7-2
何か急ぐ事情でもあったのか、第二皇子の婚姻の儀は早かった。
普通なら両国の力の兼ね合いもあり、そのバランスを取りながら時間をかけて準備されるはずのものがあっというまに整えられる。
「今回のお衣裳も見事ですね」
皇帝からいつものように届けられた衣裳を目に侍女が言う。
僅かに珊瑚の色を帯びた深いクリーム色の生地は角度によって、赤みを帯びたり黄色く輝く。顔を被うヴェールも同じ生地で仕立ててあった。
それに添えられた珊瑚で薔薇が彫られた額飾りと揃いの一式。
花嫁を立ててかいつもより少し控えめの優しい色合い。
ダイアンの栗色の髪や鳶色の目を引き立てると言うよりは同化する。
人を装わせるときでも、華やかなものを好む皇帝にしてはかなり妥協したと思っていい。
鏡の前に立ち、着付けを確認するとダイアンは琴を手に取った。
会場に行く前にもう一度弦に指をかける。
「……どうしよう」
ついで唸るように口にする。
「どうかしましたか? 」
侍女が手元を覗き込んでくる。
「うん、このこ、今朝から全くならないのよね…… 」
ダイアンは眉根を寄せた。
「持ち主が気に入らなければならないって言う不思議な琴だとお伺いしていましたけど、奏でられる場所が気に入らなくても鳴らないものなのですか? 」
「……そんな筈ないんだけどな。
何処で奏でたってあたしはあたしだし」
「きっとディアヌ様がお淋しく思っていらっしゃるから、琴がそのお気持ちを汲んでいるのではないのでしょうか? 」
「あたしが? 」
思わずあげた声に侍女が頷く。
「ディアヌ様とセリム殿下はご兄弟当然にお育ちになったのですもの、きっとお兄様を取られる妹のような複雑なお気持ちがどこかにあるのではないのですか? 」
「まさか」
笑ってみるがそうなのかも知れない。
ものめずらしさにダイアンを引き取ったものの、皇妃が始終側に置いておくことはなかった。
琴の音色を所望された時以外は放って置かれることもあって、そんなときに遊び相手になってくれたのが、セリムとザイードだ。
少し歳は離れていたが、皇妃は自分の産んだ以外の、皇帝の子供の姿が視界に入るのを好まなかったから、他に遊び相手は居なかった。
だから、二人とも今でも『妹』として遇してくれる。
そう、少なくともザイードは。
何時からだろう、第二皇子の言葉の端に色めいたことが混じりだしたのは……
でも少なくともそれも今日で終わりだ。
ほっと肩の荷が下りたような気がした反面、何故か切なくもなる。
「ディアヌ様、お時間です」
いつもの侍従が迎えに来る。
「ま、いいや」
呟いて立ち上がるとダイアンは昔からの琴に手を伸ばした。
「ディアヌ様? 陛下ががっかりなさいますよ? 」
「音が出ないんじゃ、仕方がないもの。
今日はこっち」
少し微笑んでダイアンは部屋を出た。
花嫁は、予想に反してそこそこの容姿のようだ。
祝いの宴でざわめく広間の中央に座り、皇妃と並んで上座に座るヴェールを頭からすっぽりと被った人影に、祝いの口上を奏しながらダイアンは思う。
自分より少し年上と思われる少女の域を僅かに越えた若い女は、小柄で少し太り肉ではあるが、衣服やヴェールの端から覗くふっくりとした肉付きのいい指が愛らしい。
どこか北方の異民族の血でも入って居るのだろう、ダイアンと同じ白く透き通って滑らかなアラバスターの肌。
ヴェールに隠された顔はわからないが、少なくともあの大使ほど酷い容姿ではなさそうだ。
「良かったじゃない」
ここには居ない男にそっと話し掛けた。
「では、姫君様とセリム・アブデュルハミト・スレイマン殿下の婚姻を寿ぎまして…… 」
型どおりの挨拶の言葉を述べた後ダイアンは傍らに置かれた琴を取り上げ構えた。
弦に添えた指でそっと弾くと室内に琴の音色が響く。
華奢で華やかなそれでいて深い重みを持ったダイアンの声がそれに纏いつくように絡み溶けてゆく。
吟じるのは『乙女の唄』
神と結ばれた聖なる乙女の甘い暮らしを詠ったもので、これからの二人の生活がこの唄のように甘いものであれと願いを込めて、婚姻の宴席での定番になっているものだ。
いつものとおり、吟詠の間誰一人として身動きすることなくダイアンの声に耳を傾けてくれる。
どよめきが広間を占めるのは最後の一音がその広い天井にこだまし完全に消えた後だった。
詠い終えるとダイアンは一礼し、息も乱さずに立ち上がる。
「ちょっとあなた…… 」
会場を出ようとしたところを恰幅の良い老婦人に呼び止められた。
以前の宴では見たことのない夫人だが、品のよさが滲んで居ることからどこか高貴な家の奥方だと思われた。
「本当に素敵な声でしたこと、おかげで寿命がまた延びたような気がするわ。
お礼を言いますよ」
満足そうに言ってくれる。
「残念だわ、普通の吟遊詩人なら是非とも我が家にご招待しますのに、后妃様の秘蔵のお嬢様ではここから出られないのでしょう? 」
言葉どおりそれが残念で仕方がないという風に女は顔を歪ませた。
「ありがとうございます。
そう、ですね。
今度は皇妃様に伺っておきますわ」
形式的にそう言って、ダイアンは曖昧な笑みをこぼすと会場を出る。
「急いで下さい、ディアヌ様」
迎えにきていた侍従が表の方を気にしながら歩み寄ってくる。
「どうしたの?
向こうはまだ出番までに時間があるんじゃないの? 」
その慌てた様子に戸惑いながらダイアンは男に訊く。
「それが、『歌姫の吟詠が聴ける』と皆様の期待が大きすぎて、一分の客人が退屈な曲芸等を途中で中断させて下がらせてしまうものですから、徐々に早まって……
すでに客人が待っている状態なのです」
男が困惑した様子で眉を寄せた。
「それでなるべく早くディアヌ様を呼んで来いと、陛下のお言葉で…… 」
「もしかして、その余計なことをしたのってあいつ? 」
先日のいかにもと言った太り肉の男の姿を思い浮かべながらダイアンは訊く。
あの男ならそのくらいのことやっても不思議はない。
「さて、そこまではわたくしには…… 」
侍従は作ったような曖昧な顔を向けた。




