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4-1

 

 壁一面にしつらえられた本棚を前にダイアンは背伸びをする。

 夕暮れ近く、室内にはうっすらとした闇が迫ってきている。

「ん~、あと少しなんだけどな」

 爪先立ちになり思い切り手を伸ばし指まで伸ばしてみるがあと少しと言うところで目的の本まで届かない。

 本当は専用のはしごを持って来てかければ手っ取り早いのはわかっていた。

 だけどその時間がもどかしい。

 今夜は皇妃と晩餐の約束をしている。

 時間までに戻って身支度をしないとまたぶつなられる。

 それだけで済めばいいが、皇妃の機嫌が明らかに傾くと回りに迷惑が掛かる。

 

 呟いた途端横からぬっと差し出された手が目的の本を書棚からすっと抜き取る。

「これでよかった? 」

 驚いて睫をしばたかせているとすぐ側に砂色の髪がある。

「ディランガルド・サーガ? 」

 手にした本のタイトルを目にザイードが首を傾げた。

「ディアヌには必要ないだろう? 完全に頭に入っているんじゃないのかい」

 言いながら本を手渡してくれる。

「ありがとう、ザイード殿下」

 差し出された書物を手にダイアンは頭を下げる。

「何時の間に、小さな月女神様は僕を殿下なんて呼ぶようになったんだい? 」

 それがさも面白くないといった様子で顔をしかめた。

「だって、おかしいでしょ? 

 殿下とは血が繋がっているわけじゃないし、何時までもお兄様って言うのは」

 確かこの男が国外へ向かうまで、ダイアンはこの兄弟をそう呼んでいた。

 だけどそれが何時までも通用しないのは当のダイアンが一番よくわかっていた。

「それじゃ、殿下はいいよ。様もなし。

 なんかディアヌにそう呼ばれると他人みたいだ」

 男は少し淋しそうな笑みをこぼす。

 

 もともと他人だ。

 血のつながりなど全くない。

 おまけに使用人とその主人の息子と言う主従関係つき。

 近くに居ながらこれ以上ないと思える程に遠い間柄のはずなのに、そう言ってくれる。

 ただ小さい頃一緒に育ったというだけなのに、ここまで気を使ってもらうのはなんだか気が引けた。

 

「それで、どうしてサーガ? 」

 ダイアンの手にした本をもう一度覗き込みながらザイードが訊いてくる。

「ん、自国とここの言葉以外でも吟じられるようになりたいから」

 大国シガの書庫に収めされた書物は近隣の国から様々なものが集められ膨大な数になる。

 もちろん綴られている言語も様々だ。

 ダイアンは胸に抱えた書物の表紙をすっと掌で撫でた。

 表紙に記された文字はシガで標準に使われているものではない。

「ダイアンには必要ないだろう? 」

 男はその長い指を有した手で、ダイアンの手元からその本を取り上げた。

「どうしてそうなるのよ? 」

 思わずむっとしてダイアンは声を荒げながら男の持つ本に手を伸ばす。

「ここに居る分には他国の言葉なんて必要ないだろう? 」

「それは…… そうなんだけど…… 」

 ダイアンは口篭もる。

 

 何故それが必要なのか、訊かれても答えることはできない。

 だけどそれが必要になる時がいずれ来るとなんとなくわかっていた。

 

「勉強熱心もいいけど、母上には知られないようにしないとね。

 またヒステリーを起こされても敵わないし、ディアヌが原因じゃ誰もなだめてくれる者がいなくなる」

 言いながらザイードはダイアンの手にその書物を戻した。

「ありがとう」

 ダイアンは手に戻ってきた書物を胸に男の顔を見上げる。

「侍従が探していたよ、着替えをしなければいけないディアヌが見えないって。

 今夜母上と晩餐なんだって? 

 早く行ったほうがいい」

「うん、じゃ。また…… 」

 ダイアンはその言葉に終われるように書庫を出ようと足を向けた。

 

「 ? 」

 ふいに誰かに呼ばれたような気がしてダイアンは足を止める。

「ザイード、今呼んだ? 」

 振り返るとまだその場に立っている男に訊く。

「いや? 」

「おっかしいな、今誰かに呼ばれたような…… 」

 視線を泳がせてみるが側には男のほかに誰も居ない。

「……気のせい、だよね」

 時間がないことも手伝い、本を抱えたままもう一度出口へ向かう。

「…… 」

 やっぱり、誰かが引き止める。

 どこからか視線まで伴って。

 

 ダイアンはその声の方向を見渡した。

 だだっ広い何層もの吹き抜けの円形の建物。

 壁には一面に本棚がしつらえられぎっしりと本が詰められている。

 床のスペースにも背丈より高い本棚が並べられ、やっぱり隙間なく本が詰っていた。

 その一角に本の姿のない場所を見出す。

 奥まった壁の一部の本棚が切り取られ、空いて剥き出しになった壁面に小さな扉がついていた。

「なに、あれ? 」

 それを見つめてポツリと言う。

「あれ? 」

 視線を受けてゾイドが言った。

「書物管理長官が言うには単なる飾りだってさ。

 昔まだこの建物ができたばかりで蔵書の数が少なかった頃、壁面は本で埋まっていなかったから、ああした装飾もされていたみたいだ。

 場所や大きさからしても単なる装飾だよ。開けることもできないって長官は言ってた」

「そう、なんだ…… 」

 言いながらダイアンは首を傾げる。

 声も視線も明らかにその扉の向こう側からしたような気がした。

 

 書庫にはここに引き取られたときから出入りしている。

 だけど、あんな扉があるなんて今まで全く気がつかなかった。

 

 

「ディアヌ様! 」

 扉を見つめていると、今度ははっきりとした声が耳に飛びこんでくる。

 怒りと戸惑いを含んだ声は、聞き知った侍従の声だ。

「こんな所にいらしたのですか? 」

 さも忙しいというように大またで歩み寄りながら言う。

「今日は遅刻はできませんからくれぐれもお時間には気をつけてくださいと、あれほど申しておりましたのに」

 息つく暇もなくまくし立てられる。

「ごめんなさい! 

 その…… 忘れていたわけじゃないのよ」

 肩を竦め躯を小さくして僅かに頭を上げ侍従の顔を見上げてダイアンは呟くように言った。

「忘れたでは済ませられませんよ。

 早くお部屋に戻って、お支度を整えてください」

 いうと侍従はダイアンの腕を取り強引にでも連れてゆこうとするように歩き出す。

「ちょっと、自分で歩けるからっ…… 

 そのほうが絶対効率がいいって」

「これは、失礼…… 」

 掴まれた腕の痛さにうめき声をあげると侍従の手が離れる。

「じゃ、先に行くね」

 ダイアンは侍従を残して走り出した。

 

 部屋に戻ると小間使いの女がいつものこととばかりに着替えを整えて待っていた。

「手早くお願いしますよ」

 後を追ってきた侍従の言葉に、傍らに控えていた女が動く。

 手馴れた様子でほとんど動く意志のないダイアンを着替えさせてしまう。

「全く、なんだってこういつもいつも…… 」

 ぶつぶつ言いながら侍従は先に立って廊下を急いだ。

 侍従はなんだかいつも以上に気が立っているようだ。

 

 正直皇妃との食事は苦痛だ。

 窮屈すぎてどんなに豪華な料理でも食べた気がしない。

 オマケにマナーまで駄目だしされるから窮屈以外の何者でもない。

 

 内心でため息をつきながらダイニングに入ると、侍従がぶつなっていた原因が飲み込めた。

 食卓にはいつもなら居ない人物が座り一足先に杯を傾けている。

 大きな体格に黒い頭髪に僅かに白いものが混じりだした中年の男。

 皇妃の夫、このシガ帝国の皇帝アブデュルハミト・スレイマン以外の何者でもない。

 

「ディアーヌ。待っていましたよ。

 一曲詠いなさいな」

 皇帝と同じくすでに杯を口にしていた皇妃に言われダイアンは持ってきた竪琴の弦に指を掛けた。

 

 曲目は伺いを立てるまでもない、皇帝が好むこの国の英雄憚だ。

 

 ダイアンの声が室内に広がると同時に給仕をしていた侍従までもが動きを止める。

 そんな中でダイアンの琴の音色に、男が杯を傾け酒が喉を通る音だけがかすかにそれに重なる。

 たまに居るのだ。

 ダイアンの「呪歌」の能力にあまり左右されない特異体質の人間が。

 男は完璧にそうとは言い切れないが、若干その気があるらしく演奏が始まっても他の人間のように動きを止めることはない。

 やりにくくないといえば嘘になるが、男がダイアンの演奏を中断したことは今まで一度もなかった。

 

「良かったぞ。

 また腕を上げたな」

 演奏が終わると男はいかにも満足だと言った風な笑みを向けてくれる。

 その笑みにダイアンだけではなく居並ぶ侍従たちもほっとした表情になる。

「褒美を取らそう。

 何がいい? 

 余の嫁になるか? 」

 誰に気兼ねすることなくくつろいだ環境ですでに少し酒を過ごしたのか完全に出来上がっていると思われる男は、回らなくなりつつある舌で言う。

 しかしその瞳が艶めいて光るのをその場にいた誰もが見逃さなかった。

 

「陛下、駄目でしてよ」

 それを目に皇妃はぴしゃりとその言葉を遮った。

「ディアーヌはわたくしの大切な娘ですの。

 あなた、ご自分の娘に手を出すなんてなんて獣のような野蛮なことお考えですの? 」

 お互いが半ば本気で半ば冗談の言葉。

 

 三人の皇子は持ったが娘に恵まれなかった皇妃はダイアンを本当の娘のように可愛がってくれた。

 

 だが、ここでのダイアンの扱いは至極中途半端なものだった。

 皇女でもなくかと言って侍女でもない。

 

 せめて皇帝の手でもついて赤子でも産めば、もう少しはっきりとした立ち位置につけるのだろうが。

 しかし、そんなことを皇妃が許すわけもなく、ダイアン自身も望んではいない。第一まだそんな年齢ではない。

 

「さ、ディアーヌもこちらにいらっしゃい。

 酔っ払いは放っておいて、一緒に食べてしまいましょう」

 皇妃が手招きした。

 

 


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