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8-2

 

 人の気配にダイアンは目を開いた。

 窓の外から差し込む光はまだほんのりとぼやけている。

「ん、ジーダ。もうちょっと…… 」

 ダイアンは肩から半分こぼれた毛布を引きなおすとそれに顔を埋める。

 何故か、昨夜焚き込めたのとは違う香が鼻をくすぐった。

 

 普段ならここでぶつなりながら侍女がカーテンを開ける。

 ところが今朝に限ってその呆れた声がない。

 替わりにベッドの脇が人の重みでたわんだ感じがした。

 

「……! 」

 その違和感に目を開けると同時にダイアンは飛び起きた。

 見たことのある顔の男がベッドの端に腰掛け、上半身を傾けて枕に預けてあるダイアンの顔を至近距離から覗き込んでいる。

「ザ、ザ、ザ、ザイード…… 

 どうしてここにっ」

 驚きすぎて声がもつれる。

 引き寄せたまま握り締めていた毛布で反射的に夜着一枚の躯を覆った。

「おはよう、僕の花嫁さん」

 男は悪戯盛りの男の子のような笑みを浮かべた。

「な、なに? 」

 男の言っている言葉にダイアンは目を剥く。

 ついでに息をあえがせた。

 

 何がどうなってそういう話になったのか。

 いやいやいや…… 

 その前に、単に遊ばれている? 

 それにしては趣味が悪い。

 しかもあのセリムならともかく、ザイードがこんなことするなんてこと自体が考えられない。

 

 焦れば焦るほど頭の中がぐるぐる回ってわからなくなる。

 

「なにって、プロポーズ」

「は? 

 朝っぱらから冗談は止めてよね」

 何がなんだかわからなくて、とりあえず出る言葉。

「冗談じゃ、ないんだけどな」

 焦りまくっていたダイアンの反応を楽しむように浮かんでいた男の笑みが止みふと真顔になる。

「朝一番に君にプロポーズして来いって昨夜遅く、『皇后陛下』に言われたんだよ」

 男は表情を崩さずに言う。

 

「皇妃さま、が? 」

 その顔をダイアンは見つめた。

 

 顔は真顔だけど、男がこれ以上ないほど困惑しているのは目でわかる。

 

「だからって、何故こんなに早く? 

 それにここ、あたしの寝室だよ? わかってる? 」

「だからだよ。

 僕でもさすがに、皆の前でのプロポーズは恥ずかしいからね。

 それに、花嫁にする女性の寝室に僕がいたって何の不自然もない。

 むしろ今まで何にもなくていきなりって方が不自然だろ? 」

 

「って、ザイードは、それで良いわけ? 」

 ダイアンは男を見据えると声を荒げた。

 

「ディアヌは僕とじゃ嫌、かな? 」

 ためらうように訊いてくる。

「嫌とか、そういう問題じゃ…… 

 ザイードは素敵な兄さんで、あたしのことは本当の妹だと思ってるでしょ? 

 なのに、どうしてそういう話になるわけ? 

 そりゃ、皇妃様がそんなこと言いだしたのは知ってるけど、ザイード逃げてたじゃない」

 とりあえず、この妙な体制は何とかしないと…… 

 早朝にベッドの上で一組の男女。

 侍女にでも見られたら騒ぎになる。

 ダイアンはベッドを降り手近にあったショールを羽織ると、男に向き直った。

「プロポーズする相手、間違ってない?

 あの子どうするのよ? 」

 ダイアンは首を傾げる。

 すでにこの奥向きでほとんどの人間が知っている事実。

 

 少女が一方的にザイードを追いかけているんなら、今のこの状態がわからないわけでもないけど、ザイードの方だって少女にベタ惚れだ。

 

 ……なのに、何故こうなる? 

 

「それなんだけどさ、

 ディアヌが正妃になってくれれば皆巧くいくから」

 男はベッドを降りるとダイアンに近寄ってくる。


「はぃぃい? 」

 ダイアンの声がひっくり返った。

 何処からそんな根拠のない言葉が出てくるんだろう。

 わずかに後ずさるがすぐに壁に追い詰められた。

 

「ディアヌ、これは、『皇后陛下』の命令なんだよ」

 差し出した手でそっとダイアンの頬に触れると、ザイードは諦めたような笑みを浮かべた。

 

 その言葉で何故男がこんなことを言い出したのか全てがわかった気がした。

「『母親』からの『お願い』」ではなく、絶対権力をもった「『皇后』からの『命令』」…… 

 ザイードにも自分にも拒否権はない。

 

 のらりくらりと皇妃の言葉を交わし、返事を曖昧にしていたザイードの態度に皇妃が痺れを切らしたのだ。

 

 他の人間なら、今すぐにでも行って文句の一つや二つ言ってやりたいところなのだが、相手が悪い。

 

 ダイアンは茫然とした。

 

「そういう訳だから、よろしくね。

 花嫁さん」

 釘を刺すようにもう一度いってザイードは立ち上がる。

 

「え、あのっ、ザイード! 」

 呼び戻そうとするけど、男は足を止めずに出て行ってしまった。

 

「おはようございます。

 どうしたんですか? 朝っぱらからそんなお顔をなさって」

 いつもの時間に侍女が顔を出すと同時に訊いてくる。

 

「……うん、ちょっとね。

 夢見が悪かったって言うのかな」

 呟くように言う。

 

 夢だったらどんなに良かったか、と言うか夢であっても悪夢のほうがまだマシだ。

 ダイアンは息をこぼした。

 

 


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