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 路上に割れるばかりの拍手が響く。

 その躯にしては大きな竪琴を抱え、軽く乱れた息を整える少女の前に無数の銅貨が投げ込まれる。

 

「どうもありがとう! 」

 少女は笑みを浮かべ乱れた息の下から言う。

 

 人々はまだ名残惜しいようにその場を離れようとはしなかった。

 

「おい、ちょっと…… あれ…… 」

 誰かが隣の男を小突く。

 視線の先には城を警護する衛兵の姿が数人。

 

 途端に広場に集まった人々に動揺が走った。

 

「なんだ? どうした? 」

 ざわめく人々を押しのけ衛兵は真直ぐに少女の元へ向かう。

 

「あの子何かやらかしたのか? 」

「まさか、相手は子供だぞ。

 それにここで商売をするのは自由なはずだ」

 それぞれが口にするが誰も衛兵の男たちの動作を止めようとはしない。

 

「おい、そこの子供。

 往来で詩を吟じている子供の詩人とはお前のことだな」

 琴を抱えたまま何が起こったのかわからずに立ち尽くす少女を前に男は言い放った。

「来い、お前を皇妃様がお召しだ」

 言うと乱暴にその細い腕を掴みあげた。

 痛みからか少女の顔が歪む。

 

「何も行かないとは言っていないだろう。

 放しな」

 少女の影に隠れるようにして蹲っていたみすぼらしい中年男は言って立ちあがると、その手を抑える。

「な、何だ、貴様! 」

「俺? 

 俺はこいつの保護者。父親だよ」

 男は衛兵を睨みつけた。

 

 

「なんですか、この…… は! 」

 王宮の一室、涼しい風の通り抜けるサロンで皇妃は思いっきり眉をしかめた。

 その目の前にはいかにもこの場所には不釣合いな貧しい埃だらけの身なりをした父親と娘が跪いていた。

 かわいらしいとはお世辞にもいえない貧相で不潔なその少女に皇妃は明らかに嫌悪感を憶えている。

「ご所望の、詩人とその…… 保護者ですが」

 うろたえながら侍従が言う。

 明らかに気に入らないと言う風に皇妃の片眉が上がる。

「こ、これ。

 お前、何かご披露しないか」

 これ以上皇妃の機嫌が傾くと何を言われるかわからないとばかりに侍従は足元の少女に向かっていった。

 少女は顔をあげると同意を求めるように父親の顔を覗き込む。

「……ああ、わかった。

 少し、だけな」

 言葉のない少女の意思を汲み取ったように男は侍従には飲み込めない返事をする。

 少女はその言葉に小さく頷いた。

 

 そしてその場に座りなおすと抱えていたその大きな琴を構え弦に指をかける。

 

 ぽぉーん…… 

 

 僅か一音がその狭い室内に広がりこだまする。

 

 同時に何もかもが音を失った。

 

  漆黒の

   夜のしじまの海の上、

   昔女神が降り立った。

   

  漆黒の

   夜の闇をより集め、

   豊かな髪を染めるため。

   

  漆黒に

   染めた髪より尚黒い、

   美妃の黒髪お気お付け。

   

  漆黒が

   何より好きなその女神

   すぐ側にまできているよ。

   

 一音一音少女の口から紡まれる言葉に贅を凝らした室内は色を失う。

 

 ぽろろぉん…… 

 

 最後の一音が部屋の中から消えると同時に皇妃は目を見開いた。

 

「今の、は? 」

 少女の口から生まれる言葉どおりに、まるで夜の闇のような暗黒が室内を覆い波に揺れる小船に立つように足元がおぼつかない…… 

 

 そんな感覚に苛まれていた自分に気が付く。

 

「どうだ? 」

 目の前のみすぼらしい男がしたり顔で皇妃の顔を覗き込む。

「今のは、何? 」

 皇妃は茫然と呟いた。

「まるで本当に夜の海に引きずり込まれたような…… 」

「だろうな」

 男はあたりまえと言った顔を皇妃に向けた。

 

 その女の姿を横目に侍従は息を吐いた。

 少女は、さっきまでの怒りで怒鳴り散らすのが秒読みの体勢に入っていた皇妃の感情をあっという間に覆してしまった。

 もはや皇妃の思考からは目の前のこの絶えがたいほどにみすぼらしい親子の姿が消えうせている。

 

「こいつは『呪歌詠い』だからな」

 男は少女の頭を軽く小突きながら、うっすらとした笑みを女に送る。

「『呪歌詠い』ですと? 」

 その言葉に侍従は今度は息を飲む。

 

『呪歌詠い』

 北方の異国の神に仕える、聴いている相手の精神というか思考を自分が詠っている詩の中へ引きずり込む特殊能力を持つ詩人のことを言う。

 吟じられた詩を聴いている間、その人物は歌の世界に入り込み、その事実を実体験してくるとも、夢をみてくるとも言われている。

 とはいえめったにお目にかかれる術者ではない。

 むしろきわめて貴重といってもいい。

 

 そんな技をこんな小さな子供が習得しているとは…… 

 

 にわかには信じられないところだが、しかし現に今皇妃と同じく侍従自身も真っ黒な墨を垂らしたような海の上に立っていたような錯覚にとらわれていた。

 

「さて、帰るか。ダイアン」

 男はやおら立ち上がると足元の少女に声をかける。

 その言葉に促されるように少女も立ち上がった。

 

「ま、待って! 」

「んぁ? まだ何かあるのかよ? 

 言われるままに俺たちはこんな肌に合わないところまで来て、言われるままに一曲披露した。

 もう用はないと思うが? 」

 男は引き止められるのが気に入らないとばかりに言う。

「その…… 

 あなた、ここに腰を落ち着ける気はなくて? 

 この宮廷の専属詩人として…… 」

 皇妃は目の前の親子をどうしても手放したくないと言った風に言葉を搾り出す。

「悪いが…… 

 俺は一つところに長いこと腰を落ち着けていられない性分なんだ」

 男は皇妃に背を向けた。

「っ…… 」

 なんと言葉を搾り出して男を引きとめようかと思案しているように皇妃の顔が歪む。

 ふと、男の足が何かを思いついたかのように止まった。

「あんた…… 」

 男は背を向けていた躯を戻し皇妃に向き直る。

「こいつ、買わないか? 」

 腰の辺りにある少女の頭を軽く撫でながら言った。

「な…… 」

「あの、偏屈だが腕はピカイチと有名なグラディウス老の元に三年も預けて仕込んだ一級品だ」

 男は狡猾そうな光をたたえた瞳を返事に戸惑う皇妃に向ける。

 

「フロル金貨…… そうだな。

 五枚でいい」

 男は頭を少し傾けるという。

 

「あなた、何を! 」

「今ならお買い得だ。

 事情があって俺は今金を欲している。

 俺の金に替えられるものと言ったら見てのとおりこれだけだ」

 男はもう一度少女の頭を撫でた。

 

「何ですの? その事情と言うのは? 」

 女は首を傾けた。

「事情によっては買ってくれるか? 」

 男は確認するかのように言う。

「……そうね」

 曖昧な返事をしているが、皇妃の顔はすでに決まっていることを物語っている。

「お前、その子を奥に連れて行って、何か食べさせておやりなさい」

 皇妃は侍従に指示を出す。

 

「じゃ、ついておいで。

 おいしいお菓子をあげよう」

 侍従は言いつけられたままに少女の手を取り奥の部屋に導いた。

 

 

 ……それにしても。

 なんてみすぼらしい少女なんだろう。

 

 テーブルの上に菓子と香茶を並べて少女に勧めながらその姿を目に改めて侍従は思う。

 

 これでもかと言うほどにやせ細り汚れている様からは、たった今一声で皇妃をとりこにした声の持ち主とはあまりにかけ離れすぎていた。

 侍従自身先ほどの出来事を目の当たりにしていなければ信じられなかっただろう。

 

 少女は臆することなく出された菓子を何事もなかったかのようにぱく付いている。

 たった今自分の頭上で交わされた会話など意に介していないかのようだ。

 

 その姿が侍従には奇異に映った。

 

 少女の年齢はどう見ても十歳ほど。

 さすがにある程度のことはわかっているはずだ。

 だったら実の父親が自分の身を売買する話をしているのにどうしてこう落ち着いていられるのだろう? 

 もしかして、耳が聞こえていないとか、それとも思考能力に多少の欠陥でもあるのか? 

 侍従は少し疑った。

 

「大丈夫よ。

 耳もきちんと聞こえているし、父さんが皇妃様と何を話しているかもきちんとわかってるわ」

 侍従の頭の中を読み取ったかのように少女が口を開く。

「父さんはそういう人よ。

 五歳のあたしをグラディウス師匠の所に預けた時も、三日で迎えに来るって言って実際迎えに来たのは三年後だったし…… 

 さすがに二年も一緒だったらもうあたしを連れて歩くのに飽きたんじゃないのかな」

 言うと少女は手にしていたカップの中身を飲み干した。

 

「いた、いた…… 」

 そこへ先ほどの男が顔を出す。

「じゃぁな、父さん行くわ」

 まるで仕事に向かう職人のように男は少女に向かって気軽に言った。

「追い出されるまで、せいぜい可愛がってもらいな。

 あと、『リリューレ』にもしも会うことがあったらよろしく…… 」

 男はそれだけ言うと少女に背を向けひらひらと手を振って立ち去っていった。

「ん、じゃ、またね。

 父さん」

 男の言葉に動じることなく少女は言う。

 

 しかしその目はかすかに涙で潤んでいた。

 

 

 


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