6-3
「あのさ、俺。
妃を娶ることになった」
何時までもあの場所に居るのはまずいと、ゆっくりと足を庭の方に向けて歩き出すと、ふと男は言った。
「そ、おめでとう」
ポツリと言われた言葉に何気なく返してからダイアンは目を見開いた。
「ちょっと! セリム、今なんて? 」
「だから、その……
結婚するんだよ」
かなり気恥ずかしいのか、顔を赤らめてぶっきらぼうに言う。
「ふ~ん、セリムでもお嫁に来てくれるお姫様って居るんだ」
少し茶化して言ってみる。
「なんだよ? それ」
「だって、ね…… 」
言いかけてダイアンは口を噤んだ。
いよいよその時がきたんだと思った。
第二皇子のセリムが、この年になるまで妃を持たなかったのが不思議なくらいだ。
ダイアンより七つ年上の第一皇子はダイアンがここに引き取られた年に妃を迎えた。
だけど……
何だろう?
なんだか胸の辺りが妙なうずきと共に絞られるような気がした。
「で? その奇特なお姫様って誰? 」
それを振り払うように慌てながらダイアンは訊いた。
「セートネガンの第9王女」
「セートネガンて、じゃこの間の? 」
「そ。その話を詰めに来たんだよ、あの大使」
「もしかしてあのおじさんの娘ってこと? 」
ダイアンは首を傾げた。
確かセートネガンの国王は八十歳だって聞いた。
と、言うことはその娘だと計算が合わない。
先日の王大使の娘だって言われればすんなりと計算が合う。
「いや、正真正銘の国王の娘。
この間のおっさんの末の妹だとさ」
「っていくつの時の子供よ? 」
ダイアンは指を折る。
「あの国王、王妃に先立たれては何回か再婚してるからな。
それにあの国には後宮もあるし」
「なんか、セリム。ご愁傷様…… 」
「なんだよ、それ? 」
「だって、あの王太子の妹ってなんとなく想像できるんだもん」
「……それ、言わないで欲しかった」
男はあからさまに眉間に皺を寄せる。
「で? 物は相談なんだけど、
お前、俺の妃にならない? 」
「何言ってんのよ? 」
ダイアンは目を見開いた。
いくら何でも言っていい冗談と、悪い冗談がある。
そのくらいの事が何故この男にわからないのか。
「今なら、まだ間に合うんだけどな。
そうすればお前、この先のこと考えずにずっとここにいられるぞ」
セリムは真顔で言う。
「そんなの、できるわけないじゃない……
セリムは皇子さまであたしはどっかの宿無しの娘だよ? 」
……何だろう、息ができないほどに胸が絞られる。
「正式な奥さんでないと、結局追い出されるんだよ。
そんなのセリムだって知ってるじゃない」
「だから、俺の正妃に…… 」
「莫迦言わないで。
大使が話を詰めにきたって事はもう本決まりなんでしょ?
逃げられるとでも思った? 」
飛び跳ねるようにして一歩距離をとるとダイアンは男に向き直る。
何時の間にかあがっていた月が、男の顔を照らし出す。
何故か、男は戸惑ったようなそれでいて怒ったような顔をしている。
一国の皇子の結婚がどんなものか、ダイアンでさえもわかっている。
本人の意思なんて後回しだ。
無駄な戦を避け、お互いの国を富ませるための協定。
「そういえば、お前さ。
この間、俺に貸し作ったって憶えてる? 」
「うぅ…… 」
男の言葉の先が想像でき、ダイアンはうめいた。
高い貸しになったものだ。
だから妃になれとか言われても……
この状態だと首が飛ぶ。
話が済んで、お互いが協定して納得して、後は姫君がこの国へ足を踏み入れればそれで終了。
というこの状態で、当の第二皇子が嫌だなんて言い出したら、それこそ戦がはじまってしまう。
回避するためには問題の種になった娘を始末するが手っ取り早い。
娘が姿を消せば、皇子も諦める。
皇帝の周囲の老人達は皆、首をそろえてそういうだろう。
「その、ゾウの一件よね?
あの時には本当にありがとう」
はぐらかすように言ってみる。
「ごめんなさい、忘れていたわけじゃないのよ。
だけど、なんで返せばいいのか迷ってたって言うか、その……
お礼って言っても、あたしが持っているものなんかたかがしれてるし……
でもっ、でもでもでも……
結婚する相手が嫌だからって、偽装結婚の相手になれって言われても。
いくらなんでもぼったくりすぎよっ」
自分でも何を口走っているのかわからないままにダイアンはまくし立てる。
「この間の、ご褒美、馬でも貰えばよかったかな?
それともゾウとか?
そしたら、それお礼にできたのに……
そのくらいで手を打ってくれるとありがたいんだけど…… 」
「ゾウ? 」
男が呆れた顔をして吹き出した。
「うん、くれるって言ったわよ。
部屋で飼えないからお断りしたけど」
「さすがに俺もゾウはな。
貸しを返すならこっちのほうが…… 」
ふいに男の手が伸びたと思ったら頭を抱え込まれ唇がかさなる。
唇から伝わる甘い熱にダイアンはこれでもかと言うほど戸惑った。
「相手の姫君が気に入らないから、偽装の相手って訳じゃないんだけどな」
間近に迫った顔から囁かれる。
「それだったら、大臣の娘にでも頼む方が効果的だ…… 」
なごり惜しそうにダイアンの頭部にまわした手を解きながら聞き取れないほどの声で呟かれた。
「ゆ、湯殿のお湯落とされちゃうから……
あたし行くね」
思い切り戸惑いながら、そう言うとダイアンは逃げるようにその場を後にした。
湯殿で匂いを落とし、火照った身体に薄絹一枚巻きつけてダイアンは部屋に戻った。
開け放たれた窓から吹き込む風を心地よく感じながら、傍らに立てかけておいた竪琴を手にした。
「セリムも無茶苦茶なことを言うよね。
ね、リリューレ? 」
ダイアンは琴に話し掛ける。
こんな時の話し相手をダイアンは持っていない。
ここに居る誰に話しても皇妃の耳に入る。
だけど、誰かに訊いてもらわないと、何か言ってもらわないとどうしていいのかわからなかった。
唇にはさっきの甘い熱の感触がまだはっきりと残っている。
それはけして嫌なものではなかったけれど……
「……やっぱり、父さんじゃないと出てきてくれないかぁ」
ため息混じりに呟いた。
「そうだよね。
恋敵の娘じゃ気に入らなくても無理ないって言うか…… 」
その昔、父がこの竪琴に出会ったとき、宿った聖霊には実体があったという。
見事な栗色の長い髪が優雅に揺れる、金緑色の瞳が印象的な巷ではちょいとお目にかかれない程整った顔と躯つきをした若い女だったらしい。
ぼんやりと窓の外に広がる庭に視線を泳がせる。
高く上った月の光に手入れの行き届いた樹木が青く染まっている。
その影に何か動くものを捕える。
目を凝らすと二つの人影が寄り添っている。
背の高い細身の男に、真直ぐな髪が砂色に透ける華奢で小さな女。
多分ザイードとシャフィヤだ。
見るともなく視線を向けたままで居ると、二つの影が一つに重なり、闇に解ける。
あんな風にお互いが思いを寄せて、肩を寄せ合えればきっとセリムも満足してくれるのだろうか。
そんな風に思うと、何故か胸の辺りを今まで感じたことのないうずきが走り鼓動が跳ねる。
無意識に高鳴る胸の辺りを握り締めダイアンはカーテンを引いた。




