々と語るさまは、彼に付随していた知性などといったものをそぎ落としたかのように愚かしく見えて、私は動揺してしまった。長年の彼との付き合いで、そのような落胆は初めて感じたものだった。
本当に彼を信用していいのか、今も不安を感じているのは間違いない。私自身、最近の情勢の変化で、猜疑心に駆られているのだろうか。
ともあれ今回の会談では、国家同士での不戦と、それを確固にするための双方での資源取引の協定を結ぶことができた。どちらにせよ、東の隣国と、その外交官である彼との付き合いは大事にするべきだ。我々と彼らは密になって連携しなければ、お互いに生き残れない。
だから、この親しい友を失ったかのような喪失感は、ひとまず無かった事にしようと思う。きっと、それが最善なのだろう。
晩冬・新月の日
最近、私の婚約者がおかしい。今まで以上に頻繁に私のもとに押しかけてきては、実のない話ばかりしていたり、私に意味のない要求を押し付けてくるのだ。その時には、決まって最近の女がよくするような気持ちの悪いあの目線を向けてくる。
正直言って、最近の婚約者の行動には辟易する。それでもこの状況を受け入れているのは、婚約破棄騒動の一件で彼女に対しての負い目があるからであり、またそれ以上に、彼女が私の配偶者として最適な能力を持っているからというのが大きい。私は、この状況に耐えるしかないのだろうか。
そして、私の母親や兄弟もまた、彼女のそういった行為を容認し、また後押ししているのではないかと疑われるような行動をとる。私の親族は、信頼に足る相手なのだろうか。親族に対して不信感を抱くような自身の醜さを厭わしく思うが、それでも悪い方へと進む考えを止められないのだ。
私は執政官で、この国をよくする義務がある。その為に生きていて、私は生きることを許されている。きっと神に赦されているのだと信じたいが、本当にそうなのだろうか、最近ふと疑問に思うのだ。私は、ここにいるのだろうか。
神を疑うような真似だけはしたくない。そこまで落ちぶれる私ではないと、自らを評価している。
初春・満月の日
民衆の大規模な運動があって、この国でも新教を公式に主教として採用することになった。それに加えて、一定の手続きに則れば婚約破棄が自由に行える、そのような法を新たに制定することにもなった。どちらも、民衆の大半が支持し、貴族院ではほとんどの賛成意見と共に認められたものだ。
この国は、もう狂っている。間違いなく狂ってしまった。私は執政官で、この状況をどうにか止めなければならないのだろう。
だが本心のところ、もうどうでもいいと思ってしまっている私がいる。我々の国から聖教会の大使は撤退したから、もはや彼らから咎められることもない。唯一私の背信行為を咎められるのは神なのだろうが、神が私を咎めるとでもいうのか。どうせ神は私と共に歩んではいないのに。
静かに狂いゆくこの世界に、わざわざ正義を貫く必要などなかったのだと、ようやく気付いた。もはや私の守るべき市民ではない彼らの要求する通りに、私はただ機械的に動けばいいのだ。生きていくだけならそれで事足りる。精神の安らぎさえあればいい。私は、たとえ狂人だとしても、今ここで生きている。
私が愛していた親族も婚約者も、信頼していた友人や部下も、守ろうとした市民も、同じ顔をしただけの別の何かに代わってしまった。透き通った青い空はどこまでも異質に感じて、この国はもはや私の故郷ではないのだと実感させられる。私はこの変わってしまった世界で、何も信じないことのみを信じて生き続けようと思う。生きている限りは、私とその思想は死なないからだ。
でも、もしも。慈悲深く全てを包み込む神様が、本当に私の信仰を聞き届けているのならば、どうか助けてはいただけないだろうか。ただ、救いが欲しい、それだけなのだ。
晩夏・上弦の月の日
今日、机の引き出しを覗いたらこの日記が出てきた。完全に日記のことなんて忘れてて、もう半年近く書いてなかったな、なんて思いながら、久しぶりに日記を書いてみることにした。
といっても特に書くことなどないが。ああでも一つここで日記に書きたいことがある。むしろ大声で叫びたいことがある。私の婚約者は超かわいい。
見た目はもちろんかわいい。そして美しい。この両立は神秘だと思う。でもそれだけじゃない。仕草や声もかわいいし、それ以上に彼女の可愛さはその内面にこそある。誰にでも心優しく、それでいて賢くて、しかも気が利く。そんな彼女が、私だけに微笑むのだ。
それだけで私は幸せだ。ああもう本当に幸せだ。婚約者と巡り合い、こうして想いを交し合うことが出来る私以上に、この世界に幸せ者がいるだろうか。このあふれ出る感情を友人に伝えたら気持ち悪いといわれた。酷い。
ここに書くにはあまりにも紙面が足りなすぎるから、これ以上は書かないが、日記に少しずつそんな事を書いていくのもいいかもしれない。我ながらとてもいいアイデアだ。
うん。あとはまあ、せっかく日記を見つけたのだし、半年前の自分がどんな事を考えていたんだろうと読み返してみた感想でも書こう。暗くて重くて鬱陶しい、というのが正直な感想だ。そんなに悩んでたような記憶はないのだが、そもそも半年前の記憶自体に霞がかかってる感じがする。でもまあ下らないことで悩んでるものだと思う。婚約者はこんなにかわいくて、私はこんなに幸せなのだ。もし出来るならば、半年前の自分にエールでも送りたいくらいだ。幸せに気付くということは大切なのだ、そんな言葉を今思いついた。
とまあ、とりあえず今日はこのくらいにしておこう。そろそろ婚約者と会う時間なのだ。今後、気が向いたらこの日記を書いていこうか。