7-3
宴席の設けられた広間に足を踏み入れると一斉に視線がこっちを向く。
「はぁ…… 勘弁してよね」
それを感じとり、ダイアンは息をこぼさずには居られない。
きっと事前にダイアンのことを吹聴して歩いた招待客が居るのだろう。
皇帝は隠しだまとも言えるダイアンの存在を黙っていて客が驚く顔を見るのを楽しみにしている様子が伺えるから皇帝の仕業ではない。
となると……
だいたいの予想はつく。
慣れているとはいえやりにくいのは確かだ。
上座の前に腰を下ろすと、額が床につくまで頭を下げる。
「本日は、セリム・アブデュルハミト・スレイマン殿下に置かれましてはご成婚の儀まことにおめでとうございます」
こうした席でのあたりまえの口上を口にしたあと促されて顔をあげると、いつもなら皇帝の座る場所に今日は第二皇子の姿がある。
男はいかにも気に入らないと言う風に、片肘をついて顔を背けたまま不機嫌な顔を隠そうとしなかった。
その顔を前にダイアンはそっと息をつく。
これから先のことを考えると花嫁が気の毒だ。
「例の琴はどうした? 」
そっと息をついていると、手にした琴を目にした皇帝が早速訊いてきた。
「申し訳ありません、直前になって少し調整が必要になってしまって……
何分古い琴ですので」
ダイアンは頭を下げたまま答えた。
まさか、全く音が出ないとは言えない。
「まぁ、よい。
どんな琴を手にしてもそなたの声は何時でも同じだ」
そもそもが上機嫌なこともあって華やかな笑みを浮かべると皇帝は言う。
「して、今日は何を披露してくれる? 」
早くはじめろといわんばかりに訊かれた。
「月並みですが『創生神話』を…… 」
視線を落としたまま返事を伺う。
この国を造ったとされる男神と女神が天から降り、大地からはじめて国を作りあげて行く物語は、結婚披露の祝宴では新しい夫婦のこれからの生活がこの神のようであれとの願いを込めてよく吟じられるもう一つの定番中の定番。
花嫁側の宴席で吟じたものと同じものでも良かったのだが、何故か男どもにはこっちの方が受けがいい。
皇帝は黙って頷いた。
それを受けてダイアンは琴を構え弦に指をかける。
高く深く華やかな声が、今日は一段と冴え広い室内の天井に響き渡る。
居合わせた誰もが動きを止め、空気がの色が変わる。
何処までも何処までも広がる真っ青な深い深い海と空の色に……
琴の響きより長く残ったダイアンの声が完全に消えるまで、誰一人身動きするものは居なかった。
「これでは酒が進みませんな」
暫くして皆が感嘆の息をこぼし終えた頃、客の誰かが言う。
「酒好きの人間は淋しくていけませんなぁ」
頷く皇帝の表情を受け、ダイアンはどよめきの戻りだした室内の片隅に移動する。
騒ぎの続く広間の中に花を添えるように華やかな曲をかき鳴らす。
踊り子達がその曲にあわせ優雅に衣裳やヴェールの裾を翻して舞う。
客たちの酒がすすむと城内のざわめきは更に酷くなる。
もう、そろそろ退出してもと許可を貰うため皇帝に視線を向ける。
第二皇子が侍従に促され、そっと席を立ったところだった。
いかにも面倒だといいたそうな足取りでそっと広間を後にする。
祝宴は朝までもようされるが、この辺りで新しい夫婦はお互いの宴席を抜け出し、寝室へと向かう。
そこで花婿が花嫁のヴェールをあげ晴れて正式な夫婦になるというのがこの国での婚姻のしきたりだ。
まさか皇子の跡を追うように退出するわけに行かず、ダイアンはもう一曲琴を爪弾く。
とはいえ、酒を過ごした酔っ払いばかりのこの会場で、吟詠なしのただの琴の音色に耳を傾ける人間はもはやいなかった。
「つ、疲れた…… 」
会場を後にするとぼやきながら奥へと戻る。
宴に出て吟詠を披露するのは嫌いではないが、酔っ払いの相手は正直遠慮したい。
男ばかりの会場で妻の目がなく、女が居る。
なので、容赦なく絡んでくる困った癖のある酔っ払いも居る。
とはいえ、相手は主の客人ともなればあしらうのに苦労した。
手足が泥のように重い気分で廊下を歩いていると、ふいに誰かの手が伸びて背後から羽交い絞めにされる。
驚いて足をばたつかせそれを振り払おうと試みるがむなしく、有無を言わさない力で傍らの部屋に引きずり込まれた。
漂ってくる明らかな体臭と酒の匂い、肩を押さえつける腕の感触に力。
どれをとっても間違えなく男だ。
ダイアンは目を見開く。
「いいか、騒ぐな」
声と共に冷たいものが喉元に押し当てられる。
視線を向けると細いナイフが銀色の光を放っていた。
背筋が凍りつく。
「おとなしく従ってもらえば危害は加えない、ただ暴れたら命の保証はないけどな」
酒臭い匂いと共に耳もとで吐き出される声には聞き覚えがあった。
あのセートネガンの大使だ。
脅しの言葉と共に、喉元に突きつけられたナイフが軽く肌に食い込む冷たい感触がした。
ついで浮き上がるひりひりとしたかすかな痛み。
ただの脅しじゃない、本気だ。
咄嗟にそう悟る。
そういえばこの男、先日の宴で、世界中のどの国でも喉から手が出るほどに欲する『竜使い』と自分の交換を申し出ていた。
そんなに執着されても困るんだけどな。
言ってやりたいところだが、この状態では声さえ出ない。
いや、出せることは出せるが、出したらヤバイ事になりそうな気がする。
とにかく、喉もとのこの厄介なものだけでも引き上げてもらわないと。
「おとなしく来てもらおうじゃないか」
男は羽交い絞めにした腕に力を込める。
ったく、冗談じゃないって言うの!
男の酒臭い息が掛かるだけで虫唾が走る。
同時に肌がざっと粟立つ。
……ヤダ、こんな男の側に手の届く距離になんか居たくないっ!
胸にまわる男の腕から逃れようと身を捻る。
喉に突きつけられたナイフが更に食い込み、痛みが増す。
肩から腕を抑えられているせいで手は思うように動かない、だけど足は自由だ。
ダイアンは男の足を思いっきり踏みつけた。
狙いどおりに男は小さなうめき声をあげ手にしていたナイフを取り落とす。
それを見逃さずに、肩から胸にまわる男の腕に歯を立てた。
肉を食いちぎるつもりで力を込める。
多分そのくらいしないと、この男の腕から逃げることはできないと思ったから。
「痛ってえ…… 」
案の定、男は大げさな悲鳴と共に腕を解くと、抱えていたダイアンの身体を乱暴に壁に投げつけた。
思い切りよく壁にぶち当たったことで、背中に軽い痛みを覚えながらダイアンは男を睨みつけた。
「この、アマぁ。
よりによって余に何をするっ」
そんな扱いを今まで一度も受けたことがなかったであろう男は、恨みの篭った怒りの視線をダイアンに向けた。
何とかしてここから逃げなくちゃいけないと思う。
ところが部屋の入り口は男の大きな身体がふさいでいて出てゆくことはできそうにない。
男はそれを察しているのか、少しずつ間合いを詰めてくる。
足を踏んづけたくらいでは諦めてくれないということか。
ならば……
「仕方ないかぁ。
本当はやりたくなかったんだけどね」
誰に向かってという訳ではないが言い訳のように呟くと、ダイアンは大きく息を吸う。
そしてできるだけ声を張り上げて第一声を発する。
その音に引きずられて出てくる次の音とその次の音。
音にあわせて詞が舌の上に乗る。
地獄の縁の緑沼。
そこからはいでる得体の知れないものを称えた唄。
闇よりも尚暗い、深い深いとこしえの無。
全てを無にすることを最上の喜びとする悪魔の申し子の為に作られた異端の詞。
かつてダイアンが師匠の下にいたとき一度だけしか口にしたことのない禁忌の詞。
その音を耳に目の前の男は顔を蒼白にしてがたがたと震えだす。
あらぬ虚空をぽっかりと空いた目で見つめながら、そこから逃げ出そうともがき手足をばたつかせる。
しかし蹴りだした足は元に戻りけして先には進めない。
「ひぇ…… 」
程なく男は口から泡を吹きながら気絶した。
「何が起こった! 」
「こっちだ! 」
騒ぎを聞きつけて人々が集まってくる。
「申し訳ありません、お嬢さん」
何処から姿を表したのか男が連れてきていた従者が歩み寄りながらダイアンに表情一つ変えずに言う。
「だから言ったと思いますよ。
あの表情から察して、あの娘は我が「竜使い」同様にとんでもなく気の強い娘だと。
それを誘拐して国に連れて帰ろうなどと到底無理な話だと」
男は言いながら気を失った主に歩み寄ると、呆れたように声をかけながらその体を抱え起こした。




