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2-1

 

「ね、あの子よ」

「なぁに、まだ子供じゃないの」

「それも見て、みっともないこと。皇妃様のお気に入りだって言うからよほどの美姫かと思えば、ただのやせっぽちのちんちくりんじゃないの」

「皇妃様もどこが良くってこんな子供…… 」

 夕日が落ち月光が差し込む廊下に沿って作られた部屋の壁の隙間から、聞こえよがし耳に入って来る女達の声。

 それをまるで耳に入らないと行った風に取り澄ました顔でダイアンはそこを通りすぎた。

 

 いつものこと、女達の嫌味も嫌がらせもすっかり慣れてしまった。

 

「ふん。あんた達とはキャリアが違うのよ。

 七年もここにいたら年齢はあんた達より下でも古参なんだから」

 

 つぶやくと足早に部屋へと向かう。

 

 王宮の一角にある部屋には、すでに明かりがともされていた。

 そう広くはなかったが、一侍女の分際で私室が与えられているのは破格の待遇だった。女達のやっかみも全てここから生じていることは間違いない。

 

「……たっく、やってられないわよ」

 部屋に入るなり、廊下の向こうに聞こえるように乱暴にそう叫んだ。

 肩に羽織った上着を滑り落とす。

 

 待っていたように自分付きの小間使いの女がそれを受け取った。

 

 シガ帝国、並ぶものなき大帝国の王宮の奥向き。

 皇帝の妻である皇妃の住まいには、行儀見習として数多くの少女達が侍女として上がっていた。

 あくまでも、侍女とは名ばかりで行儀見習にきている少女も多い。

 中には大臣の末娘とか隣国の外腹の王女なんてのもいる。

 その中で唯一ダイアンは個室を貰い、オマケに身の回りの世話をする小間使いまでつけてもらっている。

 それも侍女といったって、皇妃の側に侍るだけで琴を爪弾く指が荒れるからと全く所用を免除されていた。

 どこの馬の骨とも全く知れないただの吟遊詩人の男の娘がだ。

 

 やっかまれても仕方がない。

 

 ダイアンはため息をこぼす。

 

「浴場行ってくるね」

 今日は特別風が強かった。

 何もしないでただ座っているだけで皮膚や髪がざらざらしている。

 流してこないことには気持ち悪くてベッドには入れない。

 

「ディアヌ様! 」

 侍女に言い置いて部屋を出ようとしたところに王妃付きの侍従が血相を変えて飛び込んできた。

 

「そら、きた! 」

 呟くと、ダイアンは先ほど肩から落とした上着を羽織りなおし、傍らにあった竪琴を手に取る。

 

「今度は何? 

 頭痛? 

 それとも…… 」

 侍従に伴われて廊下を急ぎながらダイアンは訊く。

「犬が…… 」

「犬? 」

 ダイアンは首を傾げる。

「犬って先日隣国のそのお隣から献上されたっていうあの狆とかっていう? 」

「はい、それが皇妃様の下ろしたてのヴェールに…… 

 その、阻喪を…… 」

 

 ……勘弁してよぉ。

 

 ダイアンは頭が痛くなる思いで心の中で呟く。

 

 どうして犬の失態までこっちが尻拭いしなければいけないんだろう。

 

 口に出しては言えないけど、ぶつなりたい思いだ。

 

 先ほど皇妃の私室から下がってくる時にはあれほど気配を露にし、聞こえよがしに言いたい放題言っていた人の声が同じ廊下だと言うのに全くしなかった。

 むしろ息を殺して狸寝入りを決め込んでいる。

 誰一人、気分を害した皇妃をとりなすとは言い出さない。

 

 むしろ厄介事はこいつに押し付けるに限るといわんばかりだ。

 

「お休みの直前に申し訳ありません。

 ですがこういう場合ディアヌ様でないと…… 」

「わかってる」

 ダイアンはため息混じりに応えた。

 

 十歳の時にここに売られて以来はや七年。

 些細なことで悪くなる皇妃の機嫌の取り方は心得たものだ。

 正直誰に何を言われても動じないでいられるのはここに根拠がある。

 つい先日行儀見習に上がった少女達には到底無理な芸当で、それが今のダイアンのこの待遇を維持させていた。

 

「やれるもんならやってみろ」

 とばかりに胸を張っていられた。

 

 もちろんお嬢様育ちの少女達にそんなことができるわけもなく、こういう騒ぎが勃発するたびに、厄介事はダイアンのところに押し付けられた。

 

 灯りの燈された廊下を急ぐと、見慣れない顔の少女とすれ違う。

 同じ年ほどの少女の見事な黒髪が、すれ違い様燈された明かりに砂色に透けた。

「誰? 新顔さん? 」

 足を止めずに侍従に訊いてみる。

「ああ、内大臣の末姫様だそうですよ。

 お名前は確かシャフィア様とか。

 どうかしましたか? 」

 別段珍しいことではないと言うように侍従は言う。

「髪の色が違ったから…… 」

 

 ここのような交易都市には様々な人種が集まる。

 そのため混血も多い。

 むしろダイアンのような生粋の異国人の方が珍しいくらいだ。

 

 

「皇妃様…… 」

 そっとドアを叩くと室内へとダイアンは躯を滑り込ませた。

 皇妃の部屋はこれでもかとばかりに蝋燭が無数に焚かれ本でも楽に読めるかのように明るい。

 並べられたあちこちの国から献上された異国の壷や調度を赤々と照らし出している。

 これだけ明るければ寝ろといわれても無理だ。

 皇妃の機嫌の悪さの半分はここから生じている。

 

「ああ、おまえなの? 

 ディアーヌ」

 薄絹の帳を下ろしたベッドの上から声がする。

 

「ディアーヌ」

 ダイアンの名を皇妃は響きが気に入らないからとこう呼ぶ。

 異国の月女神の名だ。

「ダイアン」も少女の産まれた国の言葉で月女神を意味するからどっちも一緒だと言われた。

 だけど、ダイアンは「ダイアン」だ。

 父に貰った名はこれ一つと、幼いダイアンは譲らなかった。

 結果、板ばさみに合った侍従長をはじめとする使用人は間を取って「ディアヌ」と呼ぶという、妙なことになった。

 

「お休みになれないと伺いましたので…… 」

 言いながらダイアンは手近にあった蝋燭を数本吹き消した。

 ベッドの脇に遠慮なく座り琴の弦に指を掛ける。

 詩はなく、ただ琴だけをゆったりとかき鳴らした。

 

 こういう時の皇妃に事情を聞くのは逆効果だ。

 却って気を高ぶらせて興奮させ、余計に怒らせてしまう。

 よもやそれを子供相手のようにしかりつけるわけにも行かない。

 だから何も知らぬことにして、枕もとで気を落ち着かせる曲をただかき鳴らす。

 暫くすると帳の向こうからかすかな寝息が聞こえていた。

 ダイアンは部屋の入り口で待機していた侍従に合図を送る。

 

 侍従はできるだけ足音を忍ばせ部屋の中へ滑り込むと一つ、また一つと蝋燭を消していった。

 

 程なく室内は闇に包まれた。

 

 先ほどより深くなった寝息を確認してダイアンは立ち上がる。

 

 足音を忍ばせて部屋を出ると入り口で控えていた侍従が言葉なく頭を下げた。

 ダイアンはそれに応えるように軽く頷くと部屋に戻る。

 

 すでに休んでしまったのか姿の見えない小間使いを起さないようにそっと竪琴を置き、上着を脱ぐ。

 

「こんな時間まで皇妃のお守りか? 」

 闇の中、部屋の片隅から男の声が響いた。

 その声にダイアンは顔をあげる。

 部屋の片隅の暗闇がゆらりと動いた。

 

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