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8-1

 

 自室のベッドに腰掛けて、ダイアンは抱えていた琴の弦を軽く弾く。

 

 弱い心もとない音がかすかに広がり暮れかけた薄闇の空気を震わす。

 

「はぁ…… 

 やっちゃったぁ…… 」

 膝を抱えて虚空を見つめて呟いた。

 

 手当てをしてもらってはあったが、喉もとの切り傷が首を動かすだけでかすかに痛む。

 

 全てはあの男が悪い。

 そう言って開き直りたいところなのだが、いかんせん相手が悪かった。

 おかげで『事情がわかるまでは』と謹慎を言い渡された。

 

「まぁまぁ、灯りも点けないで…… 」

 声に振り返るといつもの侍女が食事の盆を手に立っている。

「そんなに気にする必要はありませんよ」

 傍らに持ってきた盆を置き、ランプに火を灯してくれる。

「ディアヌ様だってこんなお怪我を負わされて、『抵抗しないでいろ』なんて言うほうが無理なんですから…… 

 万が一喉を切られていたら、そのお声が、下手したら命さえ奪われていたんですからね」

 慰めるように言ってダイアンの顔を覗き込んだ。

「でも、時も場所も悪かったんだもん」

 よりによって第二皇子の婚姻の宴席でだ。

 新しい夫婦の門出にケチを付けてしまった。しかも血で汚してしまうなど。これ以上ないほどに不吉なことをしでかした。

 

 厳罰がないほうがおかしい。

 

「傷は、痛みますか? 」

「うん、少しだけ…… でも、大丈夫よ。少し刃が当たっただけだからそんなに深くはないって」

 その問いにダイアンは頷く。

「跡が残らないといいのですが」

 まるで自分のことのように顔をしかめてくれた。

 

 日が落ち少しずつ広がってゆく闇を払うように突然廊下の向こうから足早にかけてくる音がした。

「ディアヌ様! 」

 足音が止まぬうちに名を呼ばれる。

 いつも迎えに来る侍従が慌てた様子で駆け込んできた。

「どうかした? 」

 いつもと違う侍従の様子にダイアンは振り向いて顔をあげる。

「陛下が、ディアヌ様をお呼びです」

「うん。

 あたしの処分決まったんだ。

 随分早かったね」

 ため息と共に立ち上がる。

「皇妃様が、それはそれはご立腹で…… 」

 先に立ち廊下を急ぎながら侍従はいつものように呼び出しの事情をかいつまんで説明する。

「そりゃ、そうよね。

 お客様にあんな怪我させちゃ怒られないほうがおかしいっていうか」

「いえ、ディアヌ様にではございません。

 お客さまの大使の方にです。

 よりによってご自分の一番大切な娘を辱めるなど、到底許せないと酷い騒ぎで。

 皇帝陛下をはじめ侍従長や皆様でそうでお諌めしているのですが、全くお耳を貸して下さらないので…… 」

 侍従は困惑気味に眉を寄せた。

「困り果てた陛下が謹慎中でも構わぬから、ディアヌ様を呼べと」

「今のあたしが行っても、神経逆撫でするだけかもよ? 」

 

 なんとなくそんな予感がした。

 

「まぁ、ディアーヌ。

 大丈夫だった? 他には怪我はなくて? 」

 居間に入ると同時に皇妃は駆け寄ってくるとダイアンを抱きしめ、何度も睫をしばたかせる。

「怖かったでしょうね。

 こんな怪我をさせられて…… 

 傷はまだ痛んで? 」

 不安そうに泪を浮かべる。

「どうしてこんなことに…… 

 だからわたくしは最初から反対だったのです。

 この娘を表の宴に出すなど! 」

 きっと、すごい形相で夫をにらみつけると今まで聞いたことのない激しい声で怒鳴りつける。

 

 予感は的中。

 ダイアンの傷を目に吹き出した怒りを皇帝にぶつける。

 

「それが、相手は

『悪気があったわけではない、ただ酒を過ごして悪ふざけが過ぎただけで…… 』

 の、一点張りでな。

 詳しいことを話してくれぬか? 」

 皇帝はダイアンに向き直ると困り果てたような笑みを浮かべた。

 

 

◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆

 

「ディアーヌを? 」

 その言葉に皇妃は睫をしばたかせる。

 

 気を失ったセートネガンの大使は、その後三日間眠りつづけ、目が覚めると同時に帰国したと言う。

 ダイアン自身も怪我を負わされ、話の流れからどう見ても大使の方が先に手を出したことなどが証明され、お咎めはなかった。

 

 その直後、セートネガンから別の大使が派遣された。

 

 大使が持ってきた申し出を侍従から聞いた皇妃が大声をあげる。

「はい、あちらではディアヌ様をこの国の皇帝陛下の正式な皇女としての待遇で輿入れさせたいと言ってきております」

 侍従は顔色を変えずに先ほどと同じ言葉を繰り返した。

 

 変なのに気に入られちゃったかなぁ? 

 

 その言葉を皇妃の隣で聞いていたダイアンは頭を抱え込みたくなる思いだった。

 

「皇妃様、これはあまり言いたくはないのですが、セートネガンの申し出を断ったとしても、他国も同じような申し出をしてくるのは必至かと。

 アクレキアの王太后もよほど気に入っておられたようで、先日の宴で自らディアヌ様にお声を掛けておりましたし」

 侍従が苦い顔をした。

 

 その言葉を耳にダイアンの脳裏に先日の老婦人の顔が浮かぶ。

 随分上品な夫人だとは思ったけど、まさか王太后自らが他国の宴席にきているとは思わなかった。

 

「……その場合、国の力関係によってはお断りできないようなケースもあるかと…… 」

 あくまでも淡々と侍従長は言う。

「冗談じゃないわ! 」

 皇妃が声を荒げた。

「ディアーヌはわたくしの大切な娘なのよ…… 

 そんな…… 手放すなんて…… 

 陛下の娘なら他にもいるでしょう? そのための皇女ですもの」

 皇妃は明らかにうろたえ、側にいたダイアンを抱き寄せる。

 それを目に侍従は大きな息を吐く。

「確かに、他の皇女様方でしたら、第一皇女が駄目なら第二皇女と差し替えが利きますが、ディアヌさまに関してだけは無理かと…… 」

 侍従は視線を落とすと頭を下げた。

 

「心配しなくてもいいのよ。

 ディアーヌが何処にも行かなくていいように、陛下にもお願いしておくわ」

 青ざめた顔で皇妃はそう言ってくれる。

 

 正直そこまで言われてしまうと、それはそれで困惑の種になる。

 

「そうだわ! 」

 なんと答えていいのか戸惑っていると突然何かを思い立ったように皇妃は声をあげた。

「皇妃様? 」

 その顔を見上げると、よほどの名案を思いついたことに高揚しているかのように先ほどまで蒼かった顔色に赤みが刺している。

「そうよ、何故こんな簡単なことを思いつかなかったのかしら? 

 ディアーヌ、あなた結婚なさい。

 そうすればどんなに請われても他国にお嫁に行く必要なくてよ」

 

 皇妃の言葉にその場にいた全員が茫然とした。

 

 


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