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8-3

 

 事はすぐに奥向き中に広がった。

 思うとおりに事が運んで上機嫌の皇妃が言い広めたのだから無理はない。

 恐らく今頃表でもその話で持ちきりだ。

 

 竪琴を片手に皇妃の部屋に向かうダイアンに、これまで毎回聞こえよがしの嫌味を言っていた侍女達も今日は口を噤む。

 

 重い気持ちで廊下を歩いていると、庭の片隅から人の話し声が聞こえてきた。

 

 

「……どうして? 」

 甘えたような泪声はシャフィヤだろう。

「……ごめん」

 それに重なるザイードの声。

「どうして、そうなるの? 」

 足を止めると視界に二人の姿が飛び込んでくる。

 

 少女は泪を浮かべた目でザイードの顔を見上げた。

「……ごめん。

 ディアヌはさ、『生きている普通の人間』以前に国の至宝なんだよ」

 どこか苦しそうなザイードの声。

「『呪詩詠い』なんて抱えている国、世界中探してもこの国だけなんだよ。

 一度手放したらどんなに金貨を積んでも二度と手に入らないって、陛下も母上もわかっているんだ」

 そっと手を伸ばし、少女の頬をつたう泪を拭ってやりながらザイードは続ける。

「だけど、ディアヌが若い未婚の女性である以上、どこかの国にこの国の皇女の待遇で正妃として望まれれば、国の権威の都合上輿入れさせないわけには行かない。

 そしたらあの力をどんなことに使われるとも限らないんだ。

 例えば戦とか…… 」

「先日、セートネガンの大使を三日も眠らせたって言うあの? 

 なんだか気味の悪い力よね」

 さもそれが嫌だとでもいいたそうに少女は眉を寄せた。

「呪詩謡いを手に入れた途端に戦況がひっくり返る事だってありうるからね。 

 お二人の陛下はそれを恐れているんだ」

「だからって、気の乗らないあなたと結婚させようだなんて、おまけに正妃に据えようだなんて無茶苦茶だわ! 」

 怒りを含んだ声で少女が叫ぶ。

「あんな、何処の馬の骨とも知れない娘…… 」

 さも悔しいというように顔を顰めた。

「そうかい? 

 僕はねディアヌでよかったと思っているよ」

 ふとザイードの顔に笑みが浮かんだ。

「大丈夫。

 ディアヌなら、僕達のことをわかってくれているから。

 妙なことも言い出さないし、強硬手段に出ることもない。

 君はずっと僕の側に居られる…… 」

 男は少女の肩に手を伸ばしいとおしそうに抱きしめると、熱っぽく唇を合わせる。

 

 その様子を目に、ダイアンは足音を忍ばせその場を後にする。

 

 

 ザイードは皇妃の三人の皇子のうちでも一番思慮深くて優しいと思っていたけど、実際はそうではないのかも知れない。

 もっと狡猾で…… 

 

 恐らくはダイアンを表向き正妃に据えてのちも、側にあの少女を置くつもりなんだろう。

 妃の気持ちが夫にない以上、多少大っぴらなことをしてもそれをさほど咎めないだろうと予想して。

 しかも夫より明らかに産まれの身分が低くこの性格の自分なら、今の皇妃のようなことはしないことまで織り込んでだ。

 ダイアンが何も言いさえしなければ、少女は妃という身分はもらえないが、ずっとザイードの側に居られる。

 最終的に妃に子がなく、そっちに子があった場合にはとって替わるのも簡単といったところだろう。

 

 なんだか、背中に悪寒が走った。

 

 

◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆

 

「ディアヌ様、また贈り物が届いていますよ」

 言いながら侍女が一抱えはあろうかという包みを運びこむ。

「またぁ? 」

 ダイアンは返事をしたものの、それに視線を動かすこともなく面倒そうに呟く。

「今度はなんでしょうね? 」

「さぁ? 気に入ったのならあげるわよ」

 興味を隠し切れずに訊いてくる侍女にダイアンは言う。 

「また、そんな…… 

 中身を確認して皇妃様にお礼を申し上げないと」

 侍女は困惑気味に眉を寄せた。

 

 あの日以来上機嫌な皇妃からは、『嫁入り支度』と称して様々なものが届けられた。

 

 家具調度に衣服、宝飾品。

 それも皇妃が揃えるものなのだから、質も量も半端ではない。

 たちまち部屋には高価で華やかできらびやかなもので溢れ返った。


 きらめく宝石、異国渡りの香木に服地。陶磁器。

 この交易都市を通り抜けるありとあらゆるものが集まってくるみたいだ。

 

 それらを目にダイアンは気が重くなるばかりだ。

 

「ちょっと行ってくるね」

 ためいきをつきながらダイアンは重い腰を上げる。

 

 

「皇妃様! 」

 声をあげて皇妃の私室に乗り込む。

「あら、ディアーヌ? 

 どうかして? 」

 呼んだ憶えのないダイアンの姿に睫をしばたかせながら訊いてくる。

「あの、その…… 

 贈り物の件なんですけど」

「ああ、今度は何が届いたのかしら? 」

 皇妃は頭を軽く傾げる。

 発注したものがあまりに多くて、すでに自分では把握してないと行った様子だ。

 

「その、お気持ちはありがたいんですけど、そこまでしてもらわなくても…… 

 どうせ他家に嫁ぐわけではないのですから、今までどおりここで暮らすのなら、このままで全く支障はないので…… 」

「何を言っているの、母親が娘の嫁入り支度を整えるのはあたりまえよ。

 それに、あなたは妃になるのですからね。

 それが今までどおり侍女と同じと言うわけにはいきませんよ。

 お部屋は今、表に近いお庭に面した場所を整えていますからね」

 やんわりと満足そうに微笑む。

 

 ……だめだ、こりゃ。

 

 諦めて自室に戻る。

 今の皇妃には何を言っても無駄だろう。

「花嫁の母」に完全に酔っている。

 

 周囲に聞こえるほどの大きなため息を漏らしながら歩き、部屋に戻ると見慣れぬ人影がある。

 侍女よりははるかに背の高い影にダイアンは戸惑った。

「ザイード? 

 何か用? 」

 部屋の主を待ち手持ち無沙汰に窓から広がる光景に視線を泳がせている背中にダイアンは声をかける。

「花嫁さんのご機嫌を伺いにきただけ」

 ふんわりとした優しい笑みが向けられる。

 

「母上の所に直訴に行ってたんだって? 」

 男は向き直るとダイアンの顔を覗き込んで訊いてきた。

「うん、だって…… 

 こんなに立派なお仕度、あたしには皆贅沢すぎるもん」

 ダイアンは部屋の中を見回した後、視線を俯かせた。

「まったく、何処まで欲がないんだい? 

 意に染まぬ結婚をさせられるんだから、その代償だと思って黙ってもらっておけばいいんだよ」

 言い聞かせるようにザイードは言う。

「でも…… 」

「それと…… 、

 そのいかにも気がすすまないって顔やめてくれるかな? 」

 やんわりと言う。

「僕の花嫁さんにはさ、幸せな顔をしていてもらいたいんだよね」

「そんなの、できるわけないじゃない」

 ダイアンは目の前の男の顔を睨みつける。

 先日ザイードが少女に言っていた言葉が思い出された。

「だいたい、その呼び方もやめてくれる? その気もないくせに」

 勢いで叫ぶように言う。

「ああ、聞いてたんだ」

「……ごめんなさい。

 聞くつもりはなかったのよ、だけどあんな人目のつくところで堂々とやられたら…… 」

 戸惑いながらダイアンは謝る。

「別にいいよ。

 本当のことだし。

 ああでも言わないとシャフィヤは納得しないしさ。

 あいつディアヌ以上に気が強いから…… 」

 男は諦めたように言って笑みを浮かべる。

「でも、ディアヌが大切な妹であることには変わりないし。

 他国の男に盗られるのはちょっと、ね。

 心配しないでいいよ。

 ほとぼりが冷めたら、君の思う人に添わせてあげる。

 例えば、兄上とか…… 」

 その言葉にダイアンの鼓動が跳ねた。

「どうして、そこでセリムが出てくるのよ? 」

「違った? 」

 男は戸惑うダイアンに柔らかな笑みを向ける。

「隠さなくてもいいよ、わかってるから。

 ま、あんまり期待はして欲しくないけどね」

 

 

 

 

◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆

 

 立ち去る男の背中を見送りダイアンはそっと息をつく。

 壁に立てかけてあったリリューレがことりと音を立てた。

 そっと近寄ってダイアンはその琴を手にすると弦に指をかける。

 

 そういえばここのところ皇妃が上機嫌で、自分はやることが多すぎて暫く琴を爪弾いていない。

 

 弦を弾くと懐かしい音色が響く。

 今日のリリューレは、昔父が爪弾いていたのと同じ音色を響かせた。

 

 その一音に引き出されるようにして自然とダイアンの指は動き懐かしいメロディーを奏で出す。

 

 自分で爪弾きながらその音色に切なさで胸が締め付けられる。

 

 何故だろう?

 この琴を手に入れてからなんだか無性に恋しくなる。

 帰りたくてももう二度と帰れない、待っている人もいない。あの国が。

 ずっと諦めて、忘れようと心の中にしまっていたあの感情が。

 

 苔むした緑のあの湿気た国がありありと目の前に浮かび、いてもたっても居られなくなる。

 

 まるで戻って来いと、琴が詠っているようだ。

 

 ダイアンはそっと息を吐くと手を止めた。

 

 


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