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3-1

 

「つ、つかれたぁ…… 」

 部屋に戻るとダイアンはうめくように呟いて寝台の上に突っ伏した。

 

 一度傾き始めた皇妃の機嫌は苦労して直しても場合によってはその日一日簡単に転ぶ。

 どんなことで臍を曲げられるともわからないから皆がぴりぴりする。

 その空気ですらうまくないと、可能な限り皆して皇妃の周りから遠ざかろうとする。

 結果…… 

 ダイアンの仕事が増える。

 

 とはいっても皇妃はダイアンが小間使いのような仕事に手を出すのをこれまた嫌がるから、もっぱら皇妃と距離を取った侍従達への託がおもな仕事となる。

 手慰みに琴を爪弾きながら何時怒り出すともわからない皇妃の隣に終日控えているのはそれだけで神経をすり減らす大仕事だ。

 

 ようやく皇妃に寝台に入ってもらい、その寝息を確認し自室に戻ってきたのは夜半過ぎだった。

 

「お疲れ様でした。

 注文していた琴の弦が届いていますよ」

 ねぎらいながら部屋付きの小間使いが小さな包みを差し出した。

「ありがと」

 首を傾げながらダイアンはそれを受け取る。

 琴の弦なら先日交換したばかりで取り寄せた覚えはない。

 

 包みをひらくとひと巻きの白い弦が収まっている。

 それをそっと膝の上に降ろしダイアンは包みのほうに視線を走らせた。

 

 真っ白な紙の裏には稚拙な文字で二・三行の簡素な文章が綴られている。

 

 天涯孤独に近いダイアンに手紙をくれる人間など所詮ない。

 筈なので外からの手紙がくるのは怪しまれる。

 なので城下に出た際、頼んでおいた事柄の報告はこうして荷物の包み紙にしたためてくれるように頼んでおいた。

 琴の弦なら何時ダイアンの手元に来ても誰も怪しまない。

 

 

- オ、タズネノ オトコ ホンジツ ミセ クル。

 シバラク タイザイ イッタ。 -

 

 

 それを目にダイアンは手にしていた紙を握り締める。

「どうかしました? 」

 手荒な動作に驚いたように侍女が首を傾げた。

「え…… 

 あのね。

 この弦いつものと違うみたいなのよね? 」

 ダイアンは顔をあげると慌てて言い繕う。

 

「交換してくれるように使いを出してくれる? 」

 言いながらダイアンは先ほどの書付の下にペンを走らせると弦を包みなおした。

 

- 絶対、引き止めて。待たせておいて -

 

「なるべく早くお願い」

 言って女に紙包みを手渡した。

「わかりました」

 女が返事をして紙包みを手に部屋を出てゆく。

 

「逃がさないわよ、クソオヤジ…… 」

 恨みを込めてそっと呟く。

 

 皇妃どころか侍従が聞いていても卒倒しそうな言葉遣いだが、誰もいないしこの際構わない。

 積年の恨みはこの程度の言葉で晴れるものではない。

 

 そう思った途端、窓の外に人の気配がし、ダイアンは躯を竦ませた。

 

「誰? 」

 呼びかけてみると影が怯えたように動く。

 

「あの…… 」

 消え入りそうなほどのかすかな声が返ってくる。

 同時に小さな人影が目の前に滑り出す。

 今朝方詞を吟じた内大臣の末娘だ。

 

 一見黒く見える髪が月の光に砂色に透ける。

 華やかでそれでいてはかなげで、いかにもお姫様にふさわしい風貌の少女は、怯えきった瞳をダイアンに向けた。

 

 その怯え方は尋常ではない。

 もしかして、今の言葉聞かれた? 

 それでこれでもかって程怯えてる? 

 今の言葉は、いくら何でも、こういった生粋のお姫様には刺激が強すぎたかも知れない。

 

 まずいことを聞かれた…… 

 ダイアンは思わず顔をしかめた。

 

「あの、ごめんなさい。

 今朝は助けてくれてありがとう」

 少女は勇気を振り絞るように言って、一つ頭を下げる。

 

「ううん、こっちこそごめんね。

 あの時のタイミングだと『レナ・ヴェリス』駄目だって言えなくて。

 本当はね、皆知ってたんだ。

 皇妃様が殊のほか嫌いだって。

 だけど皇妃様には詞のお好みが特別にないことになっていたから。

 皇妃様から要望がない限りあの場所で『レナ・ヴェリス』は詠えないってのが暗黙の了解みたいになってて…… 」

 ダイアンは息を吐く。

 どうやらさっきの独り言は聞かれていないようだ。

 

「皇妃様には食べ物のお好みとか、一応公にしない嫌いなものがいくつかあるから、慣れるまで様子を見ていたほうが無難よ。

『嫌い』じゃないけど『気に入らない』物は沢山あるから」

 

「しゃしゃりでるな」とやんわりと釘を刺す。

 とにかく機嫌を損ねたら仕事が増えるのだ。

 

「なんですか? それ? 」

 少女が興味深そうに目を見開いた。

「ん~ 一種の言葉遊びかな? 

『大好き』って言ったら『好き』って意味で、『好き』は『まぁまぁ』って意味。

 そんな具合にね、言葉の意味を一つずつ悪いほうにずらすのと本音になるの」

 見栄というか虚勢と言うか、とにかくややこしい話ではあるが。

 うかつに皇妃の言葉を鵜呑みにするととんでもないことになる。

 ダイアン自身も長年の付き合いでようやく習得した。

「慣れるまで大変だけど、がんばってね」

 呆れた顔を隠さずにダイアンは少女に笑いかけた。

 

「また、何かあったらご指導お願いしていいですか? 」

 その言葉に頷いたダイアンを背に、少女は肩を落として戻ってゆく。

 その背中を見送っていると、暫く先で待っていた大柄の影がそっと近寄り少女の肩をかばうように抱いて並んで歩き出す。

 吹き上がる風に男の砂色の髪が舞い上がった。

 あれは、ザイードだ…… 

 ダイアンはそっと息を漏らす。

 

 どこで知り合ったのかは知らないが二人はそういう関係だったのかと、なんとなく察する。

 それでザイードの帰国にあわせて少女は宮殿に上がったわけだ。

 

「……なんて言ってる場合じゃないんだ」

 ふいに思い立ってダイアンは寝台に戻る。

「本当は今からでも行きたいところなんだけど…… 」

 寝台の端に腰掛けてダイアンは顔をしかめた。

 

 いくら何でも遅すぎる。

 それに今日の様子だと、途中で目覚めた皇妃がまた機嫌を損ねない保証はない。

「弱ったな…… 」

 窓から差し込む光を投げかける月の位置を見上げてダイアンは呟いた。

 

 


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